鳥取木鶏研究会 8月例会 平成19年9月3日 月曜
「人づくり入門D」―小学の読み直しー 安岡正篤先生講話小学本文
陶侃広州の刺客となる。州に在って事無ければ輒ち朝に百甓を斎外に運び莫に斎内に運ぶ。人其の故を問う。答へて曰く、吾方に力を中原に致さんとす。過爾に優逸せば、恐らくは事に堪へざらんと。其の志を励まし力を勤むる皆此の類なり。後に荊州の刺史となる。侃・性聡敏にして吏職に勤む。恭にして而て礼に近づき、人倫を愛好し、終日膝を斂めて危座する。?外多事にして、千緒万端なれども、遺漏有る罔く、遠近の書疏手答せざる莫し。筆翰流るる如く、未だ嘗って壅滞せず。疏遠を引接し、門に停客無し。常に人に語って曰く、大禹は聖人なるに乃ち寸陰を惜めり。衆人に至っては当に分陰を惜むべし。豈逸遊荒酔すべけんや。生きて時に益なく、死して後に聞ゆる無きは是れ自ら棄つるなりと。諸参佐、譚戯を以て事を廃する者あれば、乃ち命じて其の酒器蒲博の具を取って、悉く江に投じ、吏卒には則ち鞭朴を加ふ。曰く、樗蒲は牧猪奴の戯のみ。老壮浮華は先王の法言に非ず。行ふべからざるなり。君子は当に其の衣冠を正し、其の威儀を摂むべし。何ぞ乱頭養望して自ら弘達と謂ふ者有らんやと。
安岡正篤先生講話
陶侃は陶淵明の曽祖父に当たる人で、本文は晋書列伝の中の陶侃列伝にある。陶侃が今の広東地方の長官になった。毎日役所にあった仕事が無ければ、朝積んである瓦を書斎の外に運び、夕暮れになると又それを内に運ぶ。人がその訳を尋ねた処、答えて言うには、吾方に力を中原に致さんとす。丁度南北朝の大動乱の始まる直前であります。今に本土が大動乱になれば、私は懸命の力を捧げねばならぬ。いい加減にのらりくらりしておったならば、恐らくはその任に耐えることが出来ないであろう。その為に今から身神を鍛え力を作っておくんだと。
後、荊州の長官となる。荊州は揚子江中流の要害の地で、南北勢力の激突する一つの中心地であります。陶侃は性機敏で官庁の職務に精励した。恭にして礼に近づき、人倫を愛好し終日、膝を揃えて座っていた。当時は、日本と同じ坐り方であります。役所の仕事以外に、人間生活の用事が多く、それでいて万端遺漏無く、親しいものや疎遠なものから来る手紙だと意見書だのには、一々答えざることがなかったという。中々出来ないことであります。筆翰は流るる如く、未だかって停滞したことはなかった。疎遠なものでも引接し、門に停る客がんいくらいであった。常に人に語って言うには、大禹は聖人でありながら、寸陰を惜しんだ。衆人に至ってはそれこそ分陰を惜しむべきである。どうして安逸に狎れ酒をくらってばかりしておつてよかろうか。生きてその時代に益なく、死んで後に名も聞えないのは、自分自らこれを棄てているのである。諸々の補佐役がつまらぬ娯楽や遊戯をやって仕事をしないものがあると、命令して酒器や賭博道具を取り上げ、悉く揚子江にぶち込み、下役人や防衛関係の下っ端役人には鞭をふるってこれをぶった。そうして言うには、賭け事は豚買いの道楽に過ぎない。老壮浮華は観念や文筆の遊戯で、見てくれはよいが、人間が法とするに足る正しい言葉ではない。行うべきではない。君子というものは必ず衣冠を正し、威儀を整えなければならない。頭を乱し、そういうことをほ以てしゃれておると思っておるような人間に、物に拘泥しない、人間の出来ておるという道理があろうか。
朋友の道
司馬温公嘗って言う。吾れ人に過ぐるもの無し。但だ平生為す所、未だ嘗て人に対して言うべからざるもの有らざるのみ。
安岡正篤先生講話
自分は人に過ぐるものがない。平凡である。ただ平生行うところ、未だ曾って人に対して言うことの出来ないようなものがないだけのことであると。これは然し偉大なことだ。
劉忠定公、温公に見え、心を尽し己を行ふの要、以て終身之を行ふべきものを問う。公曰く、其れ誠か。劉公問ふ、之を行ふ何をか先にす。公曰く、妄語せざるより始む。劉公、初め甚だ之を易とす。退いて而て自ら日に行ふ所と凡の言う所とを?括するに及んで、自ら相掣肘矛盾するもの多し。力行すること七年にして而る後成る。此れより言行一致、表裏相応じ。事に遇うて坦然常に余裕有り。
安岡正篤先生講話
?も括も曲がらぬようにすること撓木(たわむ)のこと。何事も力行することが大事であります。
礼記
丹書に曰く、敬・怠に勝つ者は吉なり。怠・敬に勝つ者は滅ぶ。義・欲に勝つ者は凶なり。
安岡正篤先生講話
丹書は今日伝わっておりません。周の武王位について、太公望に皇帝の道を尋ねたところ、丹書に曰くと言って説明したということであります。
曲礼に曰く、敬せざること母れ。儼若として思ひ、辞を安定し、民を安んぜんかな。傲は長ずべからず。欲は従にすべからず。志は満たすべからず。楽は極むべからず。賢者は狎れて而も之を敬し、愛して而も其の悪を知り、憎みて而て其の善を知り、積みて而も能く散じ、安に安んじて而も能く還る。財に臨みて苟得する母れ。難に臨んで苟免する母れ。狼うて勝を求むる母れ。分ちて多を求むる母れ。疑はしき事は質むる母れ。直くして而て有する母れと。
苟---いやしくもの意。
安岡正篤先生講話
曲礼は礼記の一章。
浅はかな人は、こんなことを一々苦にしておれば何も出来ないと言うが、それは大きな間違いであります。
論語
君子に九思あり。視には明らかならんことを思ふ。聴には聡ならんことを思ふ。色には温ならんことを思ふ。貌には恭ならんことを思ふ。言には忠ならんことを思ふ。事には敬ならんことを思ふ。疑には問はんことを思ふ。忿には難を思ふ。得を見ては義を思ふ。
貌―顔。恭―うやうやしく謙虚なさま。
安岡正篤先生講話
世界最初の医書と言われる「素問」の第一章には、あらゆる害の中で、恚(怒り)が一番悪いと言っている。近代アメリカ医学は、人間の感情と汗や呼吸等との関係を調べて、怒りが最も毒素を出すことを証明している。その毒素の注射をしたモルモットは頓死したそうであります。従って「おんにこにこ、腹立つまいぞや、そわか」が一番良いのであります。然し、余り怒らぬと人間はだれる。私憤はいけないが公憤は良い。それよりも自分の不肖に対する怒りは大いに発したいものであります。
伊川先生曰く、近世浅薄、相歓狎するを以て、相与すと為し、圭角無きを以て、相歓愛すと為す。此くの如きもその安ぞ能く久しからん。若し久しきを要せば、須く是れ恭敬なるべし。君臣朋友皆当に敬を以て主と為すべきなり。
安岡正篤先生講話
程朱の学は、道徳学的に見てカントの哲学に相通ずるものがあります。よく私は圭角がありますと申しますが、圭とは玉ということで、人を論ずるのに、あれは圭角があるというのはよいが、己を論ずるのに、私は圭角がある、と自分を玉にするのはとんでもないことであります。
圭角―玉の尖った角。言動・態度がとげとげしく人と折り合わない事。鋭い気性。
官は宦成るに怠り、病は小癒に加はり、禍は惰情に生じ、孝は妻子に衰ふ。此の四者を察して、終を慎むこと始めの如くせよ。詩に曰く、初め有らざる靡し。克く終り有る鮮しと。
安岡正篤先生講話
官と宦は大体同じでありますが、強いて区別する時には、官は一般的総称、宦は人間を主として具体的に用いる。文字本来から言えば、役所の中に書類等の山積しておるのが官。宦は臣下が官庁の中におるという文字であります。出世するに従って役人は怠けてくる。病気は少し治って来た時に気がゆるんで、不養生をして悪くなる。禍は怠けるところから生じてくる。親孝行は女房子供を持つ頃から衰えてくる。誠にその通りであります。だから詩経にも「初め有らざる靡し。克く終わり有る鮮しと。
論語・霊公篇
言・忠信、行・篤敬ならば、蛮貊の邦と雖も行はれん。言・忠信ならず、行・篤敬ならす゜んば。州里と雖も行はれんや。
安岡正篤先生講話
民衆の程度の低いところへ行けば直ぐ分かる。如何に理屈が達者でも、如何に文章が上手でもなんにもならない。人間そのものでなければ通じない。
論語先・進篇
曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く。
安岡正篤先生講話
古来教養ある階層に普及した名言であります。文とは今日で言う教養であります。教養を以て友を集める。利を以て会するのではない。そうして友を以て仁を輔く。仁とは限りない我々の進歩向上を言うのであります。文会輔仁、わが師友会もこれを以て旨としておるのであります。
論語・子路篇
孔子曰く、朋友は切々偲々たり。兄弟は怡々たり。
安岡正篤先生講話
切々偲々は努力するの形容詞。怡々は楽しく愉快にすること。簡単でしかも無限の意味を含んだ一文であります。善は人間の生命であるけれども、肉親の間柄で、兄弟は勿論父子の間でも、これを責めるということはよくないと孟子が論じております。肉親はつながって一体でなければならぬ。離れるという事は禍これより大なるはない。だから善と雖もこれを責める事はよくない。和やかに愛情の中にひたっておらねばならない。それが怡々であります。
然しそれだけでは人間はだらけてしまう。そこで切磋琢磨してお互いに磨き合う必要がある。それは肉親の間では出来難い。よって師と友に託して教育して貰う。だから師弟とか朋友とかいうものは、お互いに磨き合うことが根本義であります。父子・兄弟と師友とが相俟って初めて円満な進歩向上が得られるのであります。
孟子・離婁篇
この言葉の前に、父子の間で善を責め合うことはいけないと論じている。師弟の間も同じことで、善を責めあうには矢張り朋友が一番であります。何を言っても構わない。大いに論じあってお互いに磨く。怒るような人間は友とするに足りない。
子貢・友を問ふ。孔子曰く、忠告して而て之を善導す。可かれざれば則ち止む。自ら辱むること母れ。
安岡正篤先生講話
子貢が孔子に本当の友たるの道はなんでしょうかと尋ねた。すると孔子は、忠告してこれを善導する。しかし、聞き入れられない時には一旦止めるがいい。無理強いをすると反発するばかりで、却って自分を辱めることになると。相手が人間のことでありますから、いくらこちらが正直に友誼を尽くしても、その善意が分からずにとんだ誤解を招いて失敗することもある。余り無理をしないことが肝腎であります。
益者三友。損者三友。直を友とし、諒を友とし、多聞を友とするは益なり。便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするは損なり。
安岡正篤先生講話
益になる三種類の友達がある。正直な人を友とし、誠のある人を友とし、諒は諒解の誠で、うん、もっともだとうなづける誠。見聞の広い人を友とする。自分の知らない色々の見聞に長じておって、珍しい話を聞かせてくれる友達は実に楽しいものであります。これが益者三友。反対に所謂世慣れた人を友とし、便辟は便利・利益本位、或いは抵抗のない安直なの意。辟はかたよる、或いは避に同じで、厄介なことは避けて相槌をうつ、調子を合わせるの意。気軽に調子を合わせてゆく誠意や実意の無いことを便辟というのであります。又、善であるけれども、ぐにゃぐにゃして事勿れ主義の人を友とし、調子を合わせて媚びる人を友とする。これは損者三友である。
便佞の佞という字は、信と女をくっつけた佞と、仁に女を加えた佞と二通りありますが、従って元来は善い意味を持った文字であります。仁愛に富んだ信のある女の言葉は必ず優しいものである。行き届いて気持ちがよい。そこで信から出る行き届いた挨拶・言葉遣いを佞と言う。それが出来ぬというので、つまり、ロクナ挨拶も出来ぬという意味で、自分のことを不佞と言うのであります。処がだんだん意味が変わって来て、口先だけの信のないことを佞というようになり、佞奸などと使われるのが普通になってしまったわけであります。
平成19年8月7日 鳥取木鶏研究会 徳永圀典 謹書