日本古代史の謎 その三 水野 祐氏より
第二講 古代史の概説
平成23年8月度
1日 | 古代史概説の三つのパターン |
本講座では、通史或は概説という形で古代史の講義を |
2日 | 第一のパターン | 第一のパターンは、その時代で定説・通説になってい |
3日 | 第二のパターン | 第二のパターンは、学者自らが信ずる、もしくは自ら これはどちらかと言えば専門家を相 |
4日 | 第三のパターン | 第三のパターンは、定説・通説を記すとともに、論述 |
5日 | 私は今回、概説として「日本古代史の謎」を講義して |
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人類史の大変革 | 人類史の大変革 |
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6日 | 人類史を変革させた四つの条件 | 人類史を変革させた四つの条件 本講座は、あなたの知的興味に応え、古代史 |
7日 | 本講座の大目標 | また、あなたの側にしても、ただ無目的に知識を得た、 |
8日 | 国家の発生 | 結論から先に申しあげれば、私はこの講座の出発点、 |
9日 | 人類の歴史 | 変革がどういう場合に起こったかと言いますと、先ず |
10日 | 器具を使う | 手が自由になったということがなぜ歴史を大きく変 |
11日 | 言語と文字の発明 | 第二に、人間の歴史を大きく変化させた要因は、言語 |
12日 | 食糧生産の技術開発 | 第三には、農耕・牧畜などの安定した食糧生産の技術 |
13日 | 国家組織の発生 |
第四には、組織的な大変革を起した国家組織の発生です。私は全ての変革の中で人類史上の最大の変革というべきものは、この国家組織の発生に起因するものではないかと考えます。一切において国家の発生が歴史を大きく変化させていると見るからです。もちろん、これは日本史においても例外ではありません。 |
14日 |
そして古代史に於いては、国家の発生がいつのことであり、また国家発生以前の歴史と以後の歴史にどういう変化が生じたのかということが、大きな眼目になると考えます。 |
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15日 | 国家とは何か |
国家とは何かという問題も考えながら、国家の発祥から発展の経過を探り、そこに現れてくる社会や文化を含めた人間組織のダイナミックな変化を見ること。 |
16日 | 注
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アウストラピテクス ネアンダール人 クロマニヨン人 |
17日 | 注 |
人間の共同生活の基礎をなす物質的財貨の生産、分配、消費の行為・過程並びにそれを通じて形成される人と人との社会関係の総体。 |
第2講 神武天皇の建国伝説を疑う |
「古事記」「日本書紀」の記述と国家の起源 |
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18日 | 建国についての記述 |
日本の国家の起源については、日本の古い文献にきちんと書かれています。それによりますと、神武天皇が即位された時を以て日本の国家の発生の時点とする、という考え方が古くから述べられているのです。 |
19日 | 神武天皇 |
「古事記」「日本書紀」(一般にこの両書を合わせて「記紀」と呼ぶ)という日本の古い歴史書の中に共通して書かれている初代の天皇が神武天皇です。 |
20日 | 日本の建国 |
その辛酉の年1月1日に大和の橿原神宮で即位された、これを日本の建国として、それから歴史が説かれるということになっているのです。 |
21日 | 神武天皇の東征伝説 |
「古事記」や「日本書紀」では日本国家の建国についてどのような記述がなされているのか具体的に見ていくことにしましょう。 |
22日 | 簡単な渡航伝説 |
その伝説の中で、日向の国から大和の国を目指して、まず浪速の地に到着したという一説を普通、渡航伝説といいますが、この渡航伝説といわれる部分は非常に簡単な記述しかありません。 |
23日 | 詳しい伝承の大和平定の物語 |
処が、浪速から更に大和の国へ入って付近一帯を征服すると言う大和平定の物語はそれに対して非常に詳しい伝承が記されています。 |
24日 | 二つの部分の連結? |
私はこの、初代・神武天皇の建国の伝説は、具体的な地域に結びついた古い伝承の部分と、全くそうでない別の部分と、この二つの部分が結びつけられたのではないかと考えます。 |
25日 |
先ず、熊野地方を平定した物語、第二番目に吉野川流域の渓谷地帯を平定した物語、第三番目には宇陀地方を平定した物語、第四番目に磯城地方を平定した物語、最後に長髄彦という酋長と戦って生駒地方を平定したという、五つの地方平定物語からなる、極めて細かな伝承物語が記されているのです。 |
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26日 | 渡航伝説と大和平定伝説の不自然 |
この「記紀」における渡航伝説と大和平定伝説の不自然と言える記述の違い。私はまずこの両者の違いに着目します。即ち、この両者の相違は何を意味するのか、ということです。 |
27日 | 日向から浪速までの渡航伝説 |
日向から浪速へ渡航してきたという伝承の中には、ことさらに論ずべきものはありません。不思議なことに地名とか、宮殿の名前とか、何年間滞在したという年数、人名など固有名詞と数詞とがきちんと出てきています。叙事詩的な記述など全く無いのに、地名や人名・数字などいう最も忘れられやすい、変化しやすく伝承しにくい事柄が明示されているのです。 |
28日 |
普通の伝承物語であれば、印象に残り易い叙事詩的な部分が中心となり抽象的で記憶しにくい固有名詞や数詞などき時とともに欠落していくはずですが、渡航伝説はそうした伝承物語の法則ともいうべきものに全く反しているわけです。このことが何を意味するのか、私は答えは一つだと思います。 |
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29日 |
即ち、固有名詞や数詞などだけで構成されている渡航伝説はその記述自体が古い口承文芸の伝承として成立したものではないことを明瞭に示している、と考えざるを得ないと思うのです。 |
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30日 |
それでは、渡航伝説は、どのようにして記されたのかと言えば、これは後から何か新しい知識をもとに、必要があって書き加えられたものであると考えるしかありません。従って、渡航伝説は歴史的事実を示すものではない。と私は推理するわけです。 |
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31日 | 大和平定伝説 |
固有名詞や数詞で満たされた渡航伝説に対し、浪速に到着してから後の伝承になりますと先程述べたように途端に伝承文芸としての叙事詩的な物語が極めて豊富に出てきます。 |