「菊と刀」に関して思う

随分前に読み、違和感を強く感じたのは三十代であったろうか。改めてこれを広く読み研究した。

1.アメリカ人文化人類学者・ルース・ベネディクト著である。

 ○日本人論として占領下の日本では一時期ブームであった。マスコミの扇動による、朝日新聞を筆頭としたもの  だ。この書を一口で申すと

 1.菊を愛でる美しい心を持つ日本人が

 2.、侵略戦争に走ったその国民性の矛盾、二面性を指摘したものである。

2.近年シナの知識人のベストセラーになっいると言う。

 ○ブームの端緒は一つは、小泉総理の靖国神社参拝によるらしい。
  ○二つ目は、東北大震災時、国民は、苦難に際し冷静、互助の国民性を発揮したが、最も感服し たのがシナ人  だという。れが動機らしい。さもあらん、シナ人は自己本位の金亡者だからだ。

 だが、その本は、間違いだらけの本となっているらしい。ベネディクトと同様、シナ人の価値観 による本とな つているに過ぎない。またして偏見に満ちた日本人観の流布となっている。

シナ人による日本人観を引用する。

 1.米国在住の知識人の分析――張朗朗氏コメント

「明治維新後の日本人は西洋化の過程でも東洋精神を失わなかった。日本人の教養は、文化ジャンルから見れば、着物、剣道と同様に漢や唐の時代の中国から伝承された儒教の「義」の精神の表れ。これが日本人の特別な国民性、それは中国古代の「義」の精神と伝統的儒教の思想、さらに老子や荘子の思想も取り入れて日本人が「高いレベルの情操」に発展させたものだ。

元来はシナに由来する精神文化だが、現代の中国には皆無であり、震災中に見た日本人の国民性について「懐かしさ」ばかりでなく「悔しさ」を感じるという複雑な心境があるという。

2.東北大学助教授の張陽氏の発言

「日本人をこれほど素晴らしい民族に教化した儒教思想は現代中国では見られない」と悔やむ。
そして東北大震災で世界を感服させた日本人の「冷静さと秩序正しさ」の淵源は儒教思想にあるとして次を指摘している。

「震災後、避難所でシナ人留学生を含む多くの東北大学学生に出会ったが、進んでボランティア活動を志願したシナ人留学生は一人もいなかった。日本国民は、まさしく中国2000年の儒教思想を受け継いでいる。遣隋使がシナから儒教文化を日本に持ち帰った後、聖徳太子は十七条憲法を発表した。その憲法の第一条に「和を以て貴しと為し、忤うこと無きを宗と為す」とある。これはまさに孔子の「論語」の内容に合致している。」

自分の国に失われた精神が、憎むべき日本の中にしっかり根付いていることに悔しさを感じるシナ人の真理は複雑なものであろう。


その複雑なシナ人の感情は、同時に「日本人とは一体もむ何者なのかという関心へ向かっているらしい。それが現代シナの菊と刀ブームと言われる。 

間違いだらけの独断的日本文化の「菊と刀」の書である。

日本人識者のこの本の書評を引用する。
一口で言うと「
翻訳者の先入観、偏見的間違い多数の書である。」

和辻哲朗

  読むに値いしない本。日本を侵略主義的なとする詭弁と独断がある。

津田左右吉

  儒教と伝統的な道徳を混同しいる。

土居健

  罪と罰が無関係という前提の考え方が問題。

竹山道雄

  諸文化は総体的であり優劣は言えない。罪の文化と恥の文化が、どちらが上だなんてことは言えない。

柳田國男

  日本人ほど「罪」という言葉を使う民族はいない、ベネディクトが日本人は道徳律が欠如  し「輪廻転生の教理が一向に体得されていないのは不思議だむと指摘したことに就いて「  明白に事実に反する」、「罪業観ばかりは最も広く徹底している」と反論している。

山折哲雄

  菊と刀は、アメリカの戦時情報局に為に行った政策研究であり重心を低くして密かに獲物  に狙いを定めていた」、「戦闘的な政治学の論文」の「粉飾の背後に隠された本来の意図  」を注目しなければならないと鋭い。

ダグラス・ラミス米国人学者

  「単に物語化された日本人のイメージに過ぎない。ベネディクトには最後の山の彼方にあ   る幻なのだ」と指摘、彼女の書いた日本の社会も現実も存在しない」と米国人さえ、正   しく洞察している。

徳永総括書評

要するに、西欧文化中心主義の価値観で他の文化を一方的に評価した文化理解から出発した政治的著作である。
ベネディクトが西欧近代の「心身二元論」に
基づく「善悪二元論」という単純な二分法論理に立脚して日本人に道徳律が欠如していると批判しているのは西欧的価値基準で日本人と日本文化を断罪する独善的態度である。文化相対主義とは対局にある傲慢に書物である。
正に、読むに値いしない著書である。
第一、ベネディクト自身、日本を見ていない、これは正に政治的に日本を陥れるために書かれた謀略的書物で書である。