「人つくり本義」 安岡正篤 講述 

          人づくり入門  小学の読み直し 

三樹(さんじゅ) 一年の計は(こく)()うるに()くはなし。

十年の計は木を樹うるに如くはなし。

終身の計は人を樹うるに如くはなし。  菅子・権修

平和22年8月                               「人つくり本義」索引

 1日 融通無礙(ゆうずうむげ)の世界

世間普通の講習会とか研修会とかいうものならば、ちゃんと講題などを決めてやるのも当然でありますが、然しこの会のようになれば、本当は題など要らぬし、また題などに拘泥して話などしたのではろくな話は出来ない。この会は、所謂、道とか真理とか言うものを尋ねる会であります。真理とか道とか言うものは、初めなくして終わりなしで、大にしては宇宙、小にしては一言一句、どこから始めてもいいし、どこで終わっても構わない、洵に融通無碍であります。

 2日 この席にも数学の岡潔先生がお見えになっておられますが、先生の数学などはそれこそ融通無碍でありまして、これこそ本当の数学というものでありましょう。科学でも、本当の科学というものは哲学にも宗教にも相通ずるもので、ここから科学、ここから宗教などという区別は決してないのであります、ただ説明の便宜上知識とか技術とか区切るだけのことであります。どこから始まっても良い、どこで終わっても良い。
 3日 「知は行の始なり、行は知の成るなり」

王陽明の伝習録にうまいことを言っております。「知は行の始なり、行は知の成るなり」と。 
我々の身体でもそうであります。心臓とか肝臓とか色々あるけれども、他との関わりなく、全体と関わり無く存在するものは何一つないのであります。例えば甲状腺にしても、ちょっと見れば単なる骨のように見えるけれども、専門の医者に聞くと、ここからサイロキシン(チロキシン)と言ったものを血液の中へ送り出す。これが出なくなると、正邪(せいじゃ)曲直(きょくちょく)の判断とか、美醜の感覚とか、或は神聖なるものを敬うとか言うような機能が()くなってしまうのであります。ネズミの餌から完全にマンガン分を除去すると母性本能が失くなるそうであります。

 4日 こういうことを言うと直ぐ慌て者は、真・善・美はサイロキシンから出るのかと決めてしまいますが、こういう考え方は唯物主義というもので、決してそんな簡単なものではないのであります。 身体の機能は実に微妙な相対関係にあって、どの一部をとっても、それからそれへと無限に連環しております。道の世界、真理の世界でも同じこと。孔子を論じようとすれば、老子も釈迦もみんな関連してくる。それでこそ、本当の真理の世界、道の世界というものであります。
 5日 内的世界・精神の世界に還ろう

近頃、よく自己疎外などという言葉がはやりますが、要するに内を離れて外に走ることで、枝葉末節になればなるほど動きのとれぬ融通のきかぬものになってしまう。
今日の一番の弊害は、この内的統一を失って、雑駁になっておるということであります。その最も悲惨なものは、自己の喪失、人間性の喪失ということであります。この失われた自己を取り戻し、内的世界・精神の世界に還ろう。そういう機縁をつくろう。そういう道を開こうというところにこの研修会の意義・価値があるのであります。

 6日 憂うべき現代社会 現代はあらゆる点で危険な状態にあります。繁栄の中の没落ということがよく言われますが、今日はこの繁栄の中の没落に向かって暴走しておる、と言っても少しも差し支えないのであります。暴走するのは決してトラックやダンプカーばかりではない。これはあらゆる先覚者達がそれぞれの立場から明瞭に指摘しております。
 7日 医学的に退化の青少年

例えば、スポーツが盛んになって確かに身長は伸びました。俗眼で見ると、身体の恰好は成る程良くなりました。殊に運動の世界から殆ど締め出されておった婦人の体格は眼に見えて良くなって参りました。お母さんと並んで歩いておる娘は、大抵お母さんより丈が高い。しからば、その娘達がお母さん達より生命的に、医学的に発達しておるか、と言うと決してそうではない。否、むしろ退化しておる、とさえ多くの医学者達が指摘しておるのであります。

 8日

スポーツによって体格は立派になりましたけれども、体力・生命力は弱くなっておる。これは女に限らず男も同じであります。丁度、それは色々の条件を整えられて飼育されている小動物と同じことで、天然自然の体力・生命力ではないのであります。

 9日 ちょっとの気候変化にも、或は飢餓・苦痛と言ったものにも耐えることが出来ない現代人

従って、ちょっとの気候変化にも、或は飢餓・苦痛と言ったものにも耐えることが出来ない。例えば、東京でも最も野生的であるべき本所・深川といった下町の青年達が、もう昔のような御輿をかつぐことが出来ない。戦災で大分焼けたとはいえ、若干残っておる御輿がみな埃をかぶって倉に放り込まれております。農村の青年でも、昔は足駄を履いて米俵を両手に持って平気で歩いたものでありますが、今はそんな腕力・体力は青年に失くなってしまいました。

10日 精神障害者が激増

近頃話題のアフリカにしても、オランダやイギリスから渡って行った最初の移民の記録を読むと、獰猛な野牛の角を持って押し返すくらいの力量を持っておった。今はそんな力のあるものは一人もおらないそうであります。これが、精神力と言ったものになると、更に酷いもので、弱くなっておるばかりでなく、精神障害者がどんどん激増して来ておるのであります。

11日 世界の文明国共通現象

いつかもお話しましたように、コーネル大学の心理学者達が八年もかかってニューヨークのマンハッタン地区の住民を調べた結果によると、全住民の58.1%が何らかの系統に於ける精神障害者であって、どの点から言っても障害の認められないというのは僅か18.5%に過ぎないという。これは世界の文明国共通の現象で、精神障害者が激増して来ておるのであります。

12日 悪質犯罪者の激増

更に憂うべきは犯罪者、殊に悪質犯罪者の激増であります。日本は世界でも最も多い部類に入っておりまして、傷害致死・殺人と言った凶悪犯罪の数はイギリスの十三倍にも達している。色々の点でよく似ておると言われる西ドイツと較べても、大人の犯罪で五倍、青少年の犯罪で三・六倍とはるかに日本の方が多くなっていているのであります。

13日 日本の現状はそれこそ重態

又、文芸・文学・芸術といったものが何を題材にしておるのか、社会学的に考察しても、堕落して来ておるちと言わざるを得ないのであります。特に戦後は考え方が物質的になって国家とか神とかいうようなものへの奉仕を忘れ、利益ばかりを追求するようになってしまいました。精神よりも経済を重んじ、道徳や歴史的伝統というものを無視して、人間がせせこましい小さなエゴになって参りました。こう言うものを段々拾い上げて整理すれば、病院の患者と同じように一つのカルテが出来る。このカルテを見ると、今日の文明国、殊に戦後の日本の現状はそれこそ重態に陥っているということが出来るのであります。

14日 先ず失われた自己を回復せねばならぬ どうすればこれを救うことが出来るか。これが今日の一番の問題なのであります。然しこういう問題はジャーナリズムには取り上げられない。だからみんな意識しないのであります。病気でも無自覚症状ほど取り扱い難いものはない。どんどん病気が進行するばかりであります。これをつきつめて行くと、結局、今失っておるものを回復する以外に道はないのであります。
15日 まず
真実自然の日常生活

その具体的方法は如何。例えば、この物質的生活を真理に徹して真実自然の日常生活に改める。
一つにしても、野放図もなく売り出されている新薬等を飲まないで、もっと生薬を活用する。食物にしても無暗に加工したものや、季節を無視した冷凍物等は止めて出来るだけその土地でとれた新鮮な生命力あるものを食べるようにすることが大事であります。

16日 精神生活・心霊の世界を今一度回復する

特に大事な事はも何万年も何千年漸くここまで発達させて来た精神生活・心霊の世界を今一度回復することであります。ここ数百年来分析というものが一つの原理になって、科学が発達して来たのでありますが、あらゆる分析の中で一番発達した高等な分析は何かというと、人間が己れ自身を省み解明する分析である、とは優れた科学者の一致した見解であります。

17日

「己れ自身を知れ」とはギリシャ神話の諺でありますが、真によく己れにかえれば、自分の真生命・真我を把握すれば、どんな自己でも、必ず独特の意義・価値を追求することが出来るのであります。

18日 自分自身を学ぶことを忘れてしまっている

「好んで人の師となる勿れ」という名言がありますが、教育者に一番大事なことは、先生になることではなくて、学生になることであります。良教師は必ずよく学ぶ人でなくてはならない。今の教師は、人を教えることばかり考えて、自分自身を学ぶことを忘れてしまっている。我々がここに集まったのは、単に教師としての知識や技術を拾い集める為ではない。失われた自己を回復して、これを解明してみること、その機縁をつくるためであります。

19日 志さえ立てば貧乏も鈍才も問題ではない そうして初めて真実の世界に立つことが出来るのでありますが、その真実の世界に還ってみれば、すべてが融通無碍であります。俗学と聖学は見解も自ら違って来る。例えば、唯物主義者などは判で押したように勉強したくても金がないと申します。然し、貧乏だから勉強出来ぬなどと言うことは絶対にあり得ない。
20日

要するにこれは人間の問題で、その人自身志を立てさえすれば貧乏などは問題ではないのであります。昔から偉大な仕事をやり、また偉大な自己を作り上げた人で、おおよそ貧乏でなかつた人は何人おるか。金にめぐまれ、贅沢が出来て偉くなったというのは、それこそ本当に例外であります。大抵は貧乏で、しかも随分ひどい貧乏が多かったのであります。

21日

あの明治の西郷南州にしても、吉之助の少年時代は大変な貧乏で、家庭は困難を極め、いつもぼろ着物に破れ草履を履いて、それこそ惨憺たるものであった。南州と言えば、勝海舟を思い出しますが、とても今日の我々には想像も出来ないような貧乏をやっています。当時の日記を読むと、飯を炊くにも薪がない、とうとう縁側を剥ぎ、柱を削ってこれを燃料にして飯を炊いている。

22日

「困難ここに至ってまた感激を生ず」ひどい貧乏をやりながら少しも苦にしておらないのであります。ここらが人間の分かれ道であります。同じ貧乏をしても感激ある貧乏をやつている。感奮興起すれば貧乏も亦良いものであります。

23日 体力、生命力、精神力

植林をするにしてもそうであります。最初から肥えた土地に植えると駄目になる。先ず、苗木を痩地(やせち)に密植する。そうして適当な時期を見て初めて肥えた土地に移植してやる。こうすれば苗木もぐんぐん成長する。だから貧乏などというものも、貧乏そのものが問題ではないので、これを如何に貧乏するかという、帰するところは矢張り体力であり、生命力であり、精神力であります。 

24日 悪ければ悪いとはっきり言えばよい

能力でも同じこと。近頃はよく頭が悪いと言うことが出来ないで、脳が弱いなどと申しますが、弱いということ自体これは精神力が衰えてえおる証拠であります。悪ければ悪いとはっきり言えばよいのであります。

25日 志一度立てば

そもそも、頭が悪いから勉強が出来ぬなどと考えることが間違いで、志一度立てば頭の悪いことぐらい問題ではないのであります。なまじっか頭が良いと、却って安心して怠け者になったり、脱線したりする場合が多い。頭の悪い者が努力して勉強して叩上げたというのは立派なものであります。

26日 味のある人間

書でも、書才というか器用な人の書は、筆先でごまかす為に、軽薄なものが多い。然し、才能が無い者が一所懸命に習いこんだ字というものは、なんとも言いようのない味を持っております。

27日 醜男が修養し抜いた美

器量でも、余り目鼻立ちの整った女性に真の芸術的美人は少ない。どこかに欠点のあるのが、美しい心情によって美化されたという美人、こういう美人が所謂芸術的美人であります。男で、のっぺりした所謂美男子というのは本当の男性美ではない。昔から名僧とか知識とか言われる人を見ても容貌魁偉というか、醜に属する顔つきの人が多い。その醜男が修養し抜いた美、醜のの美というものは、それこそ秀男であって、のっぺりした美男子などの到底及ぶところではないのであります。 

28日 生来の鈍才

兎に角、鈍才の叩き込んだというのは大きな力を発揮するものであります。教育者として誰知らぬ者のないペスタロッチにしても、生来の鈍才で、ニュートンなどは、学校はビリから二番目だったそうであります。

29日 伊沢多喜男氏

私の親しくした人に伊沢多喜男という内務省の元老がおります。この人は高等学校から大学までずうっとビリで通した人でありますが、中々これは出来ない芸当で、まかり間違えば落第してしまう。本人も「ずうっと一番で通すことよりもはるかに難しい事だ」と自慢話にしておりましたが、内務官僚として立派に成功致しました。

30日 鈍才少しも意に介さず

ナポレオンも頭は左程良くなかったようであります。乳母のサべリアは八人兄弟の中で(13人の兄弟中5人死し、8人生きる)ナポレオンを一番駄目だと思っていたという。鈍才少しも意に介する必要はないのであります。

31日 偉大な仕事をした人

その次ぎに体力であります。これも体が弱くて勉強が出来ないとよく言われるのでありますが、これも俗論であります。昔から、病弱で甚だしきに至っては致命的疾患を持ってさえ、偉大な仕事をした人がどれくらいあるか分らない。