江戸の英知を思う

平成8年2月15日 日本海新聞 私の視点に掲載

わが国の近世と言えば徳川時代であり現代日本文明の依って立つ処のものであるがその素晴らしい伝統が急速に失われつつあるのは衆知の通りである。多くの学ぶべき点があるがその中の一つ。徳川家康は幕府創設の頃、行政権力を持つ側近の老中譜代大名には録高即ち年俸は外様大名に比べ驚くべく少ないものにした。これは人間性が本来所有する或る傾向、権力は必ず腐敗する、を未然に防止する優れた洞察と言えるものであらう。一方、町人は権力は無くともお金、お金とは命懸けで得るものであるが、で欝憤を晴らしていたとも言えようか。この点に関してのみ申すと、何時頃からか知らぬが、権力者程、年俸も高くなってしまっている。権力もお金も共にあれば余程の自戒と哲学がなくては腐敗するのは必然であらう。昨今は経済万能時代となり上に立つものの在り方が乱れてしまった。恥ずかしい事が多すぎる。又、町人、現代の企業家の事であるが、権力もお金も持つ上に功なり名を遂げると、本来は天皇の臣のみに与えられる筈の位階勲等まで欲しがる様になってしまった。町人が権力、お金更に勲章までとなるとこれは可笑しくなるのも道理だ。政治、官界ともバブル時代の後始末が現在進行中である。上に立つものの在り方が今日ほど見直しが必要で哲学を持たなくてはならない存在だと思われる時は無い。上に立つもの程権力者ほど一般庶民に比して自己に厳しい在り様が物心両面に必要なのにその教養、哲学が欠如している。だから究極的に物事が行き詰まり混乱が生じることとなるのではないか。初期資本主義はイギリスで始まったが質実敬虔なプロテスタントを背景に成功した。日本でも明治の指導者、上に立つ者の在り方が立派であったから今日の日本がある。聖フランシスコ・ザビエルが織田信長の時代に来日して、異教徒の中で日本人は最高に優れている・・驚く程名誉心が強い・・多くの人は貧しいが武士も町人も貧しい事を不名誉と思っていない・・との記録を懐かしく思い出す。恥を知るのが日本文化の精粋であった。立派な先人もわが国発展の中で輩出している。上に立つ人の在り方から先ず良くする事が社会を良くすることとなると思われて仕方がない。21世紀に向かい日本は出直しを迫られている、それには哲学がなくては巧く行かないであらう。それには大局観を持つ指導者を選ぶ事、志が本物かどおか、自己の利害を超越できるかどおか、言行に信がおけるか、出処進退が潔いかどおか等色々あるが我々庶民も物の本質を見抜く力を身につけなくてはならないのではなからうか。21世紀は哲学の時代である事は間違いないと思われる。 完