真の幸不幸 

「ある人、問ふ、人・患難に逢ふ、これ不幸なる事か。

曰く、患難は亦これ事を経ざる人の良薬なり。

心を明らかにし、性を 練り、変に通じ、難に達する、正に此の処に在って力を() 

人生最も不幸なる処は、これ偶々(たまたま)一失言して禍及ばず、偶々(たまたま)失謀(しつぼう)して(こと)僥成(ぎょうせい)し、偶々(たまたま)一恣行(いちしこう)して小利(しょうり)()ることなり。

(のち)(すなわ)()故常(つね)となし、(てん)として意と為さず。

則ち行を敗り検を(うしな)ふことこれより大なる患なし。」(格言聯壁) 

口語訳 

ある人が、「心配こどや災難に逢うのは不幸な事ですか」と尋ねたところ、「艱難は世の経験を積んでおらぬ者に対する良薬である。

心を明らかにして、奥深い本性を練り、色々な変化に応じて事を正しく図り得るのは、色々な艱難にあって実力が養われるからである。 

人生に於ける最大の不幸は、失言をしても運がよかったために失敗や禍が身に及ばなかったり、また考え違いをしても偶然にうまく事が運んで成功したり、或は我が勝手をやったのに小利を得ることである。

そして、それを当たり前のように考え、世の中を甘くみると、遂に大きな失敗をして、締めくくりが出来なくなる。これが人生の最大の病である」。 

格言聯壁という支那の書物は清朝末期の金蘭生という有名な逝江地方の長者の著したものであります。 

安岡正篤先生の言葉