秀吉のブレーン

竹中半兵衛重治、堀秀政、蒲生氏郷、そして小早川隆景である。

竹中半兵衛

秀吉の不幸の第一は竹中半兵衛、秀吉は、諜報や交渉には長けていた。だが、一軍を動かす戦略、戦術という軍略は、どちらかと言う不得手であった。それを補い余りあるのは半兵衛である。秀吉は半兵衛の軍略に全幅の信頼を置いた。浅井長政の小谷城攻め、播磨の三木城攻めに辣腕を振るった。半兵衛は軍隊内にいるだけで将兵は粛然としたと言う。34歳で病死したが、彼を失い秀吉は希薄である「徳」が奪われたと安岡先生は指摘され惜しまれた。半兵衛は元々は岐阜・斉藤竜興に仕えたが滅びてから織田信長に仕えていた。