風姿(ふうし)花伝(かでん)   世阿弥(ぜあみ)


この本は、どうして若い時に、育児の前に読まなかったのかと、悔やまれてならない書物であった。芸のみでなく、人間形成、物事の発育過程の自然な姿、過程を心情的に亦、実に本質を突いたもので、圧倒的な名著である。先ずは、「風姿花伝の名言」から抜粋しご披露することとする。  平成246月   岫雲斎圀典

 

老骨に残りし花                     (年来稽古条々。五十有余)

――老の身に残った幽玄な味わいこそ、「まことの花」と言うべきものだーー

岫雲斎「芸の究極を身につけ悟った者は、芸をせずして、芸の極致を感受させるものだ」

人生の七段階

世阿弥の説く7段階の人生は、何らかを失う「衰えの7つの段階」である。少年の愛らしさが消え、青年の若さが消え、壮年の体力が消える。何かを失いながら人は、人間はその人それぞれの人生を歩んで行く。然し、世阿弥は、このプロセスこそ、「失う」と同時に、何か「新しいもの」を得る試練とした。それが、つまり「初心」である。「初心忘るべからず」は正に至言である。後継者に対し、一生を通じて前向きに挑戦し続けよ、との「世阿弥の真願」であろう。

.似事(にせごと)人体(じんたい)によりて、(せん)(じん)あるべきなり。

     (物学条々)

――物まねをするにも、似せる対象の人物によって、細部まで似せるのが良いとばかりは言えぬーー

岫雲斎「物まねと雖も、芸は品位が落ちる所まで写してはならぬのだ」

 

女懸(おんながかり)り、仕立(したて)をもて(もと)とす。

            (物学条々・女)

――女の風姿は、衣裳や、その()(よう)、身の持ちようなどを以て基本とするーー

 

岫雲斎「世阿弥の時代、女人(にょにん)への憧れは幽玄無上の美であった。(ろう)たけた女人(にょにん)の風情は衣裳の()ようにより先ず生まれ出ている」

 

老人の(たち)振舞(ふるまい)、老いぬればとて、(こし)(ひざ)(かが)め、身を()むれば、花()せて、()(よう)に見ゆるなり。              (物学条々・老人)

  ――老人の立振舞は、年老いているからと云って腰や膝を屈め、身をちぢめては、花もなくなり、いかにも古くさい型にはまった風体になってしまうー

 

岫雲斎「老体を身に写すとは外形を真似るものではない。老の心の味わいである。若やぎを秘めて「老木に花の咲かんが如し」という気分を感じさせる所にある」。

 

能の(くらい)(あが)らねば、直面(ひためん)は見られぬ物也。                                   (物学条々・直面)

――能に於いては、素顔も「面」と考え、その「直面」に能の位の到達度を見たのである。美貌もさる事ながら芸格の深さを顔に鑑賞する方向がみられるーー

 

岫雲斎「能の芸力、品格などが高く達していない者の直面(素顔のシテ役)は見てはおられないものだ。