「上下乖離」と「寇難並至」
子供の教育について考えますと、父と母とは非常に違い、父の任務は子供の人格を決定する教育を担当することにあります。
子供は愛だけでは駄目であります。愛は犬や猫でも持っておりますが、特に人の子は生まれてもの心つく頃から「敬」することを知って、始めて「恥」づることを知ります。言い換えると人格というものが出来るのです。
この「敬―恥の原理」から、道徳とか信仰等という世界が開けて、民族が進歩してゆくのであります。
その国民道徳の基盤である父子―親子が相疑うようになる。おやじの言うことがどうも信用出来ぬ、あんなことで親父はいいのだろうか、等と子供が父に疑を持つ。
また父も、どうせ時世が違うのだ、俺の言うことなど聞かないし、聞いても分かるまい。一体子供は何を考えているのだろうか、というわけで子供を疑うわけです。そうなると子供は父に背き離れます。
それが上下乖離ということです。乖離ということはただ離れるだけではありません。
ただ離れるだけですと、又結合することもできますが、これは再び元に戻すことが出来ないという決着の言葉です。
今、日本は各方面に於いて「上下乖離」しております。その最たるものが政府即ち内閣に対する乖離であります。
大阪弁で「頼みまっせ」、「頼りにしてまっせ」と言いますが、父親とか為政者というものは国民大衆から頼りにされ尊敬されなければいけません。
これが行われぬということは、そもそも為政者の責任ですけれども、また為政者に対してそういう国民の反感を煽るような議論にも責任があります。
これは言論機関にある者の第一に慎むべきことです。さて、上下が乖離するようになると最後は、「寇難並至」、いろいろ寇難が並び起ってくる。
「寇」は外敵。外国からの攻撃。「難」は国内の難しい問題です。
つまり国の内外を問わず厄介な問題が並び起って来るわけです。これが荀子・人妖の名論と言われておるものであって、歴史的にも間違いのない原理・原則です。これを何とかしてもう少し常識的・良心的に健康に至ることを我々は覚悟しなければなりません。
いかにすれば、良いかということは、これらの古典が十分に教えておりますから、問題はこれを今日の時世にいかに適用するかということであります。
幸か不幸か今年は時局が一層悪化して、所謂危局になるということは免れ得ないと思います。その代わりこれを善処すれば、日本は一段と躍進するでしょう。その重大な岐路が本年でありまして、これは指導者、指導層の責任であります。
政府でいうなら総理大臣を始め各省大臣、会社でいうならば社長を始め各重役、こういう人達は「揆」におる人ですから、この人達の責任としなければなりません。
世の中が世の中だから、マスコミが騒ぎ立てるから、等というのは逃げ口上でありまして、今まではそれですみましたが、もうそういう逃げ口上、臆病な引っ込み思案、卑屈な回避は許されないのであります。
いつも申しあげますように、日本ぐらい国際政治学上微妙な位置に存在する国はありません。西と北には共産主義国家の中共、ソ連、それに北朝鮮が並び、また海を隔て、東にはアメリカがあります。アメリカは現在一番の友好国でありますが、ついこの間までは大戦争をやった敵国です。
ということは率直に言うて、日本がしっかりとしておって始めて友好国であるということで、一度弱体を暴露致しますと、どうなるか分かりません、恐らく世界のどこの国にもないような苦難、混乱、悲劇が始まることは明らかであります。
我々は、どうしてもこれを避けなければなりません。
勿論それには矢張りそれだけの国民的な自覚が必要であります。これは少なくとも心ある人々が意識し始めている問題でありまして、事業の経営なども今後は益々変化が激しくなって難しくなると思います。
従って、皆さんは文字通り揆を一にして、大いに事業を確立し、堅実に発展するよう努力されることが肝腎であります。
現在多くの人々がそういうお手本を待ち望んでおります。どこかによい手本がないかと皆考えている時でありますから、非常な共鳴力がありましょう。それ以外に今日の日本を救う道はないと信じます。
安岡正篤先生の言葉