明文化されない文化
日本は明文化されない文化である。
例えば神道、キリスト教などと違い、神道は聖書も無く、明文化された教義も無い。
このように日本は「明文化されていない文化」の文明なのである。
明文化しなくてもよい、その必要がない優れた「和」の土壌なのである。
モーゼ、論語、孟子など国の民は
例えば、モーゼの十戒の
「殺してはいけない」、
「盗んではいけない」、
「偽証してはならない」などと言うのは、そのような行為が実際に沢山あったからその戒めとして直接的表現で発したのである。
中国の、孔子や孟子の儒教なども、良い行いが出来ない民だからこそ、しつこく教えた、それが「論語」等に文章化され継承されたのである。
古代から高い日本人のレベル
聖徳太子の「十七条の憲法」は、モーゼ、孔子、孟子のようには説かない。
日本の場合は、「当たり前」の事であり成文化の必要が無かったのが真実である。
外国では、明文化し厳しく教えなければならなかった。
日本では古代から常識以前の当然のことなのであった。
日本人のレベルは高かったのである。
徳永日本学研究所 代表 徳永圀典