終戦80年を迎えて 詔勅秘話
鳥取木鶏会 会長 徳永圀典
1. 昭和20年8月15日敗戦、私は鳥取一中、現在の
鳥取西高校2年の級長をしておりました。
齢95才、80周年を語る資格ありと認定されたのか、本日の講話の指名を受けました。
2. 終戦のご詔勅、これを苦心され校正加筆されたのが、不肖徳永圀典の師である安岡正篤先生であります。その詔勅裏話を本日はご披露し、詔勅の意義を再確認したいと存じます。
ごく一部の人々しか知らぬ秘話、真意、安岡先生から内輪で聞いた話であります。
3. その前に、安岡先生に関して少し
安岡先生は、昭和20年終戦時内閣顧問でありました。敗戦し、アメリカは安岡氏を戦犯と名簿に掲載したのですが、シナの蒋介石総統が安岡氏の如き
偉大な漢学者は戦犯に及ばずとされたお方です。
戦後は、歴代宰相、財界首脳などのカリスマ的指導者でありました。私は目撃した事があります。東京の工業倶楽部で安岡氏講演会の時、時の福田総理が安岡先生に最敬礼をしたのを目撃しました。
その安岡先生と、一介の銀行支店長と一席飲む事になろうとは思えない事でした。
安岡先生は、師友会、関西師友会をしておられ
大臣とか財界首脳が参加しておりました。
4 徳永との出会い
忘れもしません、大阪市の衛星都市、20万市民の松原市があります。50年前43才の時、住友銀行
最初の支店長が松原支店長でした。大口得意先の美原病院、500床、創業者片岡菊雄先生と支店長応接室で懇談していました。何故か、私は、蒋介石総統が「恨みに報いる徳を以てす」として中国にいた日本の軍人やらの280万人を全員無事に日本へ帰国させたのです。私は感動し忘れる事が出来ませんでした。父から教えられた老子の言葉を話して、日本人として一度は蒋介石総統の御廟に御礼したいと思っていると話したのでした。
敗戦時、シナ大陸に日本人280万人いたのです。
軍人100万、それを完全に無事に日本に送還してくれたのです、現台湾政府です。御恩がありますね。ロシアは60万人シベリヤに強制連行し悪逆非道の重労働をさせ6万人殺されました。日本は忘れてはならないのです。
安岡先生と出会う、この辺りが、多逢聖因、縁尋機妙、というものなんですね。言葉の重みを噛み締めます。
それから一週間後、片岡氏がやって来て、徳永支店長、安岡先生と夕食するから参加せよと。
驚嘆しました、怖いもの知らずの私は快諾する。
小笠原流の作法を整え、初対面の安岡先生に威儀を正し平伏、「不束者でございますが」とご挨拶申し上げた。先生は「これは、これはのご挨拶、痛み入ります」と、ほっとしましたね。
それから、一週間後、驚くべき事を片岡氏が言ってきました。
徳永支店長、台湾に蒋介石総統の御廟参拝に行こう、安岡先生が台湾政府に紹介状書いてくれたよ。
あっと驚く、台湾に公賓で入国しました、税関フリーパス、外務次官と全人代、国会の議長と面会し、公用車で蒋介石御廟へ参拝し私の悲願は30年で達成されたのです。ご縁とは不思議ですね、それが、多逢聖因 縁尋機妙であります。
皆さんはご存じないでしょうが戦争中のシナの陸軍大将、歴史上の人物、何応欽将軍も訪ね会談しました。
六 愈々終戦の詔勅の秘話です。
安岡先生が自ら内輪にだけ話された秘話です。
そのまま、お読みしましょう。
「この詔勅、これは私が本当に心血を注いで起草の任に当たった。特にギリギリ決着、二つの大きな事を考えた。
御気の毒に、昭和天皇が、日本有史以来2千年で初めて屈辱の詔勅をお出しにならなければならない。
これは永遠に歴史に残る事であるから、降参したと言う悲鳴のような詔勅は絶対にしてはならぬ.
それよりも、後世の歴史家が、戦争に負けて降参する奴が、さらりとは、大ボラを吹いたものだと、呆れるような言葉を、さりげなく、学問上の、それも、中国に負けたのだから、中国の古典に則って、中国人が腹を立てるよりも、驚嘆するような言葉を使いたいと、トンデモない野心、日本の天皇、日本皇道の為に、これを考えたのであります。
それと、日本は、戦いに敗れ、刀が折れ、力が尽きて屈服するのではない。勝とうが負けようが、勝敗は兵家の常、と言う事が、幸い中国の書物、孫子にあるので、勝った負けたは歴史的に極めて一時的なもっと高い道徳的立場からこうするのだ。
この二点だけは明確にしておこうと考えて、非常に苦心して、文字通り捻出したのが、
あの「万世の為に太平を開く」であります。
この言葉は、中国人なら学者なら誰知らぬ者はない宋代の哲人、張横渠であります。
終戦80年を迎えて 詔勅秘話 その2
日本は戦争に負けて、実は降伏するのだが、天皇には降伏すると言わせず、「万世の為に太平を開かんと欲す」と言う言葉を入れる。
これで初めて、世界の歴史に、日本と言うものが伴って、日本の天皇と言うものは、「どえらい事を言うものだ」と感服するやつが出てくる。
それと負けるのは、戦に負けたら降参するんじゃないんだと、
勝とうが、負けようが、どっちにしても、
信義に基ずいてやめるんだと。
これを道義の至上命令と言って「義命」と言う言葉がある。
「義命の存するところ、これで戦をやめる」と。
この二つは、詔勅の中の二本柱だと。閣議で、どんな議論が出ようと、この二つの言葉だけは、絶対に変更してはならない。
もし、そうするならば初めから作り直せ、俺は知らん。関与せんと言った。
その次に、「義命」と言う言葉は聞いた事が無いと言う。おのれ達の無学を棚に上げて、自分が知らんから人も知らんと思ってる。学問上の厳粛な言葉を捨てようとしたらしい。そこで迫水書記官長が非常に頑張ったと称するんだが、どうだか分らんが、ともかく、そういうのならば、どっちか一つ、それには「義命」なんて言葉は俺たちは知らんから、こんなものは捨てようと、えらい大法螺を吹くようだけど、そんなに言うなら、これは仰せに従おうじゃないかと、言うことで、これを入れたらしいんだ。後になって聞いたのだが。
そして愈々放送があって、新聞には「万世の為に太平を開く」と言うとこだけが、特別の大活字で、デカデカとどの新聞にも出ている。
けれども、一方のほうは犠牲にして、「時運の赴く所」となっている。
時運の赴く所とは、風の吹き回しと言うことだ。
風の吹き回しで調子が悪くなったから、お辞儀をすると言う事だ。
それなら、日本の天皇陛下、皇道哲学にはならん。
勝とうが負けようが、運、我に良かろうが悪かろうが、そんな問題ではなく、天皇の良心、厳粛なる良心の命令で戦争は止めるんだ。
と言う事なのです。
あとで、迫水君達に言ったのだが、なんだか終戦の詔勅を刷修したのは私の名誉のように言う。分からん奴がおる。私は反対に考えておる。
私の千古の、永遠の遺憾と思っている。
仮に後世に私と同じような学者がいて、この事を事実に基づき知ったら、安岡と言う学者は大学者か知らんけれども、博識かも知らんが「時運の赴く所」なんて言うようでは、日本の国体、天皇と言う者も分かっておらん。学者としても博識かも知らんが達識ではない。
こう批判するぞと言うことだ。
私が後世の学者ならば、だから、これを執ったと言う事は、私にとり永遠に、この詔勅に私が筆を執ったと言う事は言われたくない。また残したくない。出来るなら抹殺して貰いたい。私を忘れたいと思うくらいだ。
分ったか分からないか、迫水氏はただ恐れ謹んで聞いておったが、
それっきり私は一切言わず語らず、戦後ずいぶん、ねだられ強要されたけれども、詔勅の事を言わず語らずに押し通してしまった。
ただ、いつともなく漏れて半分負けたような事を、あちこち書いておる。ただその後、終戦後だか、8月15日、当時の閣僚が集まって記念午餐会をしておった。その席に私を招待して話を聞かせろという。
それで初めて私は当時の閣僚連中に終戦の詔勅の話をして、折角この二つ、聞けば二つとも削除しようとしたそうだが、まあこれだけ残して「義命」を削除した。
聞けば、我々も聞いた事がない言葉で、こんな事は国民が分る筈がないとか言う理由でやめたそうだが、それは学問上から言うなら極めめて普通のことだと。
聞いた事がないのは貴方がたが無けだから聞いた事がない。
我々には当たり前のなんだ。と言ったら、みんなシューンとしておりったな。
もう、これだけ言うたら胸がスートしたから、もう二度と再び諸君はもとより国民の如何なる者に向かっても、こういう事は言わん、とい言うて話を終わった。
散会の時、みなうなだれてシーンとして、面を上げる者も無かったが閣僚の中から一人、当時の司法大臣をしていた松阪と言う人が、代表して答礼に立って、これは非常に謹厳な君子人であった。
初めて深々と頭を下げて、「我々は無学にして御志をさらに解せず、誠に取返しのつかぬ失態を演じまして、謹んでお詫び致します
」と真剣に詫びられて、これは私に詫びられたって仕方ない、
天皇陛下にお詫びしなきゃいけない。あんまり。いじめると可哀そうだから、その辺で引き下がつた事であった。
この度は、内輪の会だから、皆さんにご紹介した所以であります。
時間が参りましたから本日の講演はこれで終わります。完
魂を失った日本人
一 それは国史の言葉の喪失に端的に表れております。
イ 世界最古の日本歴史2000年
連綿と続く天皇 人類歴史の誇りであります。英国はたかが700年、アメリカは300年、
シナはやっと80年、
ロ 外国人旅行者年間3000万人
歴史の都京都には1000万人が訪れる、外国人は日本文化に痺れております。
あの絢爛豪華な祇園祭の無数の屋台神輿、西陣織の華麗なる織物に感動してます。
いかなる外国と比較してもレベルが格段に違う。
全国各地の祭の多様性、自然の素晴らしさ。美しい国です。
ーー2000年 一系天皇の存在あらばこそであります。
ヨーロッパを見よ。中近東を見よ、ロシアやシナを見よ 戦争が絶えません。
元首たちの嘘つき
プーチンの嘘つき、ごまかし 騙される方が悪いのが当たり前顔の習近平
海賊の子孫 アングロサクソン トランプ アメリカの強引さ
ユダヤ人とアラブ人の数千年の確執 みな途絶える事はない
徳永説「争いの絶えない理由」 本邦初公開 帰納法的に説明します。
イ 2000年前のヨーロッパ 古代ローマ帝国は 平和300年
ロ 日本 平安時代400年 徳川時代300年間平和
戦争は無く、共に平和な時代として名高いのです。
1. 古代ローマ帝国は「多神教」でした。
2. 日本は「八百万の神々」であります。
一緒なのですね、自然崇拝なのです。
大自然は「絶対」なのです、絶対法です。それを神としていた古代ローマと日本。
大自然は、人間も含め絶対であります。人間も大自然の産物です。
その大自然を「神」として恐れ崇めて古代ローマ人と日本人、
だから平和なのです。
三
明治以前。外人の来るまで、日本人には「登山」と言う概念は無かった。
山々は「神の住む場所」であった。
西洋人が日本人に登山を教えた。自宅に家族同様に「牛」と暮らしていた日本。
牛肉を食べ始めたのは明治以降ですね。
四、戦争の絶えないヨーロッパの原因
古代ローマ帝国が亡び、一神教になってからだと思います。
ユダヤ教 キリスト教 イイスラム教です、
この三大宗教の神は、神を見たという預言者の言葉を数千年信じています。
人間とは「間違える存在」であります。だから二千年間、あの地域は
争いが絶えない。
曰く、ゲルマン民族大移動から始まり、多度重なる十字軍、
ユグノー戦争、オランダ独立戦争、30年戦争、オランダ杉リス戦争
北方戦争、スペイン戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争、
残酷なフランス革命、クリミヤ戦争、普仏戦争。70年戦争、
第一次世界大戦、ドイツがポーランド侵入し第二次世界大戦始まる。
中東戦争は第三次から続発しています。
イランイラク戦争、数えきれないヨーロッパと中近東の戦争。
アメリカの西部開拓など原住民を殺しまくった美名てすね。