清貧(せいひん)に就いての考察 その五 


  平和22年9月              岫雲斎圀典「清貧に関する考察」索引     

 1日 良寛

良寛さんと言う人は、家にいると言うだけで、格別に説教するという訳でもなく、詩や和歌の話を講釈するのでもないのに和気が満ちるようであったと言う。ごく自然に振舞い奥座敷で黙々と坐禅を組んだり、自然に振舞うだけ、炉辺で世間話をしているだけで、胸の内が清らかになるようだつたと言う。

 2日 簡素な生活

貧しい草庵暮らしの乞食僧であったのだが、その簡素な生活に却って常人の及ばぬ高雅な心持の(かぐわ)しい人柄であったのだ。無所有を貫くと同様、知識の所有も所有として斥け、全てはただその行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、日々心を新たに充実させる為の手立てだったのかもしれない。

 3日 僧は清貧を可とすべし

良寛さんが備中玉島の園通寺で作った詩がある。
「円通寺に(きた)ってより 幾度か冬を()たる ()(あか)づけば (いささ)か自ら(あら)い 食尽くれば 城?(じょういん)に出づ 門前 千家(せんけ)(ゆう) 更に一人を知らず 曾て高僧伝を読む 僧は清貧を可とす()し」 

 4日 僧侶たる者

僧侶たる者は、すべからく清貧であれと思うと良寛さんは言う。そして孤独に耐え、清貧を旨として坐禅弁道に励む事だと言う。他の坊主はどこかの寺の住職となる為に修行しているのは本当の仏教でないと思っていたのであろう。 

 5日 現代僧侶

こうして見て来ると、現代僧侶が我々凡人と全く同じ生活をしておることに気づく。単なるお経詠みの坊主だからである。一般人と同じ生活しており、メタボな肥満体に人が死ねば、金襴緞子の僧衣をまとい、うつろな顔で葬式と法要の儀式をするだけの坊主に尊敬とか人生の指導を求めるなんてカラキシ有り得ない。これだけで仏教は本来の宗教から大きくかけ離れている。

 6日 僧侶の精神生活が堕落

僧侶は清貧を旨として孤独に耐え、坐禅弁道に努めてこそ衆人を救済できるというものである。仏教の知識など我々も保有しているのだ、仏教の作法など本質的なものではない。僧侶の精神生活が堕落して衆生の救済から程遠存在と成り果てている現代僧侶である。

 7日

良寛さんの生き方を見ると、自ら孤独を感じるような生き方である、「常に吾が身の孤なるを歎ぜり」。これは現代では中々難しいであろう。良寛さんの生き方が清貧であるとすれば、これは現代では到底不可能のように思える。

 8日

寺という世界の中でも当時も僧侶が名利を求めていた。それは人間の業に近いものであり人間とは決して純粋に生きていかれないものであろう。それが出来るのは余程の覚悟と図抜けた志のある人であろう。 

 9日 現代的清貧

では、清貧とは不可能かというとそうでもない。現代的な清貧像があると思える。一言では難しいが、欲望の抑制を基本とし、衣食住に亘り節度を重んじ、無用な見栄と競争を排除し、自分をささやかな存在と認識し、その自分を支えて下さる諸々に対して素直に感謝の心を持つという生活態度であろうか。

10日 小さな存在の自分

ささやかな感謝の気持ちとは、自らの脚下を見つめることから始めることになるのではないか。一人では生きて行かれない人間、他から支えられている自分、それを支えて貰っている。「勿体ない」の気持ちで見わたすと自ら分かってくるように思えるが・・。月給とか収入の範囲の生活だからとて当然と思わないことだ。支えられて生きている小さな存在の自分を見つめ直すことから始まるのではないか。

11日 生活ぶり

良寛さんの徹底した生活ぶりはとても現代人には不向きである。その無一物ぶり、沈黙ぶりは凄まじいものであった。

12日 沈黙

「良寛は、今や肉()げ、肩ゆがみ、顔面蒼白の壮年乞食僧と化したが、しかもあくまで、沈黙を守り抜こうとしている。この沈黙は不気味だ。じいんと静まり返ったこの沈黙は恐ろしい。なぜなら、彼の沈黙は自づから、彼の真理追求の難行苦行がいかに充実し、透徹(とうてつ)していたかを現示する以外のなにものでもないからだ」と吉野秀雄は言う。

13日 己が心をのみ凝視

このように良寛は、自らに課した修行の厳しさ、内面生活の充実を感じさせるに十分なものである。良寛のこの姿は一日にしてできたものではない。「己が心をのみ凝視する修行」を続けていたのである。外から見ればただの乞食坊主であるが、内には、ゆったりと滑らかな水が流れ、(ぼつ)(げん)(きん)の調べを聞き入っているかのような透徹した人であったという。

14日

神気内(しんきうち)(みち)秀発(しゅうはつ)ス」という内的充実の世界の人であったらしい。大伽藍や金蘭の僧衣を好む坊主どもには決して聞こえない性質の音なのであろう。

15日

何もない貧しい草庵にあって良寛の心の中には、音のない琴の音が響き、風に飛んで消え、流れと和して妙なる階調をなしていたのである。その詩は明日ご披露する。

16日

(じゃく)() 草庵の(うち) 独り奏す (ぼつ)(げん)(きん) 調べは風雲に入りて絶え 声は流れに和して深し 洋々 渓谷に()ち 颯々(さつさつ) 山林(さんりん)(わた)る 耳聾漢(じろうかん)に非ざるよりは誰か聞かん 希声(きせい)の音」

17日

僧になるとは、世俗を捨てて仏道修行に生涯を捧げる生を選択したことである。そこには本来、俗塵の入る余地は無くてはならぬ。だが、法界もまた一つの人間社会、そこには他人を出し抜いていい寺の住職になりたいとか、権勢に重用されて権力の一端に連座したいとか、凡そ仏法に反する欲望も盛んなのは現代と変わらぬ。それは大方の僧がそうであったかも知れぬ。

18日 仏教堕落の遠因

江戸時代300年は、仏教が幕府権力に操縦された最も堕落した時代であったことを想起して欲しい。それは現代の仏教の信教自由を拘束された遠因となっていることと関係がある。

19日

なぜなら、徳川家康は、天下統一以前、自分の家老が一向宗に従うという苦難を嘗めたことと無関係ではい。天下を統一した後、幕府は仏教対策をした。例えば法然は50年毎に大師号を朝廷から授けて貰う約束をしており現代まで続いている。法然には数多くの大師号がある。要するに私は浄土宗は幕府の御用宗教であった。 

20日

この制度により坊主は托鉢しなくて檀家の面倒を見れば食えることとなった。これが坊主の堕落の始まりである。この制度が出来てから坊主の妻帯が始まったのが日本の仏教界である。

21日

この制度により坊主は托鉢しなくて檀家の面倒を見れば食えることとなった。これが坊主の堕落の始まりである。この制度が出来てから坊主の妻帯が始まったのが日本の仏教界である。

22日

このような江戸時代の仏教界にあり、良寛のように「心の修行」のみの修行僧は、将に孤独たらざるを得なかった。その純粋性を貫くには寺院制度からはみ出してどこにも所属しない「個」であるしかなかったのであろう。あるのは「己の心の世界」だけである。乞食(こつじき)の中でそれを磨いた良寛、だから今尚、その生き方が我々の心を惹きつけてやまないのである。 

23日

清貧は僧侶に最も相応しいと言っているのである。これは徒然草の一節にある通りだ。人の死で生活している坊主は、華やいでいて欲しくないのが世人の人情でこれはいつの世にも変らぬ庶民の気持ちのようである。坊主は、下を向いて生きて欲しいのであろう。それが恰もビジネスのようになり過ぎているから多くの庶民の反感を買うのであろう。

24日 良寛の僧生活

良寛の僧生活を示す詩がある。「幾度か冬春を経たる ()(あか)づけば (いささ)か自ら(あら)い 食尽くれば 城?(じょういん)に出づ 門前 千家(せんけ)(ゆう) 更に一人を知らず (かっ)て高僧伝を読む 層は清貧を可とす()し」。

25日 愚の如く

良寛に対し師の大忍国仙が与えた「(いん)()()」がある。

良寛庵主に附す 「良也(りょうや)愚の如く道(うたた)(ひろ)し 騰々(とうとう)(にん)(うん) 誰を得てか()せしめん 為めに附す 山形の(らん)(とう)(じょう) 到る処 壁間(へっかん)午睡(ごすい) (のびや)かならん」 

26日

「良よ、おまえは馬鹿みたいに ゆけばゆくほど 足の下が(ひろ)がりつづける 大道(だいどう)の子だったわい。のほほんのほんと 足にまかせてゆくおまえを いったい誰が看視できるものか。さあ、山から切りだしたままの このまっくろな藤の杖を授ける。これをもって何処へなりとゆけ 何処(どこか)の岩かげででもぐっすり午睡(ひるね)するがよい」。

27日

良也とは親しみを込めていった言葉。国仙師は純粋に求道一筋で名利に無関係の良寛にわが道を託したのである。

28日

バブルの時代は勿論、世代的に見れば、現在の不景気でもバブルのようなものであろう。お金一色の時代であることには変わりはない。お金があることだけを良しとする時代は現在でもバブル的である。凡て「損か得か」を尺度として他の形而上的な価値観は全く顧みない。これは良寛と正反対のものである。 

29日

「生涯 身を立つるに(ものう)く 騰々 天真(てんしん)(まか)す 嚢中(のうちゅう) 三升(さんじょう)の米 炉辺(ろへん) 一束(ひとたば)(たきぎ) 誰か問わん (めい)悟ご(さとる)(あと) 何ぞ知らん 名利(みょうり)(ちり) ()() 草庵の(うち) (そう)(きゃく) 等閑(とうかん)に伸ばす」 

30日

これは良寛の代表作である。悠々としたい気分を求めたくなる詩だ。だがこんな暮らしは到底出来るわけはない。それだけに惹き付けられてやまないものがある。「立身出世、栄達、金儲け、そういう心を労するのが嫌ですべて天のなすままに任かせてきた。今、自分は、この草庵の頭陀袋の中には乞食をして貰ってきた米が三升あるだけ。炉辺には一束の薪があるだけ。極限の不安な状態だけど、これだけあれば十分、迷いだの悟りだのということは知らん。まして名声だの利得などは問題ではない。私は夜の雨がしとしとと降る草庵の裡にいて、二つの脚をのどかに伸ばして満ち足りている。」

終りの言葉 結局、良寛さんで私の思考は止まった。清貧のことはここまでとします。とても難しい、だがこの心を心として維持して日々生きて行く事こそが人間として、地球人として、教養人として、一個の存在として、如何なる時代でも大切なのではなかろうか。否、現代的意義が今日ほど深いのではあるまいか。