加速する老大国に思う

生地の自宅に時々帰るが人通りが少ない、人に会わない、朝の小学生が激減している。
小売店等のレジに若い女性が少なく高齢なご婦人も散見されるようになった。
郡部の町が森閑とし旧市内でも商店街は無残な姿となった。住宅地も空き家が目立つ、
それは全国的でもあり急速に人口減少が具象化されてきた。団塊世代高齢化は大きな社会的節目である。
明治の人口は3千万人、100年で12千万となる。今度は逆ラセン型で人口減少に伴い経済も縮小均衡
が始まる、これは人類初体験の恐るべきものであろう。これらに対する真剣な洞察による具体的論議は
国会も、国民の中からも本気で起きてこない!重大、喫緊の国家・国民的課題にも拘わらずである。

昭和初期は「産めよ増やせよ」もあったが戦後社会の高度成長による富裕化と共に発生する出産の減少は常則。
昔の人は食料は自給自足、今日的生活は人間本来決して自然でなく、極力生涯現役のつもりで心を弛緩させず
体も怠けないように日常生活をしているが、これからの時代は「この認識を革命的に実践した方々」が
高齢化社会の勝者となる予感がする。65歳程度で完全年金生活を始めるのは精神的にも健康上も、
また社会未来的にも極めて非合理の感じがする。昭和と異なり引退年齢は健康上の理由等を除き
大幅延期しなくては社会はもたないだけでなく個人健康上も大きな支障を招くと洞察する。同時に、
未来社会の為に、新しい産めよ増やせよ意識の向上を社会が希求する事が必要ではないか。
その効果は20年先のことなのである。子は社会の宝、新生児一人年間200万円くらいの補助を差し上げる
のは当然の社会認識を醸成したいものである。
     徳永圀典