明治人の勉強は 

久米邦武や福沢諭吉は、どんな勉強をしていたのか。 

当時のサムライたちの教養の素地は、具体的には「四書五経」、「記紀」、「万葉集」、「日本外史」などの漢学や国学であり、中国と日本の古典双方から学んだ「

歴史と倫理」に裏打ちされたものであった。 

洋学の代表選手であった福沢諭吉や中村正直も漢学の素養はたっぷり持っていたのである。 

福沢諭吉の読書は

彼の自伝によると、経書を専らとして、論語、孟子は勿論、すべて経義の研究を勉め、ことら先生が好きと見えて詩経に書経というものは本当に講義をして貰ってよく読みました。

それから、(もう)(きゅう)世説(せせつ)、左伝、戦国策、老子、荘子のようにものもよく講義を聞き、その先は私ひとりの勉強、歴史は、史記をはじめ前後漢書、晋書(しんじょ)、五代史、元明史略(げんみんしりゃく)というようにものを読み」とある。 

諭吉の勉強振り

ことに私は、左伝が得意で、大概の書生は左伝十五巻のうち三、四巻で仕舞うのを、私は全部通読、やよそ十一度読み返して、面白いところは暗記していました、とあるのだ。 

久米邦武は

佐賀藩の上級武士であり要職を歴任した能吏の父の下で育ち、七歳で既に「和漢三才図会」という百科図鑑に熱中したという。十二歳の頃、父から買い与えられた「史記評林」、「四書大全」、「歴史綱鑑」、「明鑑易知識」、「詩林良材」、「前太平記」、「北条時頼伝」などを読破している。 

十六歳で藩校・弘道館に入り、さらに江戸の昌平黌に留学した。父の邦郷は実務家で「算を知らずしに生活を遂げんと思うにや」と言い、数学や実務の勉強の必要性も強く説いたという。 

エッセンスは歴史と倫理

久米の回想、「余が父は儒学を?(がい)(やく)(おろかな学)看過(みな)して、余が読書熱をさまし、実務に心をよせしめんとするにあり。然れども、余は才知を発達さするには、古の聖師賢友に(つい)てより(ほか)にその便りはなしと信じたる反動力の衝突により、斜めに史学研究の方針をとりて走りたるなり」 

福沢や久米の勉学歴から当時の教養の培われた背景が伺われるではないか。エッセンスは要約すれば「歴史と倫理」であろう。歴史から社会のルールや知恵を学び、倫理から人間としてのルールと知恵を学んだのである。 

素読

素読の繰返しによるその学習方法は、勢い熟読玩味して血肉に至るものとなり、大事な所は暗記してしまう迄習うところに、身についた真の教養というべきものとなって行くのである。 

明治の元勲たちは、このようにして、程度の差はあれども、素養と教養があったからこそ、西洋文明に遭遇しても正面からこれを見据えてよく対象を把握し得たのである。

          徳永日本学研究所 代表 徳永圀典