関取に苦言を申すー「相撲道の美学」
名古屋場所が終わった。
全体的に、魅力が欠ける、堕落した「日本の相撲道」は見る気持ちが湧かない。
その理由
逆説的に言えば、「元貴乃花関」の如き、関取としての「精神」、「肉体的美学」に溢れた関取衆が見られないからである。
具体的に申すと
1.
先ず、関取の大多数が肉体のあちこちに貼付している絆創膏のことである。
痛みは理解する。だが、見苦しいばかりである。
私が言いたいのは、「たかが数分の勝負」の相撲で、大観衆やテレビ視聴者に見せる「己が肉体美」を無残な絆創膏で張りまくり、「相撲道の美学」を放棄した精神が出来ておることである。
辛抱が足りないのが見て取れる。弛みきつている様相なのである。
数分の我慢さえ出来ない関取に魅力も未来もあるものか。このような姿は日本の相撲道ではない。
あの名横綱・双葉山は横綱引退まで、隻眼、即ち片方の眼しか見えなかったが、現役時代、誰にも気づかれないで永年優勝し続けたのである。この精神を想起せよ。
たかが数分の相撲に、絆創膏を張って、のこのこと出てくる関取や相撲に魅力はない。まして横綱すらテープつけて出てくるのだから相撲協会も弛んでいる。
2横綱二人の教育がなっとらん。親方に一に責任がある。外国人に「相撲道」の精神を教育せよ。強いだけでは「日本の横綱」ではないのだ。朝昇竜とか白鵬の如き、傲岸不遜な態度は横綱には不似合いなのである。
横綱に推挙した相撲協会理事会と審議会は無能ではないか。自ら墓穴を掘っているに過ぎない。
ここにも日本人の劣化が観られる。
平成20年8月1日
徳永日本学研究所 代表 徳永圀典