吾、終に得たり C  岫雲斎圀典
              
--釈迦の言葉=法句経に挑む
多年に亘り、仏教に就いて大いなる疑問を抱き呻吟してきた私である。それは「仏教は生の哲学」でなくてはならぬと言う私の心からの悲痛な叫びから発したものであった。
                         平成25年6月1日

平成25年9月

法句経 二十六品 423

1日        87句

智あるものは 黒法(あしきわざ)をふりすてた (きよ)(わざ)(おさ)むべし 家より 家なきに(おもむ)き たのしみすくなくば 見ゆれど 孤独(ひとりい)に安住すべし

賢しい人は暗黒な生き方を棄て、きれいな善行を修め、家族生活より家なき生活に赴いて心の楽しみを孤独の中に見つける。
一物をも所有しないことで精神の自由と清らかさを所有する。
2日        88句

もろもろの欲業(ねがい)を去り 一物(ひとつ)をも()つことなく 多くの煩悩(けがれ)より おのれを (きよ)くすべきなり 智あるもの ここに妙薬(たのしみ)を味わわん

多くの欲望から離れて、一つの物さえ持とうとせず 自分を欲望から離れさせて清潔を保つべきなのです。
本当の智慧ある人と言うのはこのような人間でこれが妙薬なのであります。

3日       89句

こころは菩提(さとり)諸分(みち)に 正しく修習(しゅじゅう)し すべての染著(まよい)をすて (まつわり)を離るることを楽しみ 知見を()ち (まよい)の尽きたるもの かかる人々はすでに この世において 涅槃(さとり)に入れるなり

自分の心を完全智に基づき正しく訓練し、何ものにも拘泥しない、拘りを捨て祓うことに心を満足させられるならば、光輝に満ちた精神的自由人となり地上の真の平安を得る。

4日  第七品

阿羅漢(ひじり)     
  90句
   

()べき道を 過ぎおえ うれいなく 一切(すべて)において解脱をえ ありとある纏結(まつわり)を 断ちきれる人に 熱悩(くるしみ)あることなし

精神生活の道を完全に歩み終われぱ、あらゆるものから自由となる。それは憂うべきものは無く、全ての束縛から解放された事であり、最早や炎暑のような悩みはなくなる。

5日     91句

心さときひとらは 家におぼるるなく 立ち去りゆくなり 水鳥の 池をすてさるごとく この家をすて かの家をすつ

反省深い人々は勤しみ励んで決して自分の住まいに就いて心を煩わさない。あの白鳥が池を去るように彼ら聡い人々は各々自らの家を捨て去る。

6日     92句

ひともし(たくわ)うるなく 口にする(ほどよき)あり その心境(おもい)(くう)にして 形相(すがた)にとらわれず かつ 解脱をえたり かかる人のゆく道は たずぬるによしなし まこと 空とぶ鳥に 跡なきがごとし

深い思慮を持ち食事をする者には蓄積の必要はない。
彼の生活環境は囚われない、数え難く自由である。
あの大空を飛ぶ鳥が跡を残さないように彼らの足跡は測りがたいものがある。

7日    93句

ひともし(まよい)すでに尽き (かて)において(とらわれ)なし その心境(おもい)は空にして 形相(すがた)にとらわれず かつ 解脱をえたり かかる人のゆく跡は たずぬるによしなし まこと 空とぶ鳥に 跡なきがごとし

盲目的衝動が全て消滅してしまえば享楽に捕らえられることはなくなる。その人の生活環境は囚われない、数え難く自由なものである。あの大空をかけ行く鳥の跡が見えないようにその人の生活の足跡は測りがたい。

8日      94句

諸根(こころね)寂静(しずか)なること まことよく御者(ぎょしゃ)()らされし 馬のごとく (たかぶり)をすて 諸溺(まよい)をつくらせる かかる人を 神々もうらやむなり。

色々の煩悩が恰も巧みな御者に馴致(じゅんち)された馬のように静かとなり或いは高ぶりを無くして衝動が収まった人々は神々にさえ羨ましがられる。

9日     95句

大地のごとく いかることなく (かど)しまりのごとく 戒をまもり そのこころ げに 汚泥なき池のごとし かかるひとに いかなる輪廻(りんね)あらんや

大地のように怒らない、心を慎み、守ることは門の(かんぬき)のように、心の穢れを清めるのは澄んだ湖のようである。このような人はもはや悩み多き生死の連鎖は存在しない。

10日     96句

(おもい)寂静(しずか)なり (ことば)もまた寂静(しずか)なり 身になす(わざ)もしずかなり かかるひとこそ 正しき智慧もて 解脱をえ 安息(やすらぎ)をえたるなり

全てを知り尽くして悟りを得て解脱した人の精神は寂静となり、言葉も行動自体も寂静となる。

11日     97句

いたずらなる信をはなれ 無為(さとり)心境をさとり また (きずな)を断てるもの 誘惑(まよわし)をしりぞけ すべての(もと)()を断てるもの 彼こそまことに 最上の人なり

かりそめを信じない、滅びない作られないものを悟る。
また精神的呪縛を破り捨てた人、全ての欲望を払い捨てた人、このような人こそ最上の人と言う。

12日    98句

村の中に 森の中に はた海に はた(おか)に 阿羅漢(こころあるもの) 住みとどまらんに なべてみな楽土(らくど)なり

村落であろうと、森の中であろうと、海であろうと、また陸の上であろうと、悟れる者の住む所はみなめでたい楽土となる。

13日    99句

げに森に住むは (たの)し 世の衆人(ひと)はここに たのしまざれど むさぼりなき人は ここにうちたのしむ 彼らは愛欲(むさぼり)を 求めざればなり

森林の中で生活することは楽しいことだ。然し多くの人々はこれをしない。貪りのない人々だけがここを楽しむ。なぜならば彼らは愛欲を求めないからである。

14日  第八品

述千(せんということ)

  100句

無益(むやく)の句より成る そのことば たとえそのかず 千ありとも それを聞き 心の(やすけき)をうる 意味深き一句こそ 遥かににもまさる

たとえ千の言葉を使っても、それが意義のない文句であれば耳にした者は心に安らぎを得ない。意味深い一句のほうが遥かに勝っている。

15日    101句

無益(むやく)の句より成る その詩偈(うた) たとえそのかず 千ありとも それをききて 心の安穏(やすらい)をうる 意味ある一偈(いちげ)こそ 遥かにもまさる

たとえ一千の詩偈を誦するとも、もしそれが意味のない句なら、一つの詩偈でも心に平安をもたらす方が勝っている。

16日    102句

無益(むやく)の句より成る 百の詩偈(うた)を 口に(そらん)ぜんより ききて 心のしずかなるべき 一法句(ほつく)()ぜんこそ はるかにもまさる

たとえ意味のない文句で出来ている百章の詩や偈を覚えるよりは、耳にしたら心に平安をもたらすようなたった一つの真理を含む句のほうが勝っている。

17日    103句

戦場(いくさ)に出づる 千たび 千人の敵に かたんより ひとり 自己(おのれ)にかつもの 彼こそ最上の 戦士(つわもの)なり

戦場で千度、一千の敵兵に勝つものよりは、唯一人自分自身に勝つものこそ最も勇敢な戦勝者である。

18日    104句

おのれをととのえ なすところ つねにつつしみあり かくおのれに克つは すべての他の人々に かてるにまさる

自分をととのえて、成すこと総てに慎みがあると言う事は自分に克つことであり、それは他人に勝つよりは優れていることだ。

19日    105句

かかる人の 勝利(かち)を転じて 敗亡(やぶれ)となさんこと 神もガンダバも はた誘惑者(まよわし)も 梵天(ぼんてん)も よもなす能あた(のう)わじ

神もガンバダも魔物も、梵天も自分を常に制御できる人に勝つことはできない。

20日    106句

月に月に 千度(ちたび)(まつ)ること 百年ならんよりは おのれを修めたる 一人のひじりを 供養すること たとえ()瞬時(ととき)なるも この供養こそ かの百年(ももとせ)(まつ)りにまさる

毎月毎月千度、百年の間生け贄を捧げるよりは、己れを修めたたった一人の人間を瞬間でも供養することの方が勝っている。

21日    107句

森の中なる (ひの)(かみ)につかうること 百年ももとせ(ひゃくねん)ならんよりは おのれを修めたる 一人のひじりを 供養すること たとえ()瞬時(ととき)なるも この供養こそ かの百年の(まつり)にまさる

百年間、森林の中の生活で火の神を祭ったとする。
だが、自分の心を制している方を一瞬でも供養するほうが勝っている。
22日    108句

この世にて (さい)(わい)をえんとて あるは犠牲(いけにえ)をそなえ あるは火に供物を献ずる一年をつくすとも そのすべての功福は 正しき人々を敬礼(きょうれい)するものの 四分の一にもおよばざるなり

犠牲を捧げること、火を炊き祀る、この地上での幸福を望み一年中こうしたことをしている者は正しい行為をする人を敬礼する四分の一の価値もない。

23日    109句

敬礼(きょうらい)を習いとし つねに 長老(おいたる)をたっとぶものに 四つの(もの)増長(いやま)さん 生命(いのち)(うるわ)しさと たのしみと力なり

礼儀を怠らない、常に長老を尊敬する人には四つの幸福が益々増える。四つとは生命、容色、幸福と勢力である。

24日    110句

人もし生くること 百年(ももとせ)ならんも つつしむところなく こころ静けさをえざるは 戒をまもり 思い(しずか)なることの 一日生くるも およばざるなり

例え百年生きるとしても、道徳を守らず精神が乱れている人よりは、堅固に節操を守る反省多き人の一日生きる方がましである。

25日    111句

人もし生くること 百年(ももとせ)ならんも 智慧おとりて

こころ静けさをえざるは 

智慧をそなえて 思い(しずか)なるひとの 一日生くるにも およばざるなり

例え百年生きても智慧乏しく心が乱れ動きやまない人よりは、理知の長けて反省深い人のたった一日の生の方がましである。

26日    112句

人もし生くること 百年ならんとも おこたりふけり はげみ少なければ かたき精進(はげみ)に ふるいたつものの 一日生くるにも およばざるなり

例え百年生きていようとも、怠惰に暮らし、努力しない人よりは、たゆまず努力した人のたった一日の生の方が優れている。

27日    113句

人もし生くること 百年ならんとも 一切(すべてのもの)の いかに()()り いかにほろぶるやを 知るなくば この生滅(しょうめつ)(ことわり)を知りて 一日生くるにも およばざるなり

百年生きたとしても、生の出発と集滅を理解しないような人よりかは、生の出発と終滅の分かった人の一日の方がましである。

28日    114句

人もし生くること 百年ならんとも 不死の道を 見ることなくば この不滅の 道を見る人の 一日生くるにも およばざるなり

たとえ百年生きるよりも、生の何たるかを理解しない人よりは、生の何たるかを理解するたった一日の方がましである。

29日    115句

人もし生くること 百年ならんとも 無上の法を 見ることなくば 無上の法を 見るひとの 一日生くるにも およばざるなり

例え100年生を享けても滅びざる道を会得していないならば、それを会得した人の一日にも及ばない。

30日 第九品

悪行(あしきわざ)

 116句

善きことには いそぎおもむくべし 悪しきことにむかいては 心をまもるべし 功徳を作すに こころうきものは 悪のなかに こころおぼるるなり

善き行為に赴いて、悪行に対して精神を防御しなくてはならぬ。もし善を行う前に、物憂い人々は既に悪におぼれている。