徳永圀典「論語」F 平成19年8月

私は、このホームページで多くの聖賢・偉大なる先人の格言・箴言を数多く引用してきた。人口に膾炙している論語だけは何故か取りあげていなかった。五年経過して漸く論語に触れたいという思いがこみあげてきた。矢張り我々の幼少時代から日常生活の中に溶け込み、肌感覚の親しみ、或いは血肉となっているように思える。色んな解釈があっていい、然し、何か悩みがある時、難問・難題に直面した時、年齢に相応したヒントが与えられるのも論語ではなかろうか。気の向くままに、日々の制約も無しに、順序も立てないで、取りあげてみたい。平成1931日  徳永圀典  

八月は三日に一度。

 1日 子曰く、賢を見ては(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり

子曰。見賢思斉焉。見不賢而内自省也。里仁第四第十七

人の賢、不賢を見て自分の参考にして向上しなさい。
 4日 子曰く、父母に(つか)えては、(ようや)くに(いさ)む。志の従われざるを見ては、又敬して(たが)わず、労して(うら)みず。

子曰。事父母幾諫。見志不従。又敬不違。労而不怨。

 里仁第四第十八

父母を諫める道。父母過ちあれば意に逆らわぬように温和の言辞で罪悪に至らしめぬ。
それでも従わねば固執論争せず、時機を見る。
 7日 子曰く、父母(いま)せば、遠く遊ばず。遊ぶこと必ず(ほう)あり。

子曰。父母在。不遠遊。遊必有力。里仁第四第十九

父母が生存中は遠くに遊ばない。遠い場合は父母に事前に知らせよ。
13日 子曰く、三年父の道を改むる無きは、孝と謂うべし。

子曰。三年無改於父之道。可謂孝矣。里仁第四第二十

支那では父母の喪は三年、この間は家法は改めぬがよい。それが孝子の道。
17日 子曰く、父母の年は、知らざる()からざるなり。(いつ)は則ち(もっ)て喜び、一は則ち以て(おそ)る。

子曰。父母之年。不可不知也。一則以喜。一則以懼。

里仁第四第二十一
子たるものは父母の年齢は記憶しておけ、その長命を願うことと、老衰して孝養する時無きを懼れるためだ。
22日

子曰く、古者(いにしえ)(ことば)()(いだ)さざるは、()(およ)ばざるを恥ずればなり。

子曰。古者言之不出。恥()之不逮也。

里仁第四第二十二
昔の人は言語慎み、みだりに人を批判せず、また自分の志を前以て言わぬ。
これは言うは易く実際は難しいからだ。
26日 子曰く、(やく)を以て之を失う者は(すくな)し。

子曰。以約失之者鮮矣。

里仁第四第二十三
万事、着手する際には、心を引き締め控えめにすれば過失も少ない。
28日 子曰く、君子は(ことば)(とつ)にして、(おこない)(びん)ならんと欲す。

子曰。君子欲訥於言。而敏於行。

里仁第四第二十四
君子は言いすぎて行いの及ばぬことを避けるものだ。
29日 子曰く、徳は弧ならず、必ず(となり)有り。

子曰。徳不孤。必有隣。

里仁第四第二十五
徳のある人は決して他より排斥されることはなく、孤立無援とはならぬ。
31日 子游(しゆう)曰く、(きみ)(つか)うるに(しばしば)すれば、(ここ)(はずか)しめらる。朋友に(しばしば)すれば、(ここ)(うと)んぜらる。

子游曰。事君数斯辱矣。朋友数斯疎矣。

里仁第四第二十六
君主に事えても朋友でも、物には程がある。これが禮である。自分は忠義を尽くす気持ちでも返って君よりうらさがられ辱めを受けることもある。朋友でも頻繁に往来すれば過ぎると疎外されることもある。