「この国を思う」4 安岡正篤  

平成21年9月   

 1日

革命と維新―ロシアと日本

革命の結論は

現代はまた戦争と革命の恐怖時代であります。「過去十年の間、人々は革命についてすべて誤算し、そのあらゆる希望に幻滅を感じた。人々は革命によって、規律だった不動の政府を持ち、堅実な財政を持ち、賢明な法規による、そして外国に向って平和を開き、内に平穏な社会を作り上げ る政治を持とうと期待した。
処が事実はその反対で無秩序と戦争と、破産と飢餓と、二、三回にわたる支払停止といった結果をもたらしただけであった」とはフランス革命の新研究家P・ガクソットがその名著「フランス革命」の結論に断定しておることです。
 2日 非利己的創造行為の有無が眼目  然し「もし各社会団体や階級の指導者と支配的階層とが非利己的創造行為をなし得ないならば、革命と戦争とは避けがたいものであって、利己主義の必要な最小限から野放しの利己主義の方向に逸れかたが烈しくなればなるほど、革命と戦争とは一層不可避となり破壊的となる。
永年の内には搾取階
級は彼らの利己主義と近視とによって、彼らの得るよりも多く失う。何となれば、戦争革命とその他の闘争し彼らの富と利権とのみならず、彼らの生命をすら奪うからである。祟りは直ちには生じないかも知れないが、適時に襲うことを間違えることは殆どない」とソローキンも「ヒューマニティの再建」に断定しております。
 3日 非理性的になる者の多い現代 文明と社会生活の悪化のために精神分析学者の指摘する通り段々非理性的になる者の多い現代は革命狂ともいうべき者が激増しておることは事実です。それらの人々の大多数はロシア革命を非常に高く評価しております。
今日のソ連を日本人でありながら祖国のよう
に考えもソ連的革命が日本でも成功する日を迎望しておる者も決して少なくありません。かっては有名なマルクシズム哲学者であったニコライ・ペルジャエフがその「ドストエフスキーの世界観」の中に次のように説いていることは注意して好い正論であります。
 4日 革命は道徳の否定 (ドストエフスキーは無恥と感傷的な点がロシア革命の社会主義の基礎となっていることを指摘した)。「我国に社会主義が広まったのは主として感傷的なためである」と。しかし感傷的とは誤った敏感性、誤った同情である。それは残虐に終ることも珍しくない。 革命道徳は個性があらゆる道徳の価値や判断の基礎であることを知らない。さればあらゆる人間の個性を単純な手段、単純な物質のように扱うことを許し、どんな種類の手段でも革命事業の勝利のためにはその適用を許すのである。それ故に革命道徳は道徳の否定である」と。
 5日 ロシア魂に注意

ロシアと言えば虚無主義、反国家主義、徹底的自由主義者、自由と解放とのための徹底的戦闘者の祖国―というふうに考えておる者が実に多い。

しかしロシア人は今日も依然として昔に変わらぬロシア人で空想に映ずるロシア人ではない。
ロシア魂に注意せよと真剣ロシア研究家はみな確信しております。
 6日 ロシアの民族的信念

今から約五百年前、1453年トルコ民族がコンスタントノーブルを占領して東ローマ帝国を亡ぼしました時、モスクワの大公イワン三世は自らギリシャ正教唯一の正系外護者コンスタンチンの後継者であり、

モスクワを第三のローマであると宣言し、爾来人類を正道に導く光と力とはモスクワよりとする宗教的民族信念が段々根を下ろしたと言われております。日本民族が天孫民族と誇るのも、漢民族が中華を以て任ずるのも決して珍しいことではありません。
 7日 ロシアの歴史的大家の有名な言葉 ロシア人はみな祖国―歴史―言語を愛します。例えばよく引用されるロシアの歴史的大家の有名な言葉の幾つかを列挙しましょう。 1、大国ロシアが地球の広大な部分に向かって号令する言葉は、いかなるヨーロッパ語にも引けを取らない立派な言葉だ。(ロマノフ。18世紀ロシアの代表的科学者詩人)
 8日 おお偉大な、力強い、真実性に富んだ、自由闊達なロシア語よ!この様な言葉が偉大な民族に与えられたものではないとは考えることができない。
(ツルゲーネフ。19世紀ロシア文豪)
私はどんなことがあろうと祖国を取り替えようとしたり、我々の祖先が築いた歴史以外を持とうとしたりすることなどは断じて望まない。
(プーシキン。19世紀ロシア大詩人)
 9日 祖国に対する愛は同時に人類に対する愛でなければならない。祖国を愛すること。それは自分の祖国において人類の理想が実現することを希望し、自分の力のあらん限りを尽くしてそれに貢献することだ。
(ぺリンスキー。19世紀文芸批評家)
祖国の光栄と幸福のために寄与すること、それ以上高く好ましい何事があろうか。

(チェルヌイシェフスキー。19世紀ロシア革命家)
10日 我々大ロシアの自覚あるプロレタリアにとって、民族的誇りの感情は縁のないものだろうか勿論そうでない。我々は我々の言葉と祖国とを愛する。(レーニン)。スターリンの祖国主義、英雄主義、独裁主義は言うまでもありますまい。

彼は日本きが敗れて屈服した時「日露戦争に於けるロシア軍の敗北はわが国民の心理に重大な烙印を押した。それはわが国歴史の汚点であり、わが国民は日本が敗北してこの汚点が払拭される日を確信し待望して来た」と演説しております。 

11日 マレンコフも日露戦争五十周年記念大会を催し当時従軍した生存者を民族の英雄として表彰しているのであります。日本の急進的な人々はロシアのこの大切なバックボーンを全く見損なっております。 ロシアの歴史は不幸にして覇王の徹底的恐怖政治であります。

1240年抜都に征服せられてから二百年、蒙古の独裁弾圧政治に慣らされました。
12日 イワン四世の非道 近世ロシア建設の雄図を代表する者はイワン四世(1547−1584)でしょう。イワン雷帝、イワン・ザ・テリブルなどと呼ばれております。彼の政治は全くオプリチナという秘密警察力の下に行われました。この政治はピョートル大帝の時も エカチェリーナ女帝の時も変わらず、さらにツァーリ()が亡んでレーニンのソ連になっても、チエカとなり、ゲー・ペー・ウーとなり、N・K・V・Dとなり、M・V・Dとなり終始一如であります。政治も非道なれば革命も非道であります。 
13日 日本は維新 然るに日本はそうではありません、いまさら説くまでもなく、歴史らしいものが判明してより以来、君民一体の道徳的政治的精神が失われたことはなく革命は常に暴民より出ずにエリート指導的人材の政治的反省と忠誠より行われてきました。 いわゆる革命が下より起こることに対して、上より行われたのであります。そこで革命という言葉を忌んで常に維新というのであります。維新は国家的生命の健全を証するものであります。日本でき革命でなく、維新であるべきことを深く悟らねばなりません。
14日 保守党の頽廃 それには、さしあたり今日保守党が勝れた存在でなければなりません。 然るに近来保守党の頽廃無能と革新・進歩を呼号する巧妙な急進派のスローガン戦術とから、保守ということさえひどく嫌われるようになっております。
15日 保守の真意 イギリス保守党の名相ジスレリーが、保守 conservativeの意味を「維持し、改造すること」、時務に応じて国政をよく維持し、改造してゆくこととし、自分の使命は、その保守党を国民に魅力ある政党にすることだ。自分は悪を去ることにおいてはラディカルである、急進的

であるが、善いものを保つことにおいては保守的であると言っております。これでなくてはいけません。本来、保守党というものは国民大多数から魅力あるものでなくてはなりません。良い保守党がなければ国は危い。しかるに、そうゆかないのは、何か保守党に非常に欠陥があるに違いない。 

16日 保業(ほぎょう)守成(しゅせい)

保守ということについて思い出す一つの文章があります。それは孔孟とか老荘とかの説ではなくて、非常に現実的な兵書である「呉子」の中に、保守ということについて卓越した考えがあるのです。

それによると、保守とは「保業(ほぎょう)守成(しゅせい)」、すなわち、業を保ち、(せい)を守るという意味の言葉で「創業(そうぎょう)(すい)(とう)」を承けるものです。
17日 これは孟子にもありますが、一世が業を創め、統を垂れる、すなわち、立派な第一代が苦心して仕事を始め、その仕事を後々まで継承されるように伝える、これを創業(そうぎょう)(すい)(とう)という。自分一代で駄目になるような軽薄なものではなく、

二世も三世も自分の遺す方針に従って行けば、ちゃんと事業を守って行ける――つまり歴史を作ることができるようにすることが一世の使命である。この先代の創業垂統を継いで、その業を保ち、先代の成功をよく守って行く。これが保業守成で保守の意であります。 

18日 深い哲学の東洋兵書 日本近代史で言うならば、明治天皇や当時の偉大な先輩たちの創業垂統したことを大正、昭和の人々が保業守成して行く、これが保守である。 「呉子」の中にそのことが立派な文章で書かれております。東洋の兵書はなかなか深い哲学に富んでおります。
19日 「謀」 後人の一番大事なことはかように先代が創業垂統したことを保業垂統することであるが、いかにして、この肝要の点をよくして行くか。これを「謀」と言っております。 それは時が経つに従って色々の弊害を生ずる。その害を避けて、どううまく持ち続けてゆくかの問題で「呉子」にはそのことを「害を避け利に就く」と申しております。
20日 「義」 この謀によって先輩の遺業を正しく維持改造してゆく、それを「義」と云っております。 そこに事を行い功を立つ「行事立功」がある。
21日 「道」

それには結局、「道」を知らねばならぬ。というのは先述の通り、この事を行い功を立てて行く段になって失敗するのです。

そこで道を修める必要がある。しからば「道」とはどういうことであるか。
22日 反本復始 反本復(もとにかえりはじめに)(かえる)」ということであります。絶えず先代のやった創業垂統の根本精神に(かえ)り、その始に復って末期現象に走らないことです。 道というものは、(もと)(かえ)り、始めに(もどつて)って、絶えず新しく出直して行くことです。作物が成長するのもそうである。伸びっぱなし、徒長(とちょう)では駄目。必ず根に帰って絶えず新しい創造が行われる。
23日 蔑視の傾向 処が、二世、三世は往々にして本に反り、始めに復ること、即ち千代の創業垂統の精神から離れ、或は背いてしまう。つまり道に反するのです。 ところが実にこれは難しいので我々の体でもそうですが、どうも我々には悪い錯覚がありまして例えば血液でも静脈血というものを蔑視する傾向がある。
24日 静脈は第二の心臓 静脈というものを何か悪いもののように思う癖がある。ところが思慮深い医学者は静脈のことを第二の心臓と云っています。動脈官によって全身に送られた血液が今度は毛細管を通じて静脈に返ってくる。この方が人間には大事なのです。
これが再び新鮮になって、それこそ反本復始して、心臓は絶えず新鮮な血液を送れるのです。
 
抹消血管が停滞してしまって、あたかもどぶが詰まったようになれば、即ち静脈がその機能を果たしませんと、心臓というポンプをいくらガチャガチャやつても血が流れぬ。却って逆流してポンプが壊れてしまう。それよりも、心臓が悪いと思って強心剤でも打てば余計心臓を悪くするわけです。それよりも、どぶ(さら)えした方が好い。
25日 容易でない反本復始 処がこの反本復始が容易にできない。これが焦って道を失いますと必ず失敗する。
菜根譚(さいこんたん)」に「事窮勢蹙之士(こときゅうぜいしゅくのし)当原(まさに)(そのしょしん)初心(をたずぬべし)」、「(こう)成行満之士(なりぎょうまんのしは)(その)(ばんせつ)()晩節(かんずるをようす)」。
何か生涯の大仕事をやりあげて、そして人生の行路も終った。即ち「功成り行満つるの士」はその末路を見る。

ここでやれやれなんて思うと、老い込んでしまったり、或は有頂天になって弛んでしまう。
26日 初心を(たず)ねよ その反対に行きづまつてしまって勢いも(ちぢ)まり、意気があがらぬ。どうにもこうにもペシャンコになってしまった人間は、そこでへこたれず、元気であった初心を(たず)ねるが宜しい。 そうすれば、また新しく出かけることができる。これは易の精神でもある。ところが、これまた中々出来なかったのであります。
27日 明治の垂統を 日本も現在、事窮し、勢いが蹙まっておりますが、これもやはりごまかしはききません。 どうしても創業垂統の明治精神を尋ねる外はない。それでないと必ず自家崩壊に陥る
28日 国民の偉大さ

19世紀末のイギリスの歴史学者バーカーという人がある。この人の「オランダ興亡史」という書物は名著で、それこそ洛陽の紙価ならぬロンドンの紙価を高からしめた人です。このオランダ興亡史の中に、パーカーが領土だの物資だのというものがその国の偉大さに

本質的の関係があるものではない。真にその国民の偉大さに関するものは、そんな領土や資源や貿易ではなくって、国民の能力であり、国民の精神である。ことに後者の国民精神の問題である。これの旺盛な国民は必ずどんなに困っても必ず勃興する。
29日 精神次第 ことに国際関係の難しい時に、ちょうど例をとれば、良く規律あり、訓練ある乗組員にして初めて荒波を潜り抜けることができるが、秩序の乱れた、精神の入らぬ船員共では沈没の危険があるのと同じである。その意味において政党政治は、非常に注意を要する。 国あることを知らず、ただ党あるを知り、その党よりも実は己の利を図るばかりというように、政党が堕落してオランダは衰退してしまったのだ。
だから、どうしても己よりも党、党よりも国家という精神に燃えた政党員を作らなければ到底政党政治というものは国民のために危ないということを痛切に論じております。
30日

革命を避けよ

それが、そう行かず段々悪くなると、どうしても革命を招来する。革命というものはやむを得ざることであるが無条件で肯定できない。非常に注意を要するものです。警戒を要するのです。処が行き詰まって来ると、

革命が要求されるために、何か革命と言えば無条件に礼讃される傾向があります。これは間違いで、できるだけ、革命は避けたが宜しい。やむを得なければ革命もなければならないが、それはあくまでも正しく賢明に行われねばならない。