日本古代史の謎 その三 水野 祐氏より   

          第二講   古代史の概説
平成23年8月度

1日 古代史概説の三つのパターン 本講座では、通史或は概説という形で古代史の講義を進めていきます。そこで今度は、通史あるいは概説とはそもそも何であるかに就いて述べておきましょう。通史・概説は、およそ三つのパターンに分けられます。
2日 第一のパターン 第一のパターンは、その時代で定説・通説になっている見解・学説を網羅し、それを要約、説述するというタイプです。これを言い換えればテキスト的な概説といえます。誤りのない、そつのない概説ということが出来ますが、その代わり面白みがないということになりかねないものです。
3日 第二のパターン 第二のパターンは、学者自らが信ずる、もしくは自らの提唱する学説について、その要点を主観的に論述していく概説です。
これはどちらかと言えば専門家を相
手にして学者自身が自分の考えを公開する為のもので、自説を正確に伝えるという目的からまとめられた概説です。これでは、非常に専門的なものになってしまいます。
4日 第三のパターン 第三のパターンは、定説・通説を記すとともに、論述を進める学者自身の独自の考え方をおり交ぜて述べてゆく形を取るものです。言い換えれば。第一のパターンと第二のパターンとを複合させたような形で記述したものです。定説・通説と言われているものを批判しながら、自分の意見をそれに加えて述べていく形の概説がこれに当たります。
5日 私は今回、概説として「日本古代史の謎」を講義していくな際し、この三つのパターンの中で、主に第三のパターンをとつて話を進めていくつもりです。あなたには、予めその事を認識した上で講義を読み進めて頂きたいと思います。 
人類史の大変革 人類史の大変革  
6日 人類史を変革させた四つの条件 人類史を変革させた四つの条件講義の本論に入っていく前に、もう一つ予備知識が必要です。
本講座は、あなたの知的興味に応え、古代史
を学ぶ楽しさを知ってもらう為のものであることは言うまでもありません。しかし、講義の内容面から言えば、ただ私の見解を羅列し或は謎を提示し、その謎解きをやるというだけでは、まとまりのない内容になりかねません。
7日 本講座の大目標 また、あなたの側にしても、ただ無目的に知識を得た、謎解きをしたというだけでは得るものも少ないでしょう。本講座の内容面での大目標とは何か。それを明示しておくことは私にとってもあなたにとつても大事なことと思います。
8日 家の発生 結論から先に申しあげれば、私はこの講座の出発点、あるいは大目標、テーマとでもいうべきものを「国家の発生」に据えようと思っています。そこで先ず、「国家の発生」とは何か、その意味するところを少し述べておきましょう。人類の歴史の中には、全ての状況が大きく変革する契機があります。
9日 人類の歴史 変革がどういう場合に起こったかと言いますと、先ず第一には人間が直立歩行するようになった時です。人間は直立歩行の体得とともに「手が自由に使える」という途方もない進歩の糸口を掴んだのでした。
10日 器具を使う 手が自由になったということがなぜ歴史を大きく変えたかというと、道具を使い、さらに加工して必要な器具を作ることを可能にしたからです。器具を使うことによって人間の文化が急激に発達し歴史をそれによって大きく変わったのです。
11日 言語と文字の発明 第二に、人間の歴史を大きく変化させた要因は、言語とその言語を表記する文字の発明です。言いかえれば記録することが可能となり、過去のことを後の時代に伝える手段が出来たわけで、これは人類文化の上に革命的な変革をもたらしました。
12日 食糧生産の技術開発 第三には、農耕・牧畜などの安定した食糧生産の技術が開発されたことです。これによって、人間は生産経済の時代へ突入しました。それまで自然の力に頼るだけであったものが自らの主体的な活動によって様々な自然物を利用し、器具を使い飛躍的に食糧生産を伸ばしたのです。それは又、余剰生産を生みだし、集団生活や組織の発達を促したのでした。
13日 国家組織の発生

第四には、組織的な大変革を起した国家組織の発生です。私は全ての変革の中で人類史上の最大の変革というべきものは、この国家組織の発生に起因するものではないかと考えます。一切において国家の発生が歴史を大きく変化させていると見るからです。もちろん、これは日本史においても例外ではありません。

14日

そして古代史に於いては、国家の発生がいつのことであり、また国家発生以前の歴史と以後の歴史にどういう変化が生じたのかということが、大きな眼目になると考えます。

15日 国家とは何か

国家とは何かという問題も考えながら、国家の発祥から発展の経過を探り、そこに現れてくる社会や文化を含めた人間組織のダイナミックな変化を見ること。これが古代史を学ぶことの本題だと考えるのです。なぜなら、そうした「変革」に視点を据えることで、初めてその時代に生きた人間の「動き」が感じとられ、歴史が我々人間の「営み」の所産であることを実感できると思うからです。また、そうした視点から獲得する知識と物の見方こそが、今を生きる私たちの糧ともなると思うのです。

16日

アウストラピテクス
ネアンダール人
クロマニヨン人
17日 経済 人間の共同生活の基礎をなす物質的財貨の生産、分配、消費の行為・過程並びにそれを通じて形成される人と人との社会関係の総体。
2 神武天皇の建国伝説を疑う 「古事記」「日本書紀」の記述と国家の起源
18日 建国についての記述 日本の国家の起源については、日本の古い文献にきちんと書かれています。それによりますと、神武天皇が即位された時を以て日本の国家の発生の時点とする、という考え方が古くから述べられているのです。
19日 神武天皇

「古事記」「日本書紀」(一般にこの両書を合わせて「記紀」と呼ぶ)という日本の古い歴史書の中に共通して書かれている初代の天皇が神武天皇です。神武天皇が果して実在した天皇であるかどうかということは問題のある処ですが、とにんく文献を通して見ると、初代の神武天皇が即位されたのは、西暦紀元前660年、辛酉(しんゆう)の年と記されています(日本書紀)

20日 日本の建国

その辛酉の年11日に大和の橿原神宮で即位された、これを日本の建国として、それから歴史が説かれるということになっているのです。

21日 神武天皇の東征伝説

「古事記」や「日本書紀」では日本国家の建国についてどのような記述がなされているのか具体的に見ていくことにしましょう。
神武天皇は、日向(ひゅうが)から大和に移って橿原宮で即位されたと記されています。これは今日の皇室の始祖である神武天皇が日向から出発して大和の国を平定し、そこで国を建てたということを説いていると解せるものです。

22日 簡単な渡航伝説

その伝説の中で、日向の国から大和の国を目指して、まず浪速(なにわ)の地に到着したという一説を普通、渡航伝説といいますが、この渡航伝説といわれる部分は非常に簡単な記述しかありません。

23日 詳しい伝承の大和平定の物語

処が、浪速から更に大和の国へ入って付近一帯を征服すると言う大和平定の物語はそれに対して非常に詳しい伝承が記されています。

24日 二つの部分の連結?

私はこの、初代・神武天皇の建国の伝説は、具体的な地域に結びついた古い伝承の部分と、全くそうでない別の部分と、この二つの部分が結びつけられたのではないかと考えます。

25日

先ず、熊野地方を平定した物語、第二番目に吉野川流域の渓谷地帯を平定した物語、第三番目には宇陀地方を平定した物語、第四番目に磯城地方を平定した物語、最後に長髄彦という酋長と戦って生駒地方を平定したという、五つの地方平定物語からなる、極めて細かな伝承物語が記されているのです。

26日 渡航伝説と大和平定伝説の不自然

この「記紀」における渡航伝説と大和平定伝説の不自然と言える記述の違い。私はまずこの両者の違いに着目します。即ち、この両者の相違は何を意味するのか、ということです。そこで、もう少し詳しく両者を比較してみましょう。

27日 日向から浪速までの渡航伝説

日向から浪速へ渡航してきたという伝承の中には、ことさらに論ずべきものはありません。不思議なことに地名とか、宮殿の名前とか、何年間滞在したという年数、人名など固有名詞と数詞とがきちんと出てきています。叙事詩的な記述など全く無いのに、地名や人名・数字などいう最も忘れられやすい、変化しやすく伝承しにくい事柄が明示されているのです。

28日

普通の伝承物語であれば、印象に残り易い叙事詩的な部分が中心となり抽象的で記憶しにくい固有名詞や数詞などき時とともに欠落していくはずですが、渡航伝説はそうした伝承物語の法則ともいうべきものに全く反しているわけです。このことが何を意味するのか、私は答えは一つだと思います。

29日

即ち、固有名詞や数詞などだけで構成されている渡航伝説はその記述自体が古い口承文芸の伝承として成立したものではないことを明瞭に示している、と考えざるを得ないと思うのです。

30日

それでは、渡航伝説は、どのようにして記されたのかと言えば、これは後から何か新しい知識をもとに、必要があって書き加えられたものであると考えるしかありません。従って、渡航伝説は歴史的事実を示すものではない。と私は推理するわけです。

31日 大和平定伝説

固有名詞や数詞で満たされた渡航伝説に対し、浪速に到着してから後の伝承になりますと先程述べたように途端に伝承文芸としての叙事詩的な物語が極めて豊富に出てきます。 これが意味するところは、もう明らかにはずです。即ち、大和平定伝説の方は、渡航伝説とは逆に、確実に伝承に基づいた何らかの歴史的事実を伝えていると見るべきものである、ということです。