朝青龍 

本人が日本文化の粋である国技・相撲を真に理解していないからに尽きる。 

「心・技・体」の「心」がなっておらん、朝青龍は横綱としての自覚が皆無である。 

常日頃の相撲態度が劣悪であるから、巡業親方連中は、もう朝青龍は不要であるとの認識のようである。 

これは、日常の相撲態度を苦々しく思っている一般国民と思いを一にしている。これが多くの日本人の思いである。 

このような関取を横綱に推薦した「相撲協会」「横綱審議会」そして高砂親方が実に悪い。 

中でも、朝潮の高砂親方の指導力は劣悪である。ここまで弟子を増長させ、相撲のそして横綱のなんたるかを教育してこなかつた高砂親方は、髷を切るか切腹ものの責任がある。 

最早や、朝青龍は横綱に復活させてはならぬ。かかる関取は土俵上に立たせるわけには参るまい。 

帰国とか療養とかの問題ではない。

相撲協会は、断固として当初の決定を静かにまもるだけでよい。 

見方を変えると横綱審議会が最高に悪く醜い。なっておらんではないか。心ができていない関取に綱を張らせ、増長曼にさせたのだから。 

平成19822 

徳永日本学研究所 代表 徳永圀典