現代宰相論―大将の器とは その2

  平和22年8月

 1日 老酒と生一本

さて、人間の多様さ、複雑さは計り知れないものがある。その点、中国には生一本のような単純な日本と異なり、老酒とも呼べる複雑にして多様な歴史の中から発生した「人間観察眼」が蓄積されている。

 2日 八観六験の
人物鑑定眼

人間学の豊富な中国であろう。易でも人相でもそのような中から生まれたものだ。人間とは如何なるものか、人物とは何か、人間の鑑識、評価に中国では古来より多くの研鑽がありその中に「八観六験」がある。

 3日 第一は、

「通ずれば其の禮する所を観る」

「八観」とは八つの見地、観点から人間を研究、検討したものである。順次説明することとする。
第一は、「通ずれば其の禮する所を観る」である。通ずるとは通じ達するである。その道に通達して行くにつれ地位が上る、職責が重くなる。そういう具合に通達するに従って、「何を大切にするようになるのか」「何に対してお辞儀をするか」、これが禮である。鳩山は総理になっても靖国に参拝しないとは日本人の持ち合わせる感性ではない。

 4日

政治家であろうが、経済人であろうが、教育家であろうが、どんどん伸びて行くにつれて、どういうものを禮するか、礼拝するか、尊敬するか。卑しいものは拝金主義の如く「金」のみ礼拝する。これは一番下等である。益々読書するとか、立派な古典を読むとかの人物は良いものを禮していることになる。バーで女漁りするようになるのは下等である。それらを観察することによりその人物が洞察できるのである。

 5日 第二は
(とうと)ければ其の進む所を観る

第二は「(とうと)ければ其の進む所を観る」。地位向上とともに優れた人材を推薦するなどは良い人物である。悪い奴は、あの株を買いませんかと邪道に入り下品となる。地位と共に力が加わり好き勝手なことが出来てから本当の人間の真価が表れてくる。そこを見届けるのだ。小沢一郎など金マミレである。

 6日 第三は、
「富めば其の養う所を観る」

第三は、「富めば其の養う所を観る」。地位が上り金の余裕で出来ると、何をするのか、何を養うのか、女を養うのも出てくる。この金の使い方で人物が見極められる。人を観るのには時間もかかる。鳩山君は他人の妻を略奪した、カネがあるからだ。こんな男を総理にしたとは噴飯物だ。

 7日 第四は
「聴けば其の行う所を観る」

第四は「聴けば其の行う所を観る」。色々と聴く、情報が入る。それを聴いてそれをどう実行するのか、そこを観察すればその人物の洞察に確信が持てる。 

 8日 第五は、
(とどま)れば其の好む所を観る」

第五は、「(とどま)れば其の好む所を観る」。止まるというのは到達した証拠である。一定の地位に到達した。そうして自由になると何を好むか、人間の本質「地」が現れてくるようになる。諂いを好むか、金か、女か、その傾向を観察すれば人物がよくわかる。菅内閣の荒井大臣などいい事例である。

 9日 第六、
「習へば其の言う所を観る」

第六、「習へば其の言う所を観る」。
習熟する、だんだん仕事に慣れる、そうすると余裕が出来る、その人の生活相応に、地位相応に、話題、趣味、交友というものが出てくる。それを観察するとその人間が良くわかるのである。

10日 第七は
「窮すれば其の受けざる所を観る」

第七は「窮すれば其の受けざる所を観る」。人間というのは窮すると何でもやる、然し窮しても、これだけはしない、と言うものが人間にはなくてはならぬ。良心であり倫理であり道義である。受ける所を観るではなくて、受けざる所を観るというのがミソである。

11日 第八
「賎しければ其の為さざる所を観る」

第八「賎しければ其の為さざる所を観る」。地位も身分もない、低い、賎であっても、何をしないかを観る・何をするかではない、何をしないかである。貧しくとも泥棒しない。これは重要な識眼のポイントである。

12日 イカサマ人間の多い管内閣

このように八観というのを応用すると、大抵の人物がどういうものか、相手の人間の実態がよくわかるのである。政治家など、これで大抵が理解される。だから、政治資金でブラジャー買った荒井大臣など、とんでもない「イカサマ」な人物だとよくわかるのである。これは小沢一郎でも幾ら釈明しても不動産購入した「イカサマ人間」である。

13日 次に
「六験の法」に就いて。

第一は、「之を喜ばしめて以て其の(しゅ)(ため)」である。人間はついつい嬉しくなるとだらしがなくなるものだ。これだけは守るというものさえ、好い気持ちになると失ってしまう。操守という言葉があるが操を以て守ったものもつい手離してしまう。ここに誘惑の魔手が潜んでいる。接待の酒、女、金銭、物品、地位等々の手段で守を失い崩れてゆく。

14日 第二は
「之を楽しませて以て其の(へき)(ため)

第二は「之を楽しませて以て其の(へき)(ため)」。怖いことだ。人間は何か片寄るクセがある。ゴルフ、麻雀、飲酒。読書すればすぐ欠伸する人間が碁を打つと夜通しでもやる。ここに陥穽が潜んでいる。政治家連中が中国で女の接待受けて国益を損じるなど、覿面として人物が見てとれる。

15日 第三は
「之を怒らしめて以てその節を験す

第三は「之を怒らしめて以てその節を験す」。これなど怖い話だね。上役が故意にガンガン特定の部下に激しく当たる、その過程でその部下の能力を験しまた同時に志が本物か験すことができるのだ。怒らせてその人物鑑定が可能なのである。どんなに怒らせても節度を守れるかであろう。

16日 第四は、
「之を(おそ)れしめて其の特を験す

第四は、「之を(おそ)れしめて其の特を験す」。特は独と同じ、独立性である。人間懼れる、或は脅かされると独立性を失い相手の言うままになる。要するに節と同様これを験すことができるのである。

17日 第五、
「之を苦しましめて以て其の志を験す

第五、「之を苦しましめて以て其の志を験す」。苦しめて、いじめつけて、本人の志がどれ位弱いか固いか、真剣かを調べる。人間苦しくなると兎角投げ出す性癖がある。これらをパスしてこそ真のトップの資格者、後継者を見出すことができる。

18日 最後の第六、「之を悲しましめて以て其の人を験す

最後の第六、「之を悲しましめて以て其の人を験す」。これを安岡正篤先生は卓見だと言われた。そのお言葉を披露する。「人間のあらゆる感情の中で最もよく人を表すものは悲しみである。何を悲しむか、どう悲しむか、それがその人の本質、本体を最もよく表す感情である。例えば仏教でも、菩薩、仏というもの、これを突き詰めると慈悲ということになる。慈悲は二字で、もう一つ突き詰めると「悲」という。だから観世音菩薩でも、「大慈(だいじ)大悲(だいひ)観世音(かんぜおん)」という。大慈はいつくしむからこれは柔らかい。悲しむというのは一番深刻です。人間の感情の中で一番深刻なのは悲しむということ。だから、どう悲しむかということを見ると一番その人の人柄、その人の本質がよく分る」。

19日

この八観六験の方法で人間を吟味すれば実によくわかるのである。どんな人間でもその正体が突き止められるのである。これを「腹」に入れて置けば、これは人間として大した存在でもあるし、大きな芸当も出来る。政治、経済、何事も人間のすることだから、人間に通じなければならぬ。

20日 大臣学

さて、次ぎは愈々、本論の「大臣学」である。これは()(しん)()の「呻吟語(しんぎんご)」にある。これは安岡正篤先生の講演から引用することとする。日本の大臣をこの基準で考察すると実によく分るのである。あれは何番だと。 

21日 第一

第一、「寛厚(かんこう)深沈(しんちん)遠識兼(えんしきけん)(しょう)、福を無形に造し、禍を未然に消し、智名(ちめい)(ゆう)(こう)無くして、天下・陰に其の()を受く」。

22日

寛厚(かんこう)深沈(しんちん)

人間が寛大で、寛大でも薄っぺらでは仕様がない。厚みがなければならん。深さがなければならん。深さには必ずなんといいますか、水に物を入れると沈んでゆきますね、これが深沈です。深みと同時に言うに言えない落ち着きですね。こういうのが寛厚(かんこう)深沈(しんちん)

23日 遠識兼(えんしきけん)(しょう)

そして、「遠識兼(えんしきけん)(しょう)」、遠大なる見識、「識」にも色々ありまして、(ぞう)(しき)なんて言うのもある雑駁な知識、それから単なる知識、知識が少しく高まて参りますと見識というものになる。知識がいくらあっても見識がない人があります。物知だけど一向に物の判断がつかない。ディレッタントなんていうのは雑識であります。これに対して、価値判断が高いのは見識という。雑識や、従って浅識、淡識ではだめで人間には見識がなければなりませんが、折角見識があっても、その見識に従って実行する力が無ければこれ又もったいない、何にもならん。そういう実行力がある、色んな妨害や邪魔がありましても、そういうものを断々固として排斥して見識を立てて行く、つまり度胸が要るんですね。これを「胆識」という。だから知識人では人間はダメで、見識がなければいかん。見識も胆識というものになってこなければ十分とは言えない。 

24日 大宰相

寛厚(かんこう)深沈(しんちん)遠識兼(えんしきけん)(しょう)、福を無形に造し、禍を未然に消し、智名(ちめい)(ゆう)(こう)無くして、天下・陰に其の()を受く」。

こういうのは、もう大宰相ですね。「陰に其の賜を受く」という。これが好いですね。人には分らない。然し考えてみると、言われて見るとそのお蔭だというのが、陰に其の賜を受く。

25日 第二等の大臣は

第二は「(ごう)(めい)・事に任じ、慷慨(こうがい)・敢て言い、国を愛すること家の如く、時を憂うること病の如くにして、(はなは)鋒芒(ほうぼう)(あらは)すことを免れず。得失相半(とくしつあいなかば)」。

26日

(ごう)(めい)・事に任じ」、きびきびして、いかなる難問題でも立派に背負う。「慷慨(こうがい)・敢て言い敢言(かんげん)する、人がよう言わんこと、言い難いことを勇敢に言ってける・ズバリ言う。これが敢言。不義不正というようなものに対して勇敢に批判してのける。これが慷慨敢言。

27日 第三等の大臣は

第三「安静、時を()い、(やや)もすれば故事に(したが)うて、利も興す能はず、害も除く能はず」。こういう人は沢山ありますね。大臣の中に・・。安静、なるべく問題がないように、時代にうまく調子を合わせて、何かというと故事・先例と、そういうようなことに従い、「利益も興す能はず、害も除く能はず」というような安全第一主義です。まあ然しながら、これなら無難だ。

28日 第四等の大臣は

第四「禄を()し望を養い、身を保ち、(ちょう)を固め、国家の安危(あんき)(ほぼ)(こころ)に介せず」。自分さえよければいい。安全第一主義で、実は国家の安危なんて言うものは余り考えない。自分さえ良ければいい、まあ平凡な大臣などにはこれが多い。それ以下になると益々悪くなる。

 

29日 第五等の大臣は

第五「功を(むさぼ)り、?(きん)(血ぬる、争い、血を見るような)(ひら)き、寵を(たの)み、()を張り、()(もと)り、情に(まか)せ、国政を(どう)(らん)す」。国政をみだる。功利主義でねぢけ者と言ったような種類ですね。 

30日 一番悪いのは六番目

一番悪いのは六番目、「(かん)(けん)凶淫(きょういん)煽虐(せんぎゃく)肆毒(しどく)善類(ぜんるい)賊傷(ぞくしょう)し、(くん)(しん)()(わく)し、国家の命脈(めいみゃく)を断じ、四海(しかい)の人望を失う」。(かん)(けん)は非常にねじけて然も険しい。平和的でない。非常に物騒、奸という文字は女には気の毒な文字であります。これは本当は「欲しい、求める」という字、女が欲しい時には中々油断のならないことを言うので奸という字が出来ておるが、これはどうも婦人には失礼な文字であります。 

31日 これは民主党の大臣の事ではないか

(かん)(けん)凶淫(きょういん)煽虐(せんぎゃく)肆毒(しどく)善類(ぜんるい)賊傷(ぞくしょう)し、(くん)(しん)()(わく)し、国家の命脈(めいみゃく)を断じ、四海(しかい)の人望を失う」。
これは大変な悪党であります。大臣にはこの六等があると云う。・・・これを座右にして、あの大臣は第三だとか批評した戦前の硬骨な読書家がいた。どの時代にも大臣にこういう等級はありますね。これを現代的な少し柔らけば現代でも通用します。