身言書判 人を見る四つの原則
中国では人を見るに、あれは大学出であるとか専門学校出であるとかいうようなことはない。
身言書判と言い、これが古来「人を見る四つの原則」である。
身は言うまでもなく「風采人相」であります。中国人くらい人相をやかましく言うものはない。
例え資格試験に及第したとしても人相の悪い者は中国人はなかなか許さぬ。中国人の知識階級の生活を支配するものは想像以上に「人相」と「易」です。人相から始まって、風采、態度。
身それから「言」は言うまでもなく「言辞弁舌」であります。
書は「筆跡」、判は、今日で言うと「知識」や「見識」です。
自由主義のだらしなさ
この身言書判のようなことを全く時代錯誤的なもの、反自由主義、反デモクラティックなものとして日本人は軽蔑した。今日は一面書道なども盛んになって来ましたが、
大体明治末期から、大正、昭和にかけて育った者は、文字なんというものを書ける人は幾らもない。皆、折釘みたいな字しか書けない。
文字そのものを粗末にしてこれを悪む。すべてこうしたわけでは、この時代に育った者は一様にだらしがない。それは、この自由主義思想デモクラシー思想の変質され、歪曲されたもの、及び
共産主義と資本主義とに通ずる唯物主義、金儲け第一主義、経済至上主義というようなものの影響であります。