8月3日 止息清浄心 その三

 三昧というのは昔から殆ど慣用語になっている。従って三昧にもいろいろあります。環境に応ずる三昧、自らの相に応ずる三昧など、例えば我々が慈愛そのものになり切って、そしてその純一なる慈愛から智慧が出る。母は子供を愛する故に赤ん坊のかたことが分かる。男には何を言っているやら分からぬ。母はよく聞き分ける。これは慈愛に徹するからである。これを慈三昧といいます。願い事に一心になる顔三昧です。

                東洋学発掘