時局を懐疑せよ
私は民族的本能として日本の運命に希望は持ってはいるものの、
容易ならぬ懐疑を抱いておる。
スピノザは不安と懐疑というものとを区別している。
「不安」は、自己の無力から出る漠然たる感情、
「懐疑」というものはそんなものではない。
懐疑というものは誰にもできるものではない。
しっかりとした中核的思想を持たなければ懐疑はできない。
危険は大切な指導的地位にある人々が、なすべき懐疑をなさないで漠然たる不安の中に生き
ることである。
我々は無用な不安の中に生くべきでない。
しっかりした中核的思想を抱いて値打ちある懐疑をしなければいけない。
それによってのみ問題を解決し進歩して行くことができる、
と近代フランスの名教育者といわれたアランが説いている。
時局を懐疑せよ
これは大いに共鳴させられる意見である。
我々はしっかりとした中核的な思想を持って、いわゆるバックボーンを持って、
正しくこの時局を懐疑し、漠然たる不安であるとか、
何にもならない漫談に時を過すべきではない。
思想とか信念とか、信仰とかいうものは、他から与えられたものでは駄目である。
これは個人の魂、個人の人格を通じて発して来るものでなければならない。