安岡正篤先 「経世と人間学」 その九                

平成21年9月   

 1日

聖人の道

()(へい)の久しき経理家文章家などとなふるもの輩出し、先後(せんご)緩急(かんきゅう)の論を訓詁(くんこ)章句(しょうく)の上に(たくま)しうし、古賢哲王の道も庸士(ようし)談柄(だんえ)とはなりぬ。 これをして試みに国事(こくじ)にあづからしめんに、事をあやまらざるものはまれなるべし。聖人の道といへば文武かねそなはりて、これより近く尊きはなし。
 2日 誠心(せいしん)

治乱(ちらん)貧富(ひんぷ)昔も今もこの道によらざれば、皆(じゃ)()に迷ふべし。さされば君たらんは春の耕すはじめより、秋の(おさ)むるまで、花や紅葉にことよせ、

あるは青田の面の雨のさま見まほしきなどとて、むくら生ふいぶせき(しず)()にたちやすらひ、粒々(りゅうりゅう)辛苦(しんく)の民のありさまを身にしたしくしろしめし、
 3日 人材次第

(その)おとなやく(大人役(おとなやく))たらん人は、かねて君に捧げし身と、その国を身ひとつに引き受け、人材を求め、浮沈(ふちん)

にあづかることのわけを、誠心もて涙と共にほどこす命令にしあれば、(こめ)(かね)などは自らこのうちより生ぜん。
 4日

(かん)商人(しょうにん)

たとへ(ごう)()(かん)商人(しょうにん)たりとも、同じく世にすめる人ぐさなれば、必ず小民(しょうみん)(しん)(りょう)

蓄ふる所の財ならん。この(くら)印封(いんぷう)し改むるともたれかこれを不仁(ふじん)とせん。或はこれあらん。
 5日 国を治むるのはじめ 必ずその醜類(しゅうるい)と知るべし。ただこのみちを行はで、かくきびしくなしたらんには、不仁の上の不義ならめ。 この道を行ふにはその人を得ざれば(こと)不成(ふせい)ゆえ、人をえらびいだすは国を治むるのはじめなり」。
 6日 解説 長い間平和が続いたので、経営者とか評論家などが現れ、先後(せんご)緩急(かんきゅう)の意見をただ字句の解釈にとどめ、昔の賢人や傑出 した君主のこともつまらぬ武士の話のたねとなりました。こういうつまらぬ口先だけの者に国の大事な仕事をさせると誤りをおかさない者は殆どないでしょう。
 7日

そこで藩主は田畑を耕作する春のはじめから、作物の収穫まで花見や紅葉見にかこつけたり、或は青田に降り注ぐ細雨を見たいから等といって、貧しい民家に立ち寄り、苦労している人民の実情を身をもって承知すれば

藩主の補佐役である人々は、この身は藩主に捧げた身体であるから、その責任を一身に引き受けて人材を求め、国の浮沈に際会しては、真心から涙とともに命令を下すようであれば、米や金などは自然に集りましょう。
 8日

そこで藩主は田畑を耕作する春のはじめから、作物の収穫まで花見や紅葉見にかこつけたり、或は青田に降り注ぐ細雨を見たいから等といって、貧しい民家に立ち寄り、苦労している人民の実情を身をもって承知すれば

藩主の補佐役である人々は、この身は藩主に捧げた身体であるから、その責任を一身に引き受けて人材を求め、国の浮沈に際会しては、真心から涙とともに命令を下すようであれば、米や金などは自然に集りましょう。
 9日

たとえ大金持ちの心のよからぬ商人であっても、同じ藩の中で共に生活しているのであるから、その富は必ず藩内の民衆から搾取した財産であろう。

従って、その金蔵に鍵をかけて改めさせるようにしても、誰もこれを道にはずれているとは言わないだろう。
10日

若しこれを道にはずれていると言う者があれば、その者はきっと民衆から搾取して財をなした一味の者でありましょう。そこでこれらの者に改心さすには順序を踏んでやるべきて

急にきびしく責め立てるようにやるとよくありません。
やはりこれが出来るのは相当な人物でなければなりませんから人材を探すことは国を治めるはじめです。
11日 人物不在 「今の世の功利に走るさもしさは、その身ひとつのことにしあれば、ゆるしもせよ。やごとなきわか君を、すじやうにいやしき奸商(かんしょう)どもの金の重みに膝を 屈しまいらせ白日(はくじつ)には(ことば)正しく威儀を張り、いともかしこく、時めけど、暗夜のふるまいはにくむことのみ多かりき。
12日 贔屓 されど彼は誰のひき、これは誰々のひきなどとて上に位する人にはその座よきにいひなしかけては、指もてさ し目もて語るのみ。
さてかくあるべしとはしらで、下に人なしなどおもはるべけれ。
13日 上に目なし 下にては恐多くも上に目なしなど、袖ひき笑ふものもありぬべし。 ある太守(たいしゅ)のもとにつかふる予が親しき友のひそかに見せ侍る歌に「位山をほつかなくも棟になる 木にしなき世の殿作りかな」
14日 まごころもて 書はもとより読み(はべ)れど、歌はその業ならねば、文字のつかひよう(つたな)く、また年若ければ、いひもすぎつべけれど、このうたもて世のありさまをは かられていとかなしうおもひ(はべ)る。げに人を得まほしくおもはば、胸ひらきわが身の及ばざるのなせるところと、まごころもて世に求むるにあり」。
15日 解説

いまの世は何かと言えば利害一点張りで、そのあさまいことは個人的なことであれば許しもしたいが、素性のいやしい商人達が殿様に

対して金のために頭を下げさせ、昼間は言葉も正しく礼儀もあって賢そうにしているが、夜の行動を見ると許されぬことが多い。
16日

人物不在と笑う

しかし彼は誰々と特別な関係があるといって上の者が自分に都合の好いように語るため、指したり目配せして、そっと話ができるだけである。 このような状態であるから、下の者から上には人物不在と思われ、そのうちの殿は勿体無いが目くらであると互いに袖をひいて笑う者もあります。 
17日 虚心

誠心誠意

ある太守のもとに仕えている友達の歌の如く、おぼつかなくて棟になる木がないような時世の藩主、殿様の教育であるからどのような教育ができましょうか。元来書物は読んでおりますが歌は素人であるため、文字の使いようは下手で、その上

年が若いから過言のきらいはあるがこの歌で世の中の様子が推察できて実に嘆かわしいことであります。そこで人材を得ようと思えば虚心になって自分の不徳の致すところと誠心誠意をもって世に求めるが宜しい。
18日 癖と疵 「また人をつかふには(さっ)()(じゅつ)てふものもてつかはば、みな我用たらん。されど小過をとがめず、備ふるを求めず、そのものの癖と疵を見て用ふるにあり。 疵と言えばあしきようなれど、車は船の用をなさぬは疵なり。千里の馬も御者その人にあらざれば、ひたもの癖をささへ、性のままにせざるをもて、かみつき踏みつけ、かけおとしぬる馬にも劣るべし。
19日 疵の大なるほど大わざ

ただ此癖(このくせ)あるをもて千里をゆくなるに、癖なくして千里を行く馬は世に稀ならん。人も賢人(けんじん)君子(くんし)ならざるよりはみな疵ものなり。疵の大なるほど大わざの出来るものなり。

この疵ものをあつめ、その気をひきたてつかはば、()(ゆう)大業(たいぎょう)うたがひなし。ただ奸商(かんしょう)の心あるものは用ふことあたはず。
20日 追従諂諛(ついしょうてんゆ)

さればとて、上に位する人、多くの人の癖と疵とを知りて、選みだすことあたはず。頭奉行のものの両老人をあげ、そのものに同僚又は下役のものを(えら)ませ使ふこそ、人を手離(てばな)して用ふるというものなれ。

手離すことならざるゆえ、みづから選ぶ。みづから選ぶゆえ、追従諂諛(ついしょうてんゆ)(やから)出づ。諂諛(てんゆ)(ぎょう)はるるゆえ、同僚のうち心を(へだ)つ。こころを隔つゆえ、身がまひす。
21日 諂諛(てんゆ) 身がまひをなすゆえ、上に立つ人に善悪を論ずることあたはず。論ずることあたはざるゆえ、其人の贔屓(ひいき)におもふ人か 又はその人の身うちの人を諂諛(てんゆ)のためによくいひなし、或はその人のにくしとおもふ人を察しあしくいひなすものなり。
22日 依怙贔屓 かやうのもののほめそしりによりて心を動かし、人を進退せば、おのれ依怙贔屓(えこひいき)とおもはざるべけれど、余所(よそ)より()(はべ)れば、みな依怙贔屓なり。  この旧習を一時に洗い落とし、人の目を新にせざれば、浮沈にあづかるほどの窮国を再興すること天地にちかひてかたかるべし」。
23日 完全を求めず、その人の癖と疵とを見て用いる

また人をつかうには、その元気を作興する術を使うと人が感奮興起してみな役に立ちます。然しながら小さな過をとがめず、すべて完全を求めず、その人の癖と疵とを見て用いるがよろしい。
疵という言い方はよくないが、車は船の

する仕事ができないのが疵である。千里を走る駿馬も好い御者がおらないと一途に癖を妨害するため、生まれつき千里を走るという癖が発揮できないので人にかみつき踏んだり蹴ったりして、ただの癖ある馬にも劣るようになります。
24日

この癖があるから千里の駿馬になるのであって、癖がなく千里を走る馬は稀である。馬にも癖があるように人間にも癖があり、その癖を気にすれば折角の人材がつまらぬ人間と同様になってしまう。

完備した人間とは聖人君子だけである。大きな欠点がある人間ほど大きな仕事ができるものである。(少々危険な表現ですが、確かに真理が含まれています。)
25日

その疵物をあつめ、気分をひきたてて使えば大きな仕事ができて、金持ちになることは疑いありませんが、ただ悪知恵を働かせて商売する心のある者を使ってはなりません。
然しながら、上に立つ者が多くの人の癖

と疵を知って人材を選ぶことは不可能に近いので、そこでよく人を見分ける老練な人物を二人選んで頭奉行にしその者に同僚または下役の者を選ばせて使わせる、これを人を手離して用いねというのであります。
26日

上に立つ者が万事下の者まで自分で選んで使おうと思ったら間違いであります。それをやりますから、つけこんでくる奴が出来て「あいつはゴマをすってやがる」というようになり、同僚の間に隔てが出来て、心がかよわないから互いに警戒します。

このようになっては、上に立つ者はこう言うてよいか、ああ言うてよいかと善悪を論ずることができません。そこで自分の身びいきの者や、身うちの者をほめそやし反対に憎いと思う者を悪く言うものである。
27日

このように者のほめそしりに心を動かして人事異動をやると、自分では公平にやったつもりであるが、よそから見るとみな不公平であります。

この旧習を一時にやめて一新しなければ浮き沈みを繰り返す様な貧乏国を再興することはとてもできません。
28日 一時しのぎの害 「たとひ先例古格によらずとも、時をすくふの的法(てきほう)にしあれば、古人(こじん)の心を今日用ふるというものゆえ、とりもなほさず先例古格なり。 この旧習を洗ひ侍らで、金銀を尊み、ただ一時をしのぐばかりにこころざせば、後日大なる害を生ぜん。 
29日 大事を行うは 大事をおこなふには奸を罰して善をあげ、財散じて民あつまるの仁道によるにあり。 仁道により人をあぐるは、上に位する人の大決断にあらざれば、あげられし人も迷ひ、罰せられし人も時をうかがひ、
30日 大政事の(もと)は決断 天の()()を催し、降りもせず、晴れもやらず、陰鬱の候にひとしく、はては一藩分裂のいきほひになりゆき、治めんと欲して治むること能はず、政道地に落ちぬべし。

人を活かすも仁なり。人を殺すも仁なり。なんぞ婦女子の如く慈悲遠慮を以て仁とせんや。大政事の(もと)は遂に決断の二字に落着すべし」。