安岡正篤先生の言葉 平成298月例会 徳永選

習慣

 人生の行為に於て習慣は主義以上の価値を持っている。何となれば習慣は生きた主義であり、肉体となり本能となった主義だからである。誰のでも主義を改造するのは何でもないことである。それは書名を変えるほどのことに過ぎぬ。新しい習慣を学ぶことが万事である。それは生活の核心に到達する所以である。生活とは習慣の織物に外ならない。         アミエルの日記

 

人間の四要素

社会主義だの、共産主義だのと理屈を言っているよりも、身嗜みでも善くして、怒鳴ったり、わめいたり、立小便したり、痰唾(たんつば)吐きちらすような習慣を止めるように努力しあうがよい。名を公共や大衆に借って私忿(しふん)を晴らしたり、私欲を遂げる癖を直そうではないか。成功するにつれてがらりと悪変りする風習などをこそ改めたいものである。

人間には四つの要素がある。徳性と知能、技能、及び習慣である。徳性が本質で、知能や技能はいくら有用・有意義でも属性的なものである。習慣は徳性と離すことのできないもので、第二の天性ともいわれる。習慣を軽んずるのは人間の破滅である。 百朝集

 

素行自得

 君子は其の位に素して行い、その外を願はず、富貴(ふうき)に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行う。夷狄(いてき)に素しては夷狄に行い、患難に素しては患難に行う。君子入るとして自得(じとく)せざるなし。  中庸

 この中で一番大事なのは素という言葉と自得という言葉だ。素は素質・本質という意味。

人を指導する立場にある人は、自分の立場に基づいて行う。自分の立場から遊離しないてで行うものである。現実から遊離するのが一番いけない。

自得ということは自ら得る、自分で自分をつかむということだ。根本的・本質的に言えば、人間はまず何を得るか、まず自己を得なければいかん。本当の自分というものをつかまなければならん。自ら自己を徹見する、把握する。これがあらゆる哲学、宗教、道徳の根本問題である。        東洋哲学講座