大谷吉継の見識

大谷吉継の関が原の合戦に従った家来は、僅か600人、敗色が濃くなっても逃げ出す者は一人もいなかった。また吉継の意見を受け容れた三成も6千の軍勢を率いて全員が死力を尽くして敗れ去ったのである。

安岡先生の東洋人物学の中から、石田三成に宛てた大谷吉継の手紙を下記する。

「貴殿は常々、金銀を貴く思われ、人にも金銀さえ与うれば、何事もなるように存じられ、家人等にも、そのごとくせらるると見えたり。これは心得違いなり。勿論、金銀は世の中の宝の第一なれども、用い様あしければ、害ともなるなり。

また、家来などには、別て実意を持ってせざれば心服せず。誠に服せざれば、大切の時の用に立つべからず。されば、人は遣い様によるものなり。

主人貧しき時は、自ら礼儀も厚ければ、士の思いつく事も深し。主人富める家にて、禄をも沢山に与え、その外のものをも心よく呉れる故、如何様に心なく召使いても、その位の事はすべき筈とて、過分とも思わず。

君従ともに実義薄くなり、はじめは其の家を望み来し者も後には見おとりて、貧しき主人の礼儀厚き程には思いつかぬものなり。然れども、一概にも言難し」