河井継之助の陽明学実践 その二

藩の軍事総督となり、兵制と兵器の近代化を計り小藩ながら強力な軍事力を保有するに到る。

幕末の混乱を憂慮した河井は、日本の内乱ほ避けるために、幕府と薩摩・長州との対立回避に尽力した。大政奉還の後、朝廷と幕府の間に立ち、無益な闘争は無用と建白した。鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗退し朝敵になると長岡に戻り、藩の独立自尊を主張、各藩の自治体による連合国家による新日本を目指した。この説は新政府に拒否された。

安岡先生は、この時、交渉役が西郷隆盛であったなら河井の意見を聞いて無益な戦争は起らなかったであろうと言われている。敢然として連合体構想が否定されると藩の先頭に立ち戦いそして破れ卒した、男子であった。