佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」その十七 岫雲斎補注  

平成24年9月

203.  

朱子の文書
朱子は経学を以て文章を(おお)う。徳有る者は必ず言有り。朱、呂の()()の如きは、真に是れ能文なり。

岫雲斎
朱熹はその優れた経学によりその文章が貫かれている。論語「徳有る者は必ず言あり」とある。朱熹と呂祖謙の二氏は正に能文家である。

203.          撃壌(げきじょう)の詩

撃壌の詩は、道学(どうがく)香山(こうざん)なり。()く人を(けい)(せい)す。宜しく意を()けて読むべし。 

岫雲斎
撃壌(げきじょう)の詩は道学家の白楽天の詩に匹敵する。共に人を戒め、目覚ましめるものだから心し読むがいい。
註、香山は唐の大詩人・白居易。撃壌(げきじょう)の詩、一農夫「日出でては作り 日入りては(いこ)い 井をうがって飲み 田を耕して食う 帝力我に何かあらんや」、岫雲斎(いた)く同感。

205           朱子の詩 朱文公の詩は、実に性情の正を見る。之を(じゅ)するに()(りゅう)に似て、而も意味(おのずか)ら別なり。 

岫雲斎
朱子の詩は、実にその性情が正しいことを示す。その詩を吟ずれば韋応物や柳宗元の詩に似ている。意味は違う。

206.

言語と文章
言語文章は一なり。文は宜しく経を師とすべし。「辞、(たい)(よう)(とうと)ぶ」は周公なり。「辞達(じたっ)するのみ」は孔子なり。 

岫雲斎
言語と文章は一つのものなり。文章は経を手本とするがよい。書経「辞は体要を尚ぶ」、言葉は切実簡要を貴ぶと周公が言った通りである。論語「孔子曰く、辞は達するのみ」、言葉は意味が通ずればよいとある。みな文章の師とすべきこと。

207.

文章練達の法
先ず草創(そうそう)し、次に討論し、次に修飾し、最後に潤色(じゅんしょく)す。鄭国辞(ていこくじ)(めい)の精密なること、但だ(すう)(けん)(ちょう)を取るのみならず、文章鍛錬の法に於ても亦宜しく然るべし。 

岫雲斎
先ず原案稿を作る、次に是非、当不当を検討、次に文を練り、最後に磨きをかける。鄭国の外交文書作成の順序であるがその緻密なることは、四人の賢者の長所を取っただけでなく文章を鍛錬する上でも精密を尽くしきったものであった。

208.

詩は志を言うに在る
詩は志を言うに在り。離騒(りそう)、唐詩の如きは、(もっと)も能く其の志を言えり。今の詩人は、詩と志と背馳(はいち)す。之を如何せん。 

岫雲斎
詩の眼目は志を言うことである。屈原の「離騒」、陶淵明の詩などには、よくその志を述べている。然るに、今の詩人は、詩と志が別物である。どうしたのか。

209

文をよくして文人とならず

応酬の文詩、畢竟(ひっきょう)、人の玩弄(がんろう)に供するは、()づ可きの甚だしきなり。顧亭(こてい)(りん)曰く、「文を能くして文人と為らず、詩を能くして詩人と為らず」と。此の語(はなは)だ好し。 

岫雲斎
手紙などの遣り取りを立派に書いて人の弄びに供するのは恥ずかしい極みである。顧亭(こてい)(りん)は「文章が巧みに書けても文人とは言えぬ。詩を立派に書いても詩人ではない」と、これは実に好い言葉だ。

210.

識量と知識は別
識量は知識と自から別なり。知識は外に在りて、識量は内に在り。 

岫雲斎
識見、度量とは知識とは全く別のものである。知識は自分の外に在るもの、識見とか度量は自己の内から出てくるものだ。(知識は有っても智恵のない人間が多い現代人。)

211

人才に虚実あり
人才に虚実有り。宜しく弁識すべし。 

岫雲斎
人の才能には「虚」と「実」とがある。そのことをよく識別することが肝要である。(註・表面は才子でも内容空白、表面は良くないが内容が充実し実のある人間もいる。)

212.

老人の話はよく聞け
老人の話は(かりそめ)に聞く可からず。必ず之を(しる)して可なり。薬方(やくほう)を聞くも亦必ず剳記(さっき)すべし。人を益すること少なからず 

岫雲斎
老人の話はいい加減に聞いてはならぬ。聞いたら必ず書きとめておきなさい。薬の調法を聞いた場合も箇条書きにしておくがよい。人の役に立つものが少なくない。

213

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武人俗吏を軽視する勿れ
文儒(ぶんじゅ)は一概に武人俗吏を蔑視す。(はなは)(あやま)りなり。老練の人の話頭は、往々予を起す。 

岫雲斎
学者、評論家は一般的に武人や、官吏を軽蔑する傾向がある。これは大きな誤りである。どのような立場の人であれ、練達した老練な人物の話は自分を感奮興起させるものがある。

214.        

婦人や子供の話も聞くものだ
平心に之を聴けば、婦人や儒子(じゅし)の語も亦天籟(てんらい)なり。

岫雲斎
心を平らにして聞くならば、婦人や子供の話にも納得できるものがあり、天然自然の音楽のように響くこともあるものだ。

215.         

人は倫理大節の上で見よ

人の(けん)不肖(ふしょう)を論ずるには、必ずしも(さい)(こう)を問わず。必ず(すべか)らく倫理大節の上に就きて、其の得失如何を観るべし。然らざれば則ち世に全人(ぜんにん)無けん。 

岫雲斎
人が賢いか、賢くないかの論評には、其の人の細かな行いは問うべきではない。人間として踏むべき大筋に就いてその人を観るべきである。さもなくば、この世に尊敬できる人物は存在しないことになる。

216         
人は各々能力あり
人は各々能有り。()使()すべからざる無し。(いち)()一芸(いちげい)は、皆()()(ぐう)す。()(しょう)(ひっ)(さつ)の如きも、亦是れ芸なり。蓋し器使中(きしちゅう)の一なるのみ。 

岫雲斎
人には夫々の能力がある。その長所に基づいて使途があるものだ。一つの技、一つの芸、夫々に奥義が存在している。詩、文章、手紙を書くのも一つの芸である。夫々、各々、人を前向きにするものだ。どんな人間でも役に立たない人間はいないと云うことである。(註 論語・子路篇 「その人を使うに及んでや、これを器にす」とある。)

217.         

老境の心得
人は老境に至れば、(たい)漸く懶散(らいさん)にして、気(はなは)急促(きゅうそく)なり。往々人の厭う所と()る。余此れを視て(かん)と為し、齢六十を()えし後、(もっと)も功を()け、気の(しょう)(よう)を失わざるを要せしが、然れども未だ能わざるなり。 

岫雲斎
人間は老いて来ると、体がおっくうになり、気持ちばかりが焦り、人から時折嫌がられることになる。自分はこれを観て、鏡として60才過ぎてからは一段と修養に心がけているが中々思うようにゆかぬものだ。

218

仕・学両立し難し

「学んで優なれば則ち(つか)うる」は()し易し。「仕えて優なれば則ち学ぶ」は、做し難し。 

岫雲斎
勉強して力がつき、余力があるようになってから官に仕えることは易しい。然し、役人になって余力が出来てから勉強するのは中々難しいことである。

219

王陽明の言葉
「心(そう)なれば則ち動くこと(もう)、心(とう)なれば則ち視ること()、心(けん)なれば則ち気()え、心(こつ)なれば則ち(かたち)(おこた)り、心(ごう)なれば則ち色(おこ)る」。昔人嘗(せきじんかっ)って此の言有りき。之を(しょう)して覚えず(てき)(ぜん)たり。 

岫雲斎
王陽明は言った。「心が騒がしく落ち着きが無いと、動作が(うつろ)ろになる。心がだらしないと、視るものみな浮ついてくる。心にあき足らぬものあれば、気力も衰え萎縮してしまう。心、心あらざれば、顔も礼儀もだらしなくなる。心に驕りがあれば、顔色にも驕りが現れてくる」。これを読んで思わず恐れ慄く(おのの)思いがした。

220.

名は求めても棄ててもいけない
名は求む可からずと雖も、亦棄つ可からず。名を棄つれば(ここ)に実を棄つるなり。故に非類に交りて以て名を(やぶ)る可からず。非分を犯して以て名を損ずる可からず。(けん)(ごう)は近づきて以て名を(おと)す可からず。貨財に(けが)されて以て名を汚す可からず。 

岫雲斎
名誉は無理に求めるものではないが、さりとても現在の名誉を棄てて良いものではない。名は実の(ひん)であるから名誉を棄てることは実を棄てることとなる。だから、人倫の道を心得ない人々と交流し自分の名誉を汚してはならぬ。権力に近づいて名を落とすようなことをしてはならぬ。金銭の為に節操を汚し不名誉を招いてはいけない。

221.

人には与えよ

人の物を我に乞うをば、(いと)うこと勿れ。我の物を人に乞うをば,厭うべし。 

岫雲斎
人が自分に物を乞い求めたら、与えなさい。然し自分が人に物を乞うことはしてはならない。(人の世話をしなさいということか。)

222.         

財貨の運用に道あり

財を(めぐ)らすに道有り。人を欺かざるに在り。人を欺かざるは、自ら欺かざるに在り。 

岫雲斎
財貨の運用には道がある。それは人を騙さないことだ。それは自分を騙さないことと同じである。(戦後の日本はこれが崩壊した。)

223.         

君の為に利を興さん者

今の君の為に利を興さんと欲する者は焦心(しょうしん)苦思(くし)せざるに非ず。然れども自利の一念挿みて其の間に在る有れば、則ち君の利(つい)に興すこと能わず。

岫雲斎
今の世で殿様の為に福利を興そうとする者は苦心している。この場合、利己心が介在していると殿様への利は畢竟、興すことはできまい。

224.     
信用第一
信を人に取れば、則ち財足らざること無し。 

岫雲斎
信用さえ得ておれば、財貨の不足で困ることはなかろう。

225.  
()王は立派
禹は吾れ間然(かんぜん)とする無し。飲食、衣服、宮室(きゅうしつ)、其の軽重する所を知る。必ず是くの如くにして、財も亦乏しからず。 

岫雲斎
()王のした事は一点も非難する所はない。則ち、自分の飲食は粗、衣服も粗、宗廟の祭事は丁寧、住居は簡素、持てる力は民の農耕に尽くすなど軽重をよく心得ていた。人々がこのようにすれば財の不足はない。

226.  

 
癇癪(かんしゃく)持ちのこと

肝気有る者は多く(べん)(きゅう)なり。又物を容るること能わず。(つね)人和(じんわ)を失う。故に好意思有りと雖も、完成する(あた)わず。「(やや)、肝気有れば、(かえ)って能く事を(りょう)す」と。余は則ち謂う、「肝気(いずく)んぞ能く事を()さん、?(わずか)に一室を灑掃(さいそう)するに足るのみ」と。

岫雲斎
癇癪持ちの多くは性急で人を入れる度量がない。常に人と調和しない。だから良い考えを持っていても何事も完成できない。「少し癇癪がある方が却ってよく仕事をする」と言う人がいるが、自分は「癇癪持ちがよく仕事が出来る訳がないと思う。
ただ僅かに座敷の掃除が出来るのが関の山だ」と言いたい。

227.         
財の使い方

財を(おさ)むるには、当に何の想を()くべきか。余謂う「財は才なり。当に才人を駆使するが如く然るべし」と。事を弁ずるは才に在り。禍を取るも亦才に在り。慎まざる可けんや。 

岫雲斎
財貨の運用は如何にあるべきか。自分の意見は、「財は才である。だから才能ある人を使うのと同じようにしたらよい」と。事を処理するのも才である。禍を招くのも才である。よく慎む必要がある。

228.         

財は公共の物なり

財は天下公共の物なり。其れ自ら私するを()()けんや。尤も当に之を敬重すべし。濫費すること勿れ。嗇用(しょくよう)すること勿れ。之を愛重(あいちょう)するは可なり。之を愛惜(あいせき)すれば不可なり。 

岫雲斎
財貨は天下の公共物である。私してはならない。当に敬い重んじるべき存在である。だから無駄遣いはご法度である。ケチもいけない。愛用するのは宜しいが惜しみ過ぎてもいけない。

229.

常に二案用意せよ
器物には必ず正副有りて、而る後に欠くる事無し。凡そ将に一事を区処せんとせば、亦当に案を立てて両路を開き正副の如く然るべし。 

岫雲斎
器物は正副二つ必ずあれば、一つが損じても事欠かない。同様に、一つの事件の処理でも二通りの方法を用意しておけば巧く行くものだ。

230

易経に就いて

周易は両呂の復古よりして、朱子其の(もと)を用う。亦見る有り。程伝(ていでん)は、則ち名は伝注(でんちゅう)なれども、而も実に経と()ぐ。書本の古今を論ぜず。最も高し。 

岫雲斎
古来周易は古書でありしばしば出たが、長期間の散乱後、呂大防と呂東莱が整理復刊し「周易古経」という書物にまとめた。朱子はこれを使って「周易本義」を著した。これは中々立派な書物だ。(てい)伊川(いせん)の「易伝」は、名は伝注となっているが、経書に次いで優れたものだ。だから、書物は、その古いとか新しいとかは論外で、上述のものは名著であり名高い。

231.

書経に関して

尚書(しょうしょ)にも亦古今(ぶん)有り。而して今伝うる所は、即ち古文の経なること、疑う可き無し。宋以後、信疑曹(しんぎそう)を分つ。近世閻若?(えんじゃくきょ)疏証(そしょう)(あらわ)して、而して毛奇齢(もうきれい)之を(えん)とす。()なり。凡そ五経の(うち)にて、確言の(おびただ)しきこと、此の経に()くは()し。(すなわ)(みだり)に之を沙汰するは、(ただ)に経を尊ぶの道に非ざるのみならず。而も更に経を(そし)るの罪有り 

岫雲斎
書経にも古文と今様文の二つがある。現在に伝わるのは古文である事は疑いない。宋以降、この本の信疑が学者の間で起こり、色々の派ができた。近世となり、清国の閻若?(えんじゃくきょ)が「古文(こぶん)尚書(しょうしょ)疏証(そしょう)」を著作して、古文尚書が偽りであると非難したが、同様に清国の毛奇齢(もうきれい)が、これは不当なことだと反駁した。凡そ五経の中で、真実の言葉の最も多いものはこの書経に及ぶものはない。無暗に、これをあれこれと言うのは、ただ経書を尊ばないだけでなく、経書を誹る罪に落ちる。

232.

宋の儒学

(いやし)くも(れん)(らく)に原本せば、訓詁(くんこ)は則ち仮令漢(たといかん)(とう)を用うるも亦(さまたげ)無し。(こころみ)に之を思え、古今(こう)()を訓して親に(さから)うと為し、忠字を訓して君に叛くと為す者無きを。 

岫雲斎
学問は、周茂叔や程兄弟の著書に基づいておれば文字解釈などは漢や唐の時代のものに依拠しても害はない。昔から現代まで、考の字を親に逆らうと読んだり、忠の字を君に背くと解釈したりすることは無いうことを考えてみるがいい。