文芸春秋7月号」一学究の「救国論」
閉塞感に包まれているこの国はいったいどこで道を
平和22年8月
1日 |
現代知識人の本能的自己防衛 |
2日 |
彼らは「封建制度は悪」という明治以来の日本を支配した欧米歴史学、あるいは「富国強兵は侵略戦争につながった諸悪の根源」という東京裁判史観に縛られているからである。 |
3日 |
確かにヨーロッパを始め世界の封建制度とは、おしなべて専制君主が人民を圧政下におき農民を農奴の如くこき使い、搾り取れるだけ搾り取るものであった。国民のほとんどを占める農民はいかなる希望も持てず、どん底の闇を這いずり回るような生活をしていた。欧米流の歴史学を学んだ現代知識人にとって、幕末から明治初期にかけて来日した外国人の観察は矛盾に満ちたものに映るのである。 |
4日 |
日本の封建制度が他国の封建制度とは似ても似つかないものであったとは考えずに、単なるオリエント趣味の発露に過ぎず珍しい骨董品を誉める程度の他愛ないものと思うのだ。 |
5日 |
実は、江戸末期に来日した欧米人と同じく、日本の封建制度を見て衝撃を受け歴史学の常識との矛盾を感じ悩んだのだ。 |
6日 |
実は、このような態度は現代知識人に固有のものでもない。英詩人エドウィン・アーノルドが先述の、いささか褒め過ぎと思える絶賛を述べた翌朝の日本の各紙における論説は、アーノルドが日本のやり遂げた政治、経済、軍備の躍進に触れず、芸術、自然、人々のやさしさや礼節といったものばかりを賞賛したのは、日本に対する一種の蔑視ではないかと憤ったのである。 |
7日 |
また明治に長年にわたり日本に暮らしたジャパノロジストのチェンバレンはこう書いている。「新しい教育を受けた日本人のいるところで、諸君に心から感嘆の念を起させるような、古い奇妙な、美しい日本の書物について、詳しく説いてはいけない。・・・一般的に言って、教育ある日本人は彼らの過去を捨ててしまっている。彼らは過去の日本人とは別の人間、別のものになろうとしている」。 |
8日 |
同様のことは明治9年に東大医学部創設期のお雇い教師として来日し日本人と結婚、30年近くにわたり日本に滞在したドイツ人ベルツもこう書いている。「現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくないのです。それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます」。 |
9日 |
彼が教養ある紳士達に日本の歴史について尋ねると、ある人は「いや、何もかもすっかり野蛮なものでした」と答え、ある人は「我々には歴史がありません。我々の歴史は今からやっと始まるのです」と断言したのである。 |
10日 |
明治の頃にせよ、何か新しい価値観に立って進もうとする時、日本人は過去を完全に捨て去り猛進しょうとする性行があるようである。終戦後大ヒットした「青い山脈」に「古い上衣よさようなら、さみしい夢さようなら」とあるようにだ。 |
11日 |
外国人を魅了した日本文化の美徳とは何か |
12日 |
こういった見聞録に対する現代知識人の冷笑主義に私は与しないが、百歩譲ってその言い分を認め、そのような印象が単なる幻影だったとしても、少なくとも当時来日した殆どの外国人に、そのような幻影を抱かせるような現実が当時の日本にあったことは間違いない。 |
13日 |
その現実とは何か。明治4年に来日したオーストリアの長老外交官ヒューブナーはこう断言する。「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何と言われ何と考えられようが、兎も角衆目の一致する点が一つある。即ち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである」。 |
14日 |
無論、幸せとか満足感に基準はない。当時の欧米は産業革命の真っ只中でありその歪みも出始めていたが、その頃の自国の人々の表情と比べての印象であることは否めない。 |
15日 |
苛斂誅求に喘いでいた筈の当時の農村で、人々が貧しいながら皆幸せそうにしていた、と多くの外国人が言う時、「苛斂誅求に喘いでいた」の真偽を疑うことが先決ではないのか。 |
16日 |
日本をよく見て歩き、将軍家定に謁見するまでしたハリスが「将軍の服装は質素で、殿中のどこにも金メッキの装飾はなく、柱は白木のままで、火鉢と私のために用意された椅子とテーブルの他にはどの部屋にも調度の額の類が見当たらなかった」と書いたのはハリスの幻だったのか。 |
17日 |
世界のどこの地域でもなし遂げられなかった、かくも素晴らしい社会を作った日本人の、卓越した特性をなぜ日本人は誇りに思わないのだろうか。 |
18日 |
現代日本の教科書では無論ほとんど一切触れられていない。前述のように歴史家がそれを嫌い、知識人がそれを忌むからである。自らを自慢することはしたくない、という日本人の謙遜もそこには働いている。 |
19日 |
祖国への誇りを子供に育むのは軍国主義につながりかねない、愛国教育ではないのか、などと本気で心配したり、近隣諸国条項を考慮したりする。 |
20日 |
昨春、私は御茶の水女子大学を定年退官下が、定年前の約十数年間、専門の数学以外に、「一年生対象の読書ゼミを年に一コマか二コマ担当していた。よく新入生にこう尋ねてみた。「日本はどういう国と思いますか」。彼女達の答えには、表現の差こそあれ「恥ずかしい国」「胸をはって語れない歴史を持つ国」などと否定的なものが多かった。 |
21日 |
理由はほぼこういうものだった。 |
22日 |
私は彼女達がかくも酷い国に生まれた不幸に同情した後、必ず聞くことにした。 |
23日 |
これで学生達は沈黙する。私はたたみかける。 |
24日 |
私は学生に更に問う。 |
25日 |
理系の学生がいれば更にたたみかける。「世界中の理系の大学一年生が習う行列式は、ドイツの大天才ライプニッツの発見ということになっていますが、実はその10年前、元禄年間に関孝和が鎖国の中で発見し、ジャンジャン使っていたものですよ」。学生は完全に沈黙する。毎春の授業風景であった。 |
26日 |
これは私の学生のみに見られる傾向ではない。世界数十ヶ国の大学や研究機関が参加する「世界価値観調査」によると、18歳以上の男女をサンプルとした2000年のデーターだが、日本人が「自国を誇りに思う」の項で世界最低に近い。 |
27日 |
「もし戦争が起こったら国のために戦うか」は05パーセントと図抜けて世界最低、ちなみに韓国は74パーセント、中国は90パーセントである。恥ずかしい国を救う為に生命を投げ出すことなど有り得ないのである。 |
28日 |
アメリカによる巧妙な属国化戦略 |
29日 |
終戦と同時に日本を占領したアメリカの唯一無二の目標は「日本が二度と立ち上がってアメリカに歯向かうことのないようにする」であった。 |
30日 |
その為に、日本の非武装化、民主化などを行なったが、それに止まらなかった。第一次大戦後、二度と立ち上がれないほどドイツを非武装化し弱体化したが、たった20年でヨーロッパ最強の陸軍を作ってしまったのをよく知っていたからである。 |
31日 |
日本人の「原理」を壊さない限り、いつかこの民族が強力な敵国として復活することを知っていたからである。特に昭和19年秋に始まった神風特攻隊から硫黄島、沖縄と続く理性を超越した鬼気迫る抵抗に震撼した直後だけに、なおさらだった。 |