格言・箴言 8月「小学の読み直し」B

 −失われた自己を取り戻す為にー

 −小学は「人間生活の根本法則」 

1.安岡教学は、活学であり、現代人間に欠けてしまった、生きる上での基本を実に分かり易く教えておられる。私の元に連絡の来る、若い人が意外と故安岡正篤先生の著作を読んでいるのに驚きと共に納得できるものを感じている。現代人は、今こそ「小学」を学び直せと叫びたい。そこで安岡正篤先生の「小学の読み直し」を日々精力的に取り組みたいと決意した。
平成18年7月1日 徳永日本学研究所 代表 徳永圀典

平成18年8月

1日 菜根 汪信民(おうしんみん)(つね)に言う。人常に菜根(さいこん)()み得ば即ち百事(ひゃくじ)()すべしと。胡康候(ここうこう)之を聞き、(せつ)()ちて嘆賞(たんしょう)せり。汪、名は革。程明道(ていめいどう)(てい)伊川(いせん)司馬光(しばこう)等の道統(どうとう)を継ぐ哲士(てつし)の一人。 菜っ葉や大根をかんで、貧乏生活に甘んじておることが出来るならば、何事でもなすことが出来ると言った。胡康候(ここうこう)という学者がこれを聞いて、拍子を打って感心したという。人間は欲を出すから何も出来なくなる。
2日 修養すれば直ぐ態度に現れる1. 劉公、賓客を見て譚論(たんろん)時を()ゆるも(たい) ()(そく)する無く、(けん)背竦(しよう)(ちょく)にして身少しも動かず。手足に至るも亦移らず。 劉公とは劉安世のことで、司馬温公の弟子であります。至誠というものに目鼻をつけたような人で、宋名臣言行録を読んでも、実に感激()く能わざるものがあります。
3日 修養すれば直ぐ態度に現れる2. その劉公は何時間坐って話していても、身動き一つしなかったという。中々出きることではありません。西園寺(さいおんじ)公望(きんもち)公もそういう人で、第一次大戦の講和会議に代表として行かれた時には、各国の新聞記者がマーブル・スタチュー (大理石の塑像)と言って感心したということであります。尤も大理石の像という言葉には、何も発言しないからと言う皮肉もあったようでありますが、兎に角ぴたりと腰をかければ最後まで身動き一つしなかつたという、鍛えられた人というものは、どこか違う処があるものであります。
4日 哲人 管寧(かんねい)(つね)に一木(たふ)上に坐す。積って五十余年、未だ嘗に箕股(きこ)せず。其の(たふ)膝に当る処皆穿(うが)てり。 管寧は三国志に出てくる人物で、掛値なく哲人と言うことの出きる至高至純の人であります。いつも木のこしかけに坐って、五十余年間というもの一度も胡座(あぐら)をかいたことが無かった。その為に膝の当たる処が引っ込んでおったという。徹底して坐った人であります。
5日

春風(しゅんぷう)駘蕩(たいとう)秋霜(しゅうそう)烈日(れつじつ)

明道先生終日端座して泥塑(でいそ)の如し。人に接するに及んでは即ち(すべ)て是れ一団の和気。

程明道先生は終日端座して、丁度泥で作った彫刻のようであった。そうして「人に接するに及んでは即ち渾て是れ一団の和気」、あたりが和やかな気分に包まれてしまう。

誠に春風(しゅんぷう)駘蕩(たいとう)たる人であります。これに反して弟の伊川の方は秋霜(しゅうそう)烈日(れつじつ)と言ったタイプの人で、兄弟好いコントラストをなしておつたわけであります。
6日 聖賢の教えは自己の本心を掴むにある。 曾子曰く、君子、道に貴ぶ所の者三あり。容貌を動かして(すなは)ち暴慢を遠ざかり、顔色を正しては(すなは)ち信に近づく、辞気(じき)を出しては(すなは)()(ばい)を遠ざかる。 曾子が言うには、君子が道に於て貴ぶところのものが三つあると。先ず、容貌態度から暴慢を去ること。暴慢とは洗練を欠くわけであります。そして「顔色を正して斯ち信に近づく」。顔色というものは誠の表現にならなければならない。
7日 顔色 人間の精神状態は汗にも、血液にも、呼吸にも、直ぐ反応するもので、従って顔面にも悉く現れる。前にも度々お話しました様に、ベルリンの医科大学の皮膚科で東洋の人相の書物を集めておるというので、調べた処、顔面皮膚は身体のどの部分よりも鋭敏で、体内のあらゆる機能が集中しておる。 従って体内の状態が悉く顔面に現れる。それが人相の書物にすべて出ておるというので、これを集めておるのだという。全て顔色に現れる。これを逆に顔色を正しくして信に近づくわけであります。だから顔色を動かしたりしておっては信に近づくことができない。出来ておらぬ証拠であります。
8日 顔色を正しくして信に近づく 第三に、「辞気(じき)を出しては(すなは)()(ばい)を遠ざかる」。人間の精神というものは、それが低い場合には何かに衝突する。 そうした場合に直ぐ言葉遣いやムードに影響が出てくる。倍は「そむく」意です。これが辞気というもので、従ってその辞気が卑しくないように、矛盾のないように心掛ける。これも大事な自己鍛錬であります。
9日

人生は習慣の織物

仲由、(あやまち)を聞くを喜び、令名窮まり無し。今人(こんじん)過あるも人の(ただ)すを喜ばず。疾を護って医を忌むが如し。寧ろ其の身を滅すも而も悟ること無きなり。(ああ)

どうも人間というものは、過を聞くことを喜ばぬもので、これはいつの時代でも同じことであります。これでは病気を守って医者を拒否するのと同じことで、その過で身を滅ぼしても悟ることが出来ない。「人生は習慣の織物である」とアミエルもその日記に申しておりますが、過を指摘された場合には、これを素直に聞く習慣をつけることが大事であります。

10日 (たん)は大ならんことを

孫思ばく曰く、(たん)は大ならんことを欲し、而て心は小ならんことを欲す。智は円ならんことを欲し、而て(おこない)(ほう)ならんことを欲す。

これは唐初の隠逸伝にあるのを引用した一文であります。本文は明代に出来た「清言」という種類の著述にも随分引用されております。「清言」というのは、竹林の七賢など

によって代表される、現実を無視した自由な言論を事とする、所謂清談とは趣を異にし、明代の知識・教養の高い人々が、その頃になって渾然と融合されて来た儒・仏・道の三教に自由に出入りして、夫々自分の好みから会心の文句や文章を拾い出し、それに自分の考えをつけた読書録でね今日の所謂何々ノートといった種類のものであります。
11日 (たん)は大ならんことを2. 日本でも有名なものでは、菜根譚(さいこんたん)酔古堂(すいこどう)剣掃(けんそう)寒松堂(かんしょうどう)庸言(ようげん)というようなものがあります。例えばこの文章の後には、「志は(ゆう)にして、情は(さい)なり。(けん)高くして、(げん)(へい)なり」、というようなことをつけ加えております。 さて、「(たん)は大ならんことを欲し、而て心は小ならんことを欲す」、こういう場合の(たん)(たん)嚢・肝臓であり、心は心臓としてよい。肝臓・(たん)嚢・心臓が人間の心理に独特の影響・交渉を持つことは今日の生理学が解明しておりますが、(たん)嚢・肝臓は実行力に影響する。
12日 (たん)は大ならんことを3. だから、(たん)は大ならんことを欲すとは、大きな実行力を持たねばならぬということであります。従って実践力の伴う見識のことを、(たん)(しき)と言う。 処が実行するには綿密な観察をする必要がある。そういう知力が心というものであります。(たん)・心両方が相伴って初めて危気(あぶなげ)なく実行出きる。
13日 智は円ならんことを 同様に、「智は円ならんことを欲し、而て(おこない)(ほう)ならんことを欲す」、智()の本質は物を分別(ぶんべつ)し、認識し、推理してゆくにある。だから物分りという。然し、分かつという働きがだんだん抹消化してゆくと、生命の本源から遠ざかる。本当の智と言うものは物を分別すると同時に物を総合・統合してゆかねばならない。抹消化すれば常に根本に還らなければならない。これが円であります。

仏教では大円(だいえん)鏡智(きょうち)ということを説きますが、分別(ぶんべつ)()は同時に円通(えんつう)でなければならない。「而て行は方ならんことを欲す」、方は東西南北の方で、方角であります。行うということは現実に実践することでありますから、必ず対象というものを生ずる。相対的になる。これが(ほう)であります。

14日 行は方ならんことを だから方をくらべると読むし、又相対的関係を正しくするという意味でただしと読むのであります。行はどうしても、相対的境地に立つから、その相対関係を正しく処理された場合にこれを義と言い、方義(ほうぎ)義方(ぎほう)と言うのであります。然しも世の中というものは、往々にして智は円になり (そこ)ね、方は方になり害なって、無方になりがちであります。幕末、武士階級を罵った落首(らくしゅ)に、「世の中は左様でござるごもっとも、なんとかござるかしかと存ぜず」、どこにもこういう連中が多い。(ぎょう)(ほう)ならんことを欲する。筋道を立てるということは中々難しいことであります。
15日 天下の憂に先んじて憂へ 茫文正(ぼうぶんしょう)(わか)うして大節(だいせつ)あり。其の富貴(ふうき)貧賎(ひんせん)毀誉(きよ)歓戚(かんせき)に於いて一も其の心動かさず。而て慨然天下に志有り。(かつ)て自ら(しょう)して曰く、「士は(まさ)に天下の憂に先んじて憂へ、天下の楽に後れて楽しむべきなり」と。其の上に(つか)へ、人を遇するに、一以て自ら信にし、利害を撰んで(すう)(しゃ)を為さず。其の為す所有れば、必ず其の方を尽して曰く、之を為す我による者は当に是の如くすべし。其の成ると否と我に在らざるある者は、聖賢と雖も必する(あた)はず。吾豈苟(かりそめ)らせんやと。 茫文正(ぼうぶんしょう)はその名を仲庵と言い、北宋時代に於ける名大臣・名将軍として、行くとして可ならざるなき人物であったばかりでなく、人間としても実に立派な人で、
「天下の憂に先んじて憂へ、天下の楽に後れて楽しむ」

の名言は、彼の岳陽楼記の中の一節であります。
16日 天下の楽に後れて楽しむ さて本文は、茫文正(ぼうぶんしょう)は若くして大いなる節義があった。従って富貴とか、貧賎とか、褒貶とか歓戚とか、いうようなことには少しも心を動かすことはなかった。そうして慨然天下に志を持っていたのである。 かって自から(しょう)して言う、士というものは天下万民の楽しみに後れて楽しむべしであると。その上に仕え、人を遇するを見るに、ひたすら自からを信にし、利害を計って附いたり捨てたりする様なことはなかった。
17日 人事を尽くして天命を待つ 為す所あれば必ず方義を尽してこれにあたった。そうして言うには、自分が自律的・自主的に立ってやることは、当にかくの如くすべしという至上命令に従ってやるべきで、成る成らぬというものは、即ち運命というものは、必ずしも自分の意思通りにゆくものではない。 これは如何なる聖賢と雖も必することの出きるものではないのであるから、どうしてかりそめにやってよいものであろうか。ただ人事を尽くして天命を待つ外無いのであると。茫仲庵という人はこういう人であったわけであります。
18日 反省し、追及 明道(めいどう)先生曰く、聖賢の千言万語、只是れ人己(じんこ)(はな)てる心を()って、之を(つづ)反復(はんぷく)身に入れ来たらしめ、自ら()く尋ねて向上し去り、下学(げがく)して上達せんことを欲するなり。 聖賢のあらゆる教えは要するに、外へ放り出してしまって外物に支配されている心を掴んで、これを要約して、その抜けてしまった心を自分というものに反らしめ、自分でよく反省し、追及して、そうして向上してゆく。自分は低きについて学んで、そうして上達してゆく。
19日 人間三つの原則 我々人間には三つの原則があります。
第一は自己保存ということ。身体の全機能。全器官が自己保存のために出来ておる。
第二は種族の維持・発展ということ。腎臓にしても大脳に
しても、あらゆる解剖学的全機能がそういう風に出来ている。
第三には無限の精神的、心理的向上。人間は他の動物と違って、精神的に心霊的に無限に向上する。
20日

厳粛な三つの原則

これは人間自然の大原則でありますが、近代文明は誤ってこの厳粛な三つの原則のいづれにも背きつつある。文明の危機に到達した原因はここにあるのです。これは今日の科学者や哲学することの出きる学者達の一致して論断すると ころでありますが、明道先生は何百年も昔にはっきりとこれを指摘しておるわけであります。要するに人間というものは、自分が自分に反って無限に向上するということが大事であって、これは古代も現代学も、哲学も科学も変わらざる真理であります。
21日 (がん)()家訓(かくん) (がん)()家訓(かくん)に曰く、人の典籍(てんせき)を借りては皆(すべか)らく愛護すべし。先に缺壊(けつかい)有らば、(すなは)ち為に補治(ほち)せよ。此れ亦士大夫(したゆう)百行(ひゃくぎょう)の一なり。済陽(さいよう)江禄(こうろく)、書を読んで未だ()へざれば、急速有りと雖も、必ず巻束整(かんそくせい)(さい)を待って然る後起つことを得たり。故に損敗(そんはい)無し。 人其の()るを求むるを(いと)はず。几案(きあん)狼藉(ろうぜき)し、部秩(ぶちつ)を分散することあらば、多く童幼婢(どうもうひ)(しょう)の為に点汚(てんお)せられ、風雨(ふうう)蟲鼠(ちゅうそ)毀傷(きしょう)せらる。実に徳を(るい)すとなす。吾れ聖人の書を読む毎に未だ(かつ)(しゅく)(けい)して之に対せずんばあらず。其の故紙にても五経の詞義(しぎ)及び聖賢の姓名有れば敢えて他に用ひざるなり。
22日 顔氏とは顔回ではなくて、南北朝時代の斉の顔之推のことであります。中々の教養人で「顔氏家訓」という書物を見ても、思想・見識は勿論、文芸の面から言っても立派なものであります。 人の書物を借りた場合には大事にしなければならない。借りる前にこわれておるところがあった場合には、これを補修せよ。これは士太夫として行わねばならぬ百行の一である。
23日

済陽の済は山東の川の名で、陽は水の場合には北を指し、陰は南、山の場合は反対。そこで済水の北の江禄という名高い読書人は、書を読んで未だ終わらぬ時には、どんな急用があっても、必ず書を元に

巻きかえて(その頃の書物は主に巻物であった)その上で起こった。だから書物が損じたりこわれたりすることはなかった。そこで人は彼に書物を貸すのを、寧ろ貸せば立派になってかえってくるので、誰も嫌がらなかった。
24日

机上におっぽりだして、あっちこっち散らかすというと、大概幼児や召使のために汚されたり、風雨虫鼠に壊されたり傷つけられたりする。実に徳を累するものである。
自分は聖人の書物を読む時には、未だ曾て厳粛に敬ってこ

れに向かわなかったことはない。どんな古紙でも五経の言葉や聖賢の姓名があれば、絶対に他に用いるようなことはしたことがない。これが人間の心得というもので、大事なことはそれ以前の本能的直感、或いは徳性そういうものを豊かにすることであります。
25日 顔氏家訓に曰く、夫れ読書学問する所以(ゆえん)は、もともと心を開き目を明らかにし、(おこない)()からんことを欲するのみ。 顔氏家訓に言う、一体書を読み学問する所以は何かと言えば、もともと本当の心を開き、見る目を明らかにして、実践することに活発ならんことを欲するだけのことである。
26日

未だ親を養ふを知らざるものには、其の古人が、意に先んじ、顔を承け、声を(やは)らげ、気を下し、劬労(くろう)を憚らず。以て甘?(かんなん)を致すを()て、タ然(てきぜん)として慙懼(ざんく)し、起つて而て之を行はんことを欲するなり。

まだ本当に親を養うことを知らない者には、古えの人が、顔の色でちゃんと親の欲する処を見抜き、声を和らげ、怒り易いのをぐつとこらえて、苦労を厭うことなく、そうして甘くやわらかく好い気持ちにつくすを観て、心にぐっと恥ぢ懼れて、起ってこれを行うようにするのである。
27日 未だ君に(つか)ふることを知らざる者には、其の古人が職を守りて侵す無く危きを見て命を授け、(せい)(かん)を忘れずして以て社稷(しゃしょく)を利するを見て、惻然(そくぜん)として自ら(おも)ひに(なら)はんと()(よく)せんことを欲するなり。 まだ君に仕えることを知らぬ者には、古えの人がちゃんと職を守って、危きを見ては命懸けでこれを助け、試練を忘れることなく国家を利するを見て、大いに心に悪かったと感じて、自分もこれにならわんことを思わしめるのである。
28日 ()驕奢(きょうしゃ)なる者には、其の古人が、恭倹(きょうけん)にして用を節し、()()て自ら(やしな)ひ、禮は教の本たり、敬なるものは身の(もと)なることを観て、瞿然(くぜん)として自失し、容を(おさ)め、志を抑へんことを欲するなり。 もとももと贅沢な人間には、古えの人が恭倹で用を節約し、身分の低い貧乏生活を以て自から養い、礼は教えの本であり、敬は身の基である、という風にしている有様を観て、(おそ)れて忘然(ぼうぜん)自失(じしつ)し、かたちを改めて贅沢せんとする気持ちを抑えんことを欲せしめるのである。
29日

()鄙悋(ひりん)なる者には、其の古人が、義を貴び財を軽んじ、()を少くし、慾を(すくな)くし、()つるを()み、満を(にく)み、窮を(にぎは)し、(とぼ)しきを(あはれ)むを()赧然(たんぜん)として悔い恥じ、積みて()(さん)ぜんことを欲するなり。

心のけちなる者には、古えの人が義を貴んで財物を軽ろんじ、私をなくして寡欲で、満ち足りを忌み嫌い、困窮しておる者を賑わし、貧しき者を憐むのを観て顔が赤くなって悔い恥じ、財を積んではよく散ぜん事を欲せしむるのである。
30日

()暴悍(ぼうかん)なる者には、其の古人が、心を小にし、己を(しりぞ)け、歯は()るるも舌存し、()を含み(しつ)(ぞう)し、賢を尊び衆を()るるを観て、(てつ)然として沮喪(そそう)衣に勝へざるがごとくならんことを欲するなり。

暴悍(ぼうかん)なる者には、古えの人が心を小にし、己をしりぞけ、歯はかけても舌があればよいんで、歯を丈夫にして、口をとんがらせて人と争うようなことをせず、自分に関しては色々の恥づかしめや悩みをも胸に(おさ)めて、そうして賢を貴び衆を容れるのを観て、心にぎくりとしてそのままではおれないように、悪に対して強いが、善に対しては、人に対しては弱い、という風になって貰いたいのである。
31日

()怯懦(きょうじゅ)なるものには、其の古人が、生に達し、(めい)(ゆだ)ね、強毅(きょうき)正直(しょうじき)、言を立つる必ず信あり、(さいわい)を求めて(まが)らざるを観て、勃然(ぼつぜん)奮励(ふんれい)し、恐懼(きょうく)すべからざらんことを欲するなり。(ここ)()以往(もってゆく)百行(ひゃくこう)皆然り。(たと)へ淳なる(あた)はずとも泰を去り、之を学んで知る所、施して達せざる無し。世人書を読んで但だ能く之を言うも之を行ふこと能はず。武人・俗吏(ぞくり)の共に嗤詆(してい)する所、良に是れに由るのみ。又数十巻の書を読むあれば、便(すなわ)ち自高大(こうだい)にし、長者を凌忽(りょうこつ)し、同列を軽慢(けいまん)す。人之を()むこと讎敵(しゅうてき)の如く、之を(にく)むこと鴟梟(しけふ)の如し。此くの如きは学を以て益を求めて今反って自ら損ず。学無きに()かざるなり。

生来怯懦(きょうじゅ)なる者には、古えの人が、生に達し、命に委ねて、強毅正直、言う言葉には必ず信があり、福を求めて挫けることのないのを観て、勃然として奮励し、何物も恐れない勇気を出して貰いたいのである。まあこういうことから始まって、色々の行はみなそうである。例え淳なる能わずとも秦を去りー秦は甚に同じー甚だしきを去って、学んで知る所は施して達せざる事なし。これが聖賢の学問の要旨である。世人は書を読んで、よく言うけれども、これを行うことはしない。武人や俗吏の共に(わら)いそしるのもただこれによるだけである。世に学者出でてより有徳を見ず。又ちょっと数十巻の書を読むと直ぐ自から偉くなって、長者をしのぎ、同列のものを見下してしまう。そうして人から讎敵(しゅうてき)の如く、ふくろうの如く憎まれる。これでは、学問をして益を求めて、却って反対に自から(そこな)うのと同じで、学問をして人間を害うならば、むしろ学問などない方がよいのである。よし学問が無くとも、善人たることを害うものではないのであります。