豊臣秀吉 不運な人材、理念無き者の末路

安岡先生曰く、「秀吉という人は、人間関係に於いて非常に運の悪い人であった」。

草履取りから天下人となり、巨大な大坂城を築き、絢爛豪華な聚楽第、伏見城を造り桃山時代を開いた。

様々な施策、また朝鮮出兵という暴挙、「仁徳ある参謀」にも恵まれたが、悉く先立たれ、政治の根本となる仁徳よる理念が形成されなかったと言う。

その点、徳川家康は、ブレーンに支えられて仁徳ある政治理念を創出したから長期政権を維持できた。