岫雲斎「残日録」

愚生56才、住銀傘下・ふそう銀行本店営業部長の時、私的創設の鳥取木鶏会は各月例会を重ね29年目を迎えた。第一月曜日午後6時から9時、中国・日本古典、安岡正篤活学、日本歴史・文化、内外時勢等々を学んできた。在籍40名、常連参加者20名、礼節と長幼の序を旨として運営、多士済々の一家言を有す方々ばかり。古典輪読1時間、愚生講話1時間、残りは自由発言、闊達なものだ。開会冒頭、全員起立し「聞学起承(もんがくきしょう)(もん)、終わり「同学十則」を唱和する今どき珍しい硬派の勉強会県内理論保守の牙城と言われてい

生誕愚生が25
年前から会長として普及活動中の「日本語の誕生歌詞」を全員で歌い祝福する。本会は県民ふれあい会館の生涯学習講座に認定されており創設時からの参加者に事務局を委嘱、よくも29年間休むことなく続いたと感慨深い。5年前迄、米子市からJRで片道2時間かけ5年間参加した女性が米子木鶏会を設立した。近い将来、県東部に八頭木鶏会、中部に倉吉市木鶏会が設立されると確信する。

さて(しゅう)(うん)(さい)文庫のことである。岫雲斎とは還暦後から使用中の愚生の雅号である。(しゅう)(うん)は高山の中腹を出入するは登山を好む。斎戒(さいかい)沐浴(もくよく)潔斎(けっさい)の「斎は、祭祀にあたり起居や食事をととのえ、身を清め、心を戒める意あ学問に相応し好む字である。

去る平成23115日、私は蔵書3000冊と大書棚5個を鳥取県西伯郡赤碕町の由緒ある「伯耆稲荷神社」K宮司に寄贈した。日本海新聞に月一度掲載した1600字コラム原本10年分も含む、死ぬ準備である。

この神社は伯耆(ほうきの)(くに)唯一の稲荷神社、中国地方最高峰・大山(だいせん)の広大な山麓にある。見上げれば秀峰大山(だいせん)()筈山(はずがせん)、小矢筈山、山陰マッターホルンの甲ヶ山(かぶとがせん)勝田ヶ山(かつたがせん)、そして後醍醐天皇ゆかりの船上山(せんじょうさん)へ延々10時間縦走の連山が展望できる愚生の好きな縦走路がある。当地方は山を「せん」と呼ぶものが多い。

その社務所の一室に「岫雲斎文庫」として愚生の蔵書が格納された。愛読した「安岡正篤先生関係200冊」を初め好きな「山岳関係」等々全て提供した。愚生がこの世を去っても、この部屋には間違いなく徳永圀典の残影と余韻が漂っていよう。まだ自宅の書斎に掲額している安岡正篤先生の色紙等も最終的にはここに提供予定。

宮司は校長引退後、全国教育関係神職協議会長、靖国神社評議員等を務める。新しい歴史教科書を考える会の鳥取県支部長であり私はその顧問の関係。

数年前、宮司に案内され近くの日本海沿岸の小高い丘に立った、隠岐の島が幽かに展望できる。その昔、再び島に返らぬと決死の覚悟で後醍醐天皇を御船で伯耆(ほうきの)(くに)は名和村(この神社近く)に上陸、武将・名和(なわ)長年(ながとし)は天皇を背負い船上山の仮御所へ登る。その船頭の子孫が「御船(みふね)氏」、75代目当主・K宮司の弟君が御船家に養子入りしている。母君は因幡の国の古代豪族・伊福部氏出自、日本は正に歴史の国である。宮司は司書の資格も保有、岫雲斎文庫印、図書番号などをつけて整理し文庫を地元に開放されている。この世に徳永圀典が生存した証しが完成した。

参考

日本語の誕生歌詞

祝えや いざ 君の誕生日 いついつまでも すこやかなれ (藤山一郎氏作詞。曲はハッピーバースディと同じ)

聞学起請(もんがくきしょう)(もん)

一.(かく)の如く()()く、(あるい)(いっ)(こく)に生れ、或は一郡(いちぐん)に住み、或は一県(いっけん)()り、或は一村に()り、一樹(いちじゅ)(もと)に宿り、一河(いちが)(ながれ)()み、一夜(いちや)同宿(どうしゅく)一日(いちじつ)夫婦(ふうふ)一所(いっしょ)聴聞(ちょうもん)暫時(ざんじ)の同道、半時(はんじ)戯笑(げしょう)一言(いちごん)会釈(えしゃく)一坐(いちざ)飲酒(おんしゅ)同杯(どうはい)同酒(どうしゅ)一時(いちじ)同車(どうしゃ)同畳同坐(どうじょうどうざ)同牀一臥(どうしょういちが)軽重(けいちょう)(ことな)るあるも、親疎(しんそ)(べつ)()るも、(みな)()先世(せんぜ)結縁(けちえん)なり。

          説法(せっぽう)明眼論(みょうげんろん)

二 我等(われら)(しょう)(えん)によって(あい)(まな)ぶ。一齋先生(いつさいせんせい)(いは)く、(わか)くして学べば(そう)にして()すあり。(そう)にして学べば()いて衰へず。老いて学べば死して()ちず。

 (げん)志録(しろく)

三 ()(がく)(つう)(ため)(あら)ざるなり。(きゅう)して(くる)しまず、(うれ)へて意衰(こころおとろ)へざるが為なり。禍福(かふく)終始(しゅうし)を知って(まど)はざるが為なり。       荀子(じゅんし)

四 花園(はなぞの)天皇宸記(てんのうしんき)にのたまはく、(およ)内外(ないげ)和漢(わかん)書反覆之(しょはんぷくこれ)を読めば必ず其の義を知る。義に於いて(うたがい)()しと(いえど)も、再三(さいさん)乃至(ないし)数回(すうかい)に及んで必ず道義の心を染むる有り。手の舞ひ足の踏むを知らざるの心自然にして(きた)るものなり。書を読む人は必ず此の心を以て稽古すべきなりと。()(そん)(また)(かく)の如し。(いは)んや吾曹(われともがら)(おい)てをや。