サッチャー元首相の発言

平成7年6月23日 日本海新聞私の視点に掲載

先日、民放テレビでサッチャーさんの発言の中に、人間社会には悪は存在する、と言い切っていた。私も全く同感である。この度のサリン事件、諸外国に今尚見られる残酷な虐殺、わが国でも日常茶飯事になったかの極悪非道の殺人事件等を考えるとそう思わざるを得ない。私は人間性の中には神と悪魔、善と悪が共存しているものだと次第に思う様になっていた。わが国は平和ボケと言われる。平和、平和と言うだけでは絶対に平和にはなれないのだ、残念ながら。この悪とか悪魔は、対立軸の善とか神が弱いとか勢力が衰える兆しがあると、即ちスキがあれば水が染みいる如く直ちに付け込むのは世の事象を観察しておれば直ぐ分かる事である。大国間の外交力学を見ていると本当にスキを見せたり、国内の反国家的な動きがあれば直ちに利敵の原因となる。だから国家は国益を権謀術数を駆使して追求する。こういう観点で日本をみると本当にスキだらけで利敵行為ばかり国民がしている様にさえ見られる。国内ではガンガン議論していても外交とか国益を損なうと見れば国が一つにまとまるのは諸外国の方が巧いし早い。日本は百家争迷?だ。これらは人間性にもとずくもので本源的だ。だから社会には悪は存在すると言う認識をしっかりと持って現実的な対策を樹てておかねばならないのだ。国民はここの処をもつと、もっと支援して政府にさせなければならないのだが、敗戦でアメリカに保護され続けてきたので平和ボケが醒めていないのだ。オームの発生もここらに原因がある。日本国に毅然としたものが失われてしまつたから発生せしめたのであらう。悪には日頃から断固と毅然と対処する国民的認識、合意が絶対必要である。サッチャーさんは日本では人気があるがそれは日本に無いものをもっていらっしゃるからだ。それは彼女が毅然としているからだ。日本人であれだけ確信的、断定的な指導者がいない。オームくらいかも知れない。若いものがあのカリスマに魅入られるのは日本が失った毅然とした男性的なものなのであらう。国民は気付いていないが本当は毅然としたものを求めているのではなからうか。だから余りに平和ボケが続くと善の対極であるナチスの様な過激なものが生まれる恐れがあるのではなからうかそれにしても、日本の政策が後手後手となりつつある。元々政治はきれい事ですまない。国の為に出来る人は小事にこだわらず支援する度量を国民も示す事が大切だ。

現在、わが国は内外に危機的状況を迎えている。政治家諸氏の英雄的、男性的、毅然とした行動でこの事態を排除して欲しいと心から祈っている。       完