鳥取木鶏研究会 8月例会 平成19年日 月曜

人づくり入門D」―小学の読み直しー 安岡正篤先生講話小学本文

陶侃(とうかん)広州の刺客(しきゃく)となる。州に在って事無ければ(すなは)(あした)百甓(ひゃくへき)(さい)(がい)に運び(くれ)に斎内に運ぶ。人其の故を問う。答へて曰く、吾(まさ)に力を中原(ちゅうげん)に致さんとす。()()(ゆう)(いっ)せば、恐らくは事に堪へざらんと。其の志を励まし力を勤むる皆此の(たぐい)なり。後に荊州(けいしゅう)刺史(しし)となる。(かん)(せい)(そう)(びん)にして()(しょく)に勤む。恭にして而て礼に近づき、人倫を愛好し、終日膝を(おさ)めて()()する。?外(こんがい)多事にして、(せん)(ちょ)万端(ばんたん)なれども、遺漏(いろう)有る(ある)()く、遠近(えんきん)書疏(しょそ)手答せざる()し。筆翰(ひっかん)流るる如く、未だ()って壅滞(ようたい)せず。()(えん)(いん)(せつ)し、門に停客(ていきゃく)無し。常に人に語って曰く、大禹(だいう)は聖人なるに(すなは)ち寸陰を(おし)めり。衆人に至っては当に分陰(ぶんいん)を惜むべし。豈逸遊荒酔(あにいつゆうこうすい)すべけんや。生きて時に益なく、死して後に聞ゆる無きは是れ自ら棄つるなりと。諸参(しょさん)()譚戯(たんぎ)を以て事を廃する者あれば、(すなは)ち命じて其の酒器()(ばく)具を取って、悉く江に投じ、吏卒(りそつ)には則ち(べん)(ぼく)を加ふ。曰く、(ちょ)()(ぼく)(ちょ)()()のみ。老壮(ろうそう)浮華(ふか)先王(せんおう)(ほう)(げん)に非ず。行ふべからざるなり。君子は(まさ)に其の衣冠(いかん)を正し、其の威儀(いぎ)(をさ)むべし。何ぞ乱頭(らんとう)養望(ようぼう)して自ら(こう)(たつ)と謂ふ者有らんやと。

安岡正篤先生講話

陶侃(とうかん)は陶淵明の曽祖父に当たる人で、本文は晋書列伝の中の陶侃(とうかん)列伝にある。陶侃(とうかん)が今の広東地方の長官になった。毎日役所にあった仕事が無ければ、朝積んである瓦を書斎の外に運び、夕暮れになると又それを内に運ぶ。人がその訳を尋ねた処、答えて言うには、吾方に力を中原に致さんとす。丁度南北朝の大動乱の始まる直前であります。今に本土が大動乱になれば、私は懸命の力を捧げねばならぬ。いい加減にのらりくらりしておったならば、恐らくはその任に耐えることが出来ないであろう。その為に今から身神を鍛え力を作っておくんだと。

後、荊州(けいしゅう)の長官となる。荊州(けいしゅう)は揚子江中流の要害の地で、南北勢力の激突する一つの中心地であります。陶侃(とうかん)は性機敏で官庁の職務に精励した。恭にして礼に近づき、人倫を愛好し終日、膝を揃えて座っていた。当時は、日本と同じ坐り方であります。役所の仕事以外に、人間生活の用事が多く、それでいて万端遺漏無く、親しいものや疎遠なものから来る手紙だと意見書だのには、一々答えざることがなかったという。中々出来ないことであります。筆翰は流るる如く、未だかって停滞したことはなかった。疎遠なものでも引接し、門に停る客がんいくらいであった。常に人に語って言うには、大禹(だいう)は聖人でありながら、寸陰を惜しんだ。衆人に至ってはそれこそ分陰を惜しむべきである。どうして安逸に狎れ酒をくらってばかりしておつてよかろうか。生きてその時代に益なく、死んで後に名も聞えないのは、自分自らこれを棄てているのである。諸々の補佐役がつまらぬ娯楽や遊戯をやって仕事をしないものがあると、命令して酒器や賭博道具を取り上げ、悉く揚子江にぶち込み、下役人や防衛関係の下っ端役人には鞭をふるってこれをぶった。そうして言うには、賭け事は豚買いの道楽に過ぎない。老壮浮華は観念や文筆の遊戯で、見てくれはよいが、人間が法とするに足る正しい言葉ではない。行うべきではない。君子というものは必ず衣冠を正し、威儀を整えなければならない。頭を乱し、そういうことをほ以てしゃれておると思っておるような人間に、物に拘泥しない、人間の出来ておるという道理があろうか。 

朋友の道

司馬温公嘗って言う。吾れ人に過ぐるもの無し。但だ平生為す所、未だ嘗て人に対して言うべからざるもの有らざるのみ。

安岡正篤先生講話

自分は人に過ぐるものがない。平凡である。ただ平生行うところ、未だ曾って人に対して言うことの出来ないようなものがないだけのことであると。これは然し偉大なことだ。

 

(りゅう)(ちゅう)(てい)(こう)(おん)(こう)に見え、心を尽し(おのれ)を行ふの要、以て終身之を行ふべきものを問う。公曰く、其れ誠か。劉公問ふ、之を行ふ何をか先にす。公曰く、妄語(もうご)せざるより始む。劉公、初め甚だ之を()とす。退いて而て自ら日に行ふ所と(つね)の言う所とを?括(いんかつ)するに及んで、自ら相掣肘(せいちゅう)矛盾するもの多し。力行すること七年にして(しか)る後成る。此れより言行一致、表裏相応じ。事に()うて(たん)(ぜん)常に余裕有り。

安岡正篤先生講話

?も括(いん かつ)も曲がらぬようにすること(どう)(ぼく)(たわむ)のこと。何事も力行することが大事であります。 

礼記

丹書(たんしょ)に曰く、敬・怠に勝つ者は吉なり。怠・敬に勝つ者は滅ぶ。義・欲に勝つ者は凶なり。

安岡正篤先生講話

丹書は今日伝わっておりません。周の()(おう)位について、太公望(たいこうぼう)に皇帝の道を尋ねたところ、丹書に曰くと言って説明したということであります。 

(きょく)(れい)に曰く、敬せざること(なか)れ。(げん)(じゃく)として思ひ、(ことば)を安定し、(たみ)を安んぜんかな。(おごり)は長ずべからず。欲は(ほしいまま)にすべからず。志は満たすべからず。楽は極むべからず。賢者は()れて(しか)も之を敬し、愛して而も其の悪を知り、憎みて而て其の善を知り、積みて而も能く散じ、安に安んじて而も能く還る。財に臨みて苟得(こうとく)する母れ。難に臨んで苟免(こうめん)する母れ。(あらそ)うて勝を求むる母れ。分ちて多を求むる母れ。疑はしき事は(さだ)むる母れ。直くして而て有する母れと。

                        苟---いやしくもの意。

安岡正篤先生講話

曲礼は礼記の一章。

浅はかな人は、こんなことを一々苦にしておれば何も出来ないと言うが、それは大きな間違いであります。 

論語

君子に九思(きゅうし)あり。視には明らかならんことを思ふ。聴には聡ならんことを思ふ。色には温ならんことを思ふ。(ぼう)には(きょう)ならんことを思ふ。言には忠ならんことを思ふ。事には敬ならんことを思ふ。疑には問はんことを思ふ。忿(いかり)には難を思ふ。(とく)を見ては義を思ふ。 

(ぼう)―顔。(きょう)―うやうやしく謙虚なさま。

安岡正篤先生講話

世界最初の医書と言われる「素問」の第一章には、あらゆる害の中で、恚(怒り)が一番悪いと言っている。近代アメリカ医学は、人間の感情と汗や呼吸等との関係を調べて、怒りが最も毒素を出すことを証明している。その毒素の注射をしたモルモットは頓死したそうであります。従って「おんにこにこ、腹立つまいぞや、そわか」が一番良いのであります。然し、余り怒らぬと人間はだれる。私憤はいけないが公憤は良い。それよりも自分の不肖に対する怒りは大いに発したいものであります。

 

伊川先生曰く、近世浅薄、相歓狎(かんこう)するを以て、相(くみ)すと為し、圭角(けいかく)無きを以て、相(かん)(あい)すと為す。()くの如きもその(なん)ぞ能く久しからん。()し久しきを要せば、(すべから)く是れ(きょう)(けい)なるべし。君臣(くんしん)朋友(ほうゆう)(まさ)に敬を以て主と為すべきなり。

安岡正篤先生講話

程朱の学は、道徳学的に見てカントの哲学に相通ずるものがあります。よく私は圭角がありますと申しますが、圭とは玉ということで、人を論ずるのに、あれは圭角があるというのはよいが、己を論ずるのに、私は圭角がある、と自分を玉にするのはとんでもないことであります。

  圭角―玉の尖った角。言動・態度がとげとげしく人と折り合わない事。鋭い気性。 

(かん)成るに怠り、病は小癒(しょうゆ)に加はり、禍は()(じょう)に生じ、孝は妻子に衰ふ。此の四者(ししゃ)を察して、終を慎むこと始めの如くせよ。詩に曰く、初め有らざる()し。()く終り有る(すくな)しと。

安岡正篤先生講話

官と宦は大体同じでありますが、強いて区別する時には、官は一般的総称、宦は人間を主として具体的に用いる。文字本来から言えば、役所の中に書類等の山積しておるのが官。宦は臣下が官庁の中におるという文字であります。出世するに従って役人は怠けてくる。病気は少し治って来た時に気がゆるんで、不養生をして悪くなる。禍は怠けるところから生じてくる。親孝行は女房子供を持つ頃から衰えてくる。誠にその通りであります。だから詩経にも「初め有らざる()し。克く終わり有る(すくな)しと。 

論語・霊公篇

言・忠信、行・(とく)(けい)ならば、蛮貊(ばんばく)(くに)と雖も行はれん。言・忠信ならず、行・篤敬ならす゜んば。州里(しゅうり)と雖も行はれんや。

安岡正篤先生講話

民衆の程度の低いところへ行けば直ぐ分かる。如何に理屈が達者でも、如何に文章が上手でもなんにもならない。人間そのものでなければ通じない。 

論語先・進篇

曾子(そうし)曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を(たす)く。

安岡正篤先生講話

古来教養ある階層に普及した名言であります。文とは今日で言う教養であります。教養を以て友を集める。利を以て会するのではない。そうして友を以て仁を(たす)く。仁とは限りない我々の進歩向上を言うのであります。文会(ぶんかい)()(じん)、わが師友会(しゆうかい)もこれを以て(むね)としておるのであります。 

論語・子路篇

孔子曰く、朋友は切々偲々(せつせつしし)たり。兄弟は怡々(いい)たり。

安岡正篤先生講話

切々偲々(せつせつしし)は努力するの形容詞。怡々(いい)は楽しく愉快にすること。簡単でしかも無限の意味を含んだ一文であります。善は人間の生命であるけれども、肉親の間柄で、兄弟は勿論父子の間でも、これを責めるということはよくないと孟子が論じております。肉親はつながって一体でなければならぬ。離れるという事は禍これより大なるはない。だから善と雖もこれを責める事はよくない。和やかに愛情の中にひたっておらねばならない。それが怡々(いい)であります。

然しそれだけでは人間はだらけてしまう。そこで切磋(せっさ)琢磨(たくま)してお互いに磨き合う必要がある。それは肉親の間では出来難い。よって師と友に託して教育して貰う。だから師弟とか朋友とかいうものは、お互いに磨き合うことが根本義であります。父子・兄弟と師友(しゆう)とが相俟って初めて円満な進歩向上が得られるのであります。

孟子・離婁篇

この言葉の前に、父子の間で善を責め合うことはいけないと論じている。師弟の間も同じことで、善を責めあうには矢張り朋友が一番であります。何を言っても構わない。大いに論じあってお互いに磨く。怒るような人間は友とするに足りない。 

子貢・友を問ふ。孔子曰く、忠告して而て之を善導す。()かれざれば則ち止む。自ら(はずかし)むること母れ。

安岡正篤先生講話

子貢が孔子に本当の友たるの道はなんでしょうかと尋ねた。すると孔子は、忠告してこれを善導する。しかし、聞き入れられない時には一旦止めるがいい。無理強いをすると反発するばかりで、却って自分を辱めることになると。相手が人間のことでありますから、いくらこちらが正直に友誼を尽くしても、その善意が分からずにとんだ誤解を招いて失敗することもある。余り無理をしないことが肝腎であります。 

益者(えきしゃ)三友(さんゆう)損者(そんしゃ)三友(さんとも)(なおき)を友とし、(まこと)を友とし、多聞(たぶん)を友とするは益なり。便辟(びんへき)を友とし、(ぜん)(じゅう)を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり。

安岡正篤先生講話

益になる三種類の友達がある。正直な人を友とし、誠のある人を友とし、諒は諒解の誠で、うん、もっともだとうなづける誠。見聞の広い人を友とする。自分の知らない色々の見聞に長じておって、珍しい話を聞かせてくれる友達は実に楽しいものであります。これが益者三友。反対に所謂世慣れた人を友とし、便辟(びんへき)は便利・利益本位、或いは抵抗のない安直なの意。辟はかたよる、或いは避に同じで、厄介なことは避けて相槌をうつ、調子を合わせるの意。気軽に調子を合わせてゆく誠意や実意の無いことを便辟(びんへき)というのであります。又、善であるけれども、ぐにゃぐにゃして事勿れ主義の人を友とし、調子を合わせて媚びる人を友とする。これは損者三友である。

便佞(べんねい)の佞という字は、信と女をくっつけた佞と、仁に女を加えた佞と二通りありますが、従って元来は善い意味を持った文字であります。仁愛に富んだ信のある女の言葉は必ず優しいものである。行き届いて気持ちがよい。そこで信から出る行き届いた挨拶・言葉遣いを佞と言う。それが出来ぬというので、つまり、ロクナ挨拶も出来ぬという意味で、自分のことを不佞(ふねい)と言うのであります。処がだんだん意味が変わって来て、口先だけの信のないことを佞というようになり、佞奸(ねいかん)などと使われるのが普通になってしまったわけであります。 

平成1987日  鳥取木鶏研究会  徳永圀典 謹書