8月例会 安岡正篤先生の言葉 鳥取木鶏会
元
元と言う文字には少なくとも三つの意味がある。元は形態的に言うならば、根本、本になる。つくると言う意味から言いますとはじめになる。部分的でない全体的であると云う意味で、これをおおいにと読む。そういう非常に複雑な混然たる、天地創造の意味を元、そのエネルギーを元気というのであります。
人間は元気次第
人間に先ず以て大事なものは、この元気であると云うことであります。いついかなる境地に処しても常に元気である、元気というものは朗らかである。晴れ晴れしておる、快活である。だから人間はいつも快活を失わないということ、これが先ず以て人間の徳の初めであります。元気でないというのでは、そのあと何を言うても仕様がない。いかなる事があっても、いかなる場合にも元気である。
朝の元気
日本の神ながらの道、古神道と言うものがある。これは民族精神、民族文化の最も、それこそ骨髄、真随であります。神ながらの道の一つの根本は、この元気と言うことであります。これは常に清く明らかである。
そこで清明心。一口で言うならば朝の元気である。朝の心である。一年で言うならば元旦の心である。天地で言うならば天地創造の初めの心である。常に我々がそこに立つ。これが古神道の一番大切な真髄である。この元気、気力、骨力-元気を持つものが骨力でありますが、これあるによって人間に進歩があり、そこに必ず、現実にありきたらないで限りなく進歩向上を求むる精神が発達して参ります。 (講演集)
暁
ある朝、今まで何やらわけがわからず闇の中を蠢いていたものがだんだんわかるような気がしていた時でありました。私はふと「暁」という字を思い出すと共に、この字をあきらかと読み、さとると読んだ古人の心がしみじみとわかるような気が致しました。あきらかと言う字は外にも沢山ありますが、暁のあきらかは、夜の暗闇が白々と明けるにつれて、静寂の中の物のあやめ・けじめが見えてくる、物のすがたがはっきり見えてくると言う意味で、言い換えればそれだけ物事がわかると言うことであります。 誰でもそうですが、若い時は夢中になって暮らしていても、或る年齢に達すると、丁度暁を迎えたように物事がはっきりしてくるものです。物事がはっきりわかると言うことは、つまりさとるということです。
もう一つ、同じあきらかでも少し趣の違うのが「了」という文字です。これは、あきらかと同時に、おわると言う文字であります。弘法大師の詩に「閑林独座草堂暁。三宝之声聞一鳥。一鳥有声人有心。性心雲水倶了々」という有名な七言絶句がありますが、この場合の了々はあきらかと言う意味です。漸く物事があきらかになり、人生がわかってきた時が、もうその生涯の終わる時でもあるのです。人間と言うものは実に微妙なものであります。了の一字深甚な感興を覚えさせるではありませんか。 (東洋思想十講)
徳永圀典記