松平定信 その一

御三卿・田安宗武の子、陸奥白河藩主として善政を敷く。田沼意次の後に老中となり寛政の改革を断行したが失敗した。

江戸中期、幕府政治を支配したのは田沼意次である。彼は賄賂と放漫財政の元凶とされたが、一面では商品経済を浸透させ貿易を奨励し印旛沼の開拓など積極政策を実施している。

だか、改革が急激で、私利が絡んでおり世間の怨みをかい失脚した。開明的ではあったが強引な改革に世間はついていけなかった。

その放漫政治の後、老中になったのが白河藩主・松平定信である。天明の大飢饉の時、白河藩では一人の餓死者も出さなかった善政をしいた。