宗教を考える
宗教はイコール平和だと日本人は思っているが、それは「捨てたほうがいい」のです。
一神教は戦闘的、攻撃的な宗教です。
ルネッサンスという言葉をご存知と思います。
何を連想されますか。
西洋史で学びましたね。
ルネサンスは「再生」「復活」を意味するフランス語ですが、一義的には、古典古代の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まりました。続いて、私は、ルネッサンスといえばプロテスタントを連想します。
およそ1000年の間の純粋キリスト教支配のもと、西ヨーロッパ圏では古代ローマ・ギリシア文化の破壊が行われ、多様性を失うことにより、世界に貢献するような文化的展開をすることはできなかった。こうした見方はルネサンス以前の中世を停滞した暗黒時代とみなしたのです。
一神教であるキリスト教の世界は、異教や異端への弾圧で中世1000年間、荒れ狂って戦争ばかりしていた。これは私の神様の本で指摘している通りであります。
ヨーロッパ、十字軍、30年戦争、3年戦争、7年戦争みな宗教戦争でした。
そこで、ルネッサンスや啓蒙主義を経験してヨーロッパのキリスト教は大人になったのです。
日本人には分かり難いのでしようか、
一神教というのは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、きわめて攻撃的な本質を持ちます。
それは彼らにすれば当然、
一神教はもただ一人の神しか認めない。他の神を信仰する人は、「真の教えに目覚めない哀れな人」とされて布教の対象となる。
それでもまだ目覚めない者は「救いようのない異教徒」、つまり「敵」とみなされ、殺されようが奴隷に売られようが当然なのでした。
一神教には、「異教徒以外にも「異端」があるのです。
異端とは「真の教えに目覚めていたのが誤った方向にずれている信徒のことです。
だからイスラム教のスンニ派からすればシーア派は異端、その逆もあるわけです。
日本の多神教はその対極にあるわけです。ならせい800万の神ですからね。
寛容の精神、平和の必要な資質ですが、それは「他者が最も大切にしている存在を認めること」なのですね。
真の意味の寛容とは多神教のものであり一神教のものではない。
イスラム教のコーランは異教とか異端への憎悪に満ち満ちています。殺害も奴隷化も正当だと断言しています。
ですが、現代から1400年前の昔の7世紀、しかも20年足らずの間、苦闘していた時期のマホメッドの「教え」なのですね。
マホメッドが敵に囲まれて戦闘的で攻撃的にならざるを得なかった時期のマホメッドの教えを、21世紀のイスラム過激派は、それを守るべきだと主張している。
これでは平和など到来しません、
世界平和は「多神教」でないと実現できないのであります。
そこでルネッサンス、宗教戦争を1000年間やつたヨーロッパは、
バイブルにある、「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」と書いてあったからという理由で、要するに「政教分離」した、大人になったわけです。
カトリック以外にプロテスタントができ、キリスト教の幅が広がったわけであります。
こんなことを暑いので家で考えておりました。
平成30年8月6日
徳永日本学研究所 代表 徳永圀典