吾、終に得たり B  岫雲斎圀典
              
--釈迦の言葉=法句経に挑む
多年に亘り、仏教に就いて大いなる疑問を抱き呻吟してきた私である。それは「仏教は生の哲学」でなくてはならぬと言う私の心からの悲痛な叫びから発したものであった。
                         平成25年6月1日

平成25年8月

法句経 二十六品 423

1日 第四品 華

     56

多掲(たが)()栴檀(せんだん)よりきたる その(かおり)微小(かすか)なり されど (いましめ)をたもつ人の()は世に比類(たぐい)なく 諸神(かみか゜み)のちかくにも(くん)ぜん

センダンやタガラの香りは、ほのかであり遠くには届かない。
然し道徳を具えた人の香りは遥か神々にまで匂って喩えようもないものだ。

2日     57

(いましめ)をまもり おこたりなく生き 正しき智慧もて 解脱(さとり)にいたれるもの かかる人々のゆく道は 誘惑(まよわし)も知るによしなし

道徳を備え、心を励まして生活し、物事を正しく捉え、何事にも束縛されぬ人々には魔物は近寄らない。

3日     58

(みやこ)大路(おおじ)に 棄てられし 塵芥(ちりあくた)の (つち)の中にも げに (かおり)たかく こころたのしき 白蓮(びゃくれん)は生ぜん

大通りにうず高く棄てられた塵芥の中から芳しい香り、心を楽します白蓮が生える。

4日     59

かくのごとく 塵芥(ちりあくた)にも似たる 盲目(めしい)たる 凡夫(つねびと)のうちに 正しき覚者(もほとけ)の弟子は 智慧もて 光あらわる

このように塵芥の中から、即ち盲目の凡庸な人の中から、全てを正しく、そして遍く知った智慧ある仏陀の弟子が現われる。

5日 第五品

(おろか)(びと)
  60

眠りえぬものに 夜はながく つかれたるものに 五里の(みち)はながし 正法(まこと)を知るなき おろかの者に 生死(ひと)輪廻()は ながからん

起きている者に夜は長い、疲れた者に五里は長い、真理の法を知らない愚か者には、この生死のやむことない輪廻の人生は誠に長いであろう。

6日    61

旅にゆきて 自己(おのれ)にまさり はた 自己(おのれ)にひとしき人に 逢うことなくば むしろ独り行くことに 心をかためよ おろかなるものを 伴侶(とも)とすべきにあらず

旅人が、もし自分より勝れるか、等しい人に出逢うのでなければ、思い切って、心強くして独りで行きなさい。愚かな人を連れにすることはない。

7日    62

「我に()()あり 我に(たから)あり」と おろかなる者は こころなやむ されど われはすでに われのものにあらず 何ぞ子等あらん 何ぞ財あらん

「私には子供がある。私には財産がある」と愚かな者は言って自分を苦しめている。
然し、そう言う自分自身はそもそも本質的に存在していない、どうして子供達があろう、どうして財産があろう。

8日    63

おるかなるものも おのれ愚かなりと思うは 彼これによりて またかしこきなり おろかなるに おのれかしこしと思うは彼こそ まことおろかといわるべし

愚かな者でも自分が愚かと思っておるならその限りでは、その人も賢いと言える。然し愚かな者が自分を賢いと思い誤っておるならそれは誠に愚者である。

9日    64

たとえ生命(いのち)のかぎり 師にかしずくとも 心なきひとは 正法(まこと)を知らざるべし げに (さじ)(うつわ)につけども 羹味(あじ)を知ること なきがごとし

愚かな者が生命ある限り賢人の側近くにいても、それだけでは真理を知ることはできぬ。スープの味を匙が知らぬようなものだ。

10日    65

たとえ瞬時(またたき)() 師にかしずくとも 心あるひとは たちまちにして 正法(まこと)を知らん げに 吾こそ 羹味(あじ)を知るがごとし

ほんの暫くの間でも心ある者が賢人の側にいたら速やかに真理の法を得るだろう、それはあの舌が直ぐにスープの味を知るようなものである。

11日    66

おろか人は おのれにむかい おのれの仇敵(かたき)のごとく ふるまい行う おのれ自らに あしき(わざ)をなして くるしみの 果実(このみ)を口にす

愚かで弁えのない人々は自分自身を恰も敵のように振舞う。なぜなら、やがて自分に苦役を与えるような悪行を自分に敢えてするからだ。

12日    67

行いを()しおわりて こころ内に悔い 顔は涙にぬれて その果報(むくい)をうく まこと かかる行いは 善くなされたるにあらず

ある行為を終ってから悔い改め顔に涙が流れるような結果を招く行為は善く考えたものではない。

13日    68 

行いを作しおわりて こころに悔いなく 顔に喜笑(よろこび)あり おもいたのしく その果報(むくい)をうく まこと かかる行いは 善く()されたるなり

善い行為をすれば悔い煩うことのないと喜びがあり、心は楽しく、その結果を待ち望めめるものだ。

14日    69 

その罪業(つみ)の熟するまで おろかの人は これを蜜のごとしと思い その罪業(つみ) まさに熟するの日 彼ははじめて くるしみを()

愚かな者は自分の行った悪事が熟さないでいる間はその蜜を嘗めているが一たびその悪事が熟して悪の()が結び、そこで始めて苦しみを感じる。

15日    70

おろかなるもの 月に月に 苦行者の風にならいて (かや)(くさ)(はし)につけたる 食物を()るとも そのふるまい (のり)をわきまえたる人の 十六が一にもおよばず

月にたった一度だけしか(かや)(くさ)の端につけて食を取らなかったとしてもこの人の功徳は真理をわきまえた人の十六分の一にも及ばない。

16日    71

犯したるあしき(わざ)は 新たに搾られし 牛乳(ちち)のごとく ただちに(かた)まることなし されどその業は灰に(おお)われたる 火のごとく (いぶ)りつつ かの人を()いゆく

既に行った悪事は新しく絞った牛乳のように直ちには固まらない。それは灰に覆われた火のようにくすぶりながも続いてゆく。

17日    72

おろかなるひとに 念慮(おもんばかり)起るとも 他を利せん心なくば その念慮 かえって自らの 好運(しあわせ)を亡ぼし おのれの頭かしら(あたま)をも うち砕く

他を害せんとする智慧が起きる間は、それは愚かな者の好運さえ破るものとなる。そしてその者の頭をも砕くことになる。

18日    73

おろかなるもの 虚しき尊敬(ほまれ)を望み 諸比丘(ひとびと)の中に 上位(うえ)にあらんことを願う 僧房(てら)の中にては 主権(ちから)をえんとし 他の(やから)にては 供養をえんことを望む

虚しくいつわりの尊敬を得ようとし、僧侶の中では上席にあろうとし、寺の中では主導しようとする、他の氏族の中でも供養を得られようとするのは愚かな者のすることだ。

19日    74

「こは我によりてなさる 家に在る人も出家せる人も 共にかく思うべし すべて()すべきことと ()すべからざることに於て 何事も()にわが意に従うべし」 かくおろかなるものは思量す かくて欲望(のぞみ)と 高慢(たかぶり)とは増長(いやまさ)

「家にある者も家を出た者も私が本当にこの事をしたと思ってほしい。何をなすべきか、なさざるべきかの全てに関して私の命令に従って貰いたい」。
こうした事を愚か者は思い計るから彼らの欲望と高慢は増さるのだ。

20日   75

一つは()(から)への道 一つは涅槃(さとり)への道 このことわりをさとりて 覚者(ほとけ)の弟子たる比丘(びく)は (うくる)(こし)をよろこばず 世間よりの遠離(おんり)に つとめはげむべし

一つは財産作り、一つは精神的悟り、仏の弟子である修行者はこの事を知悉して利を求めることなく孤高に務めなくてはならぬ。

21日

第六品

賢哲(かしこくひと)

  76  

財宝(たから)()(りか)を つぐる人のごとく おのが(とが)をゆびさし 過失(あやまち)を教えさとすところの 智あるひとに()わば かかる賢者に(つか)うべし かかる人につかえなば よきことありて あしきことなし

何を避けるかを教えてくれたり、過ちを戒めてくれる智者、もしこう言う人に出会ったら、儲けを教えてくれる人のように側近くに仕えなさい。かかる人の側近くに身を置くことは勝れて善い事で悪いことではない。

22日    77

いましめよ 教えさとせ なすべからざるを 遠くさけよ かかるひとは あしきものには 憎まるるとも 善き人には 愛せらるべし

教えなさい。戒めなさい。行ってはならぬ事から遠ざけなさい。こうした人は善人には好かれるが悪人には歓迎されない。

23日    78

あしき友と 交わるなかれ いやしき人をも (とも)とせざれ こころ清き友と 交わるべし 上士(まされる)(とも)とせよ

悪友と交際しない、下賤の人間とも交際しない。善い友と交際し、清潔な人間と交際することだ。

24日    79

真理(まこと)の水を 飲むものは 清らなる(おもい)もて こころよく眠る かかる賢者(ひと)は (ひじり)の説ける(のり)のなかに つねにこころたのしむ

真理の水を飲んだ者は、澄んだ心で安眠できる。このような賢い人は聖人の説いた真理を抱いて心を楽しんてでいるのだ。

25日    80

(かわ)水師(づくり)は げに 水をみちびき ()(づくり)は ()をためなおし 木工(きづくり)は 木を曲げととのう 智者は おのれを ととのうるなり

疎水を作る人は水を導く、矢作りは矢を整える。
水つくりは水を調える。
智慧ある人間は己を調える。

26日    81

(ひと)かかえほどの磐石(いわいし) 風にゆらぐことなし かくのこどく 心あるものは そしりと ほまれとの中に 心うごくことなし

巨岩が風に揺らぐことがないように、賢い人々は、謗りと名誉との間に心を動かされることはない。

27日    82

底深き淵の 澄みて 静かなるごとく 心あるものは 道をききて こころ 安泰(やすらか)なり

底深い淵は清らかに澄んで濁らない。賢い人は同様に真理を得ているから自分の心も澄んで静かである。

28日    83

心ある人は いかなるところにも (じゃく)することなし かかる人はこの欲 かの欲にほだされず 幸福(たのしみ)にあうも はた 苦しみにあうも 心ある人は その思いうかぶことなく その思い沈むことなし

善良な人はあらゆる欲を棄てる。
だからあらゆる欲望に惑わない、時に愉悦し、時に苦痛を覚える。
然し賢い人はこの為に昂揚も沈静もしない。

29日    84

おのがため はた他人(ひと)のためにも 子をも (たから)をも 領土(くにりょうど)をも願わざれ 不法(みちなき)によりて おのが繁栄(さかえ)を願わざれ かの人こそ (いましめ)あるもの 賢者(かしこきひと) (のり)にそえるものなり

自分の為にも他人の為に、子も財産も領土も願ってはならぬ。不法を以て自分の繁栄を願ってはならぬ。このような人こそ道義有る人、智慧ある人、そして正義のある人である。

30日    85

数多き人々のうち 彼岸に達するは まこと かず少なし (あまた)の人はただ この岸の上に 右に左に 彷徨(さまよ)うなり

多くの人々の中のほんの少ない人だけが精神的自由の彼岸に達するのみ。あまたの人々は生死止まざる悩みに満つこの岸の上を徒に彷徨う。

31日    86

善く説かれたる(のり)をききて 身はその法にしたがう かかる人々こそ 越えがたき 死の境域(さかい)をこえて ()の岸に到らん

正しく説き示された真理を聞いて、その真理を誠実に実践する人々のみ死生観を確立して彼岸に到達する。