「神仏の現前的実在」 

私は登山中、喘ぎ喘ぎ登る時、どうしてこんなしんどい思いをしてと、瞬間的に思うこともある。多くの登山者もそのような思いをされることもあろう。

だが、その時、あの徳川家康の残したと云われる言葉、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。 急ぐべからず。」の言葉を必ず想起しつつ進む。 

山岳登山は本当に厳しいものがある。時には自分は今「修行」をしていると言い聞かせていることもある。

そこには、肉体と精神を厳しく鍛錬するものがあり、しかも持続力が必要で単発的瞬発力だけでは山は登れない。 

「山岳宗教」とか「山の宗教」と言われるものがある。大峯奥駈に挑戦中、太古の辻から前鬼口へ下山した。麓の山小屋「小仲坊」に宿泊したが、その宿の主人は平安時代「(えん)の行者」の弟子、前鬼・後鬼の後鬼の末裔である五鬼助家の61代目・五鬼助義之氏が当主であるから驚嘆だ。いかにも歴史の国・日本らしいではないか。

その(えん)の行者・(えんの)小角(おづぬ)実在の人物でありわが国の山岳修験道の開祖であることは言うを待たない

光格天皇は、役の行者が創建したとされる常光寺に烏丸大納言を勅使として遣わして神変(じんぺん)大菩薩(だいぼさつ)(おくりな)を贈っている。この名前の素晴らしいことよ!

登山する我々は、このような悠久の歴史的実在の人物、由緒ある現場に立ち合せている喜びを痛感するのである。

「修験道」は、大自然のもつ霊力を得るために、深山幽谷で苦しい修行を重ねて験力(けんりく)を得るという意味がある。それは役小角以来の長い歴史の中で山岳宗教が生み出した一つの到達点であり日本人の精神原点である。

鬼気の迫る、悽愴(せいそう)な気持ちに襲われるこれら深山の山々には、測り知れない深さの渓谷、そそり立つ壁、陰湿な森林、熊や毒虫人為的にはその昔から堆積された伝説など様々なものから(かも)し出される独特の空気が確かに存在する。そこに神秘の霊力を肌で感じ神仏の現前的実在を覚えるのは至極当然な感情なのである。 

山岳宗教のそれが神であろうが仏であろうが、混淆であろうが私は少しも構わない。峻険な山岳で出会う心霊は神も仏も区別の必要はなく同じである。

例えば、那智の滝の上流、神域と墨書のある立札、苔むした石組みを古木に掴まりながら谷に下り、河原に出て、ふと上流を見て、あっ、と戦慄を覚えた私は思わずひれ伏した。

森厳にして峻厳な雰囲気の中、まるで仏様を思わすお姿の御滝である。(あお)い水を深沈(しんちん)と静かに湛えている滝壷。荘厳、厳粛、打ちのめされたような思い!!悠久の昔から静寂(しじま)の中にひそと(しず)まる御滝。これは那智の二の滝に初めて触れたときの宗教的体験と言い得るものである。


私はかって、このように衝撃を受けた滝を見たことはなく、思わず合掌した。霊威を受けて厳粛となり身が引き締まる。これらの体験は、存在としての人間を超越した感情でありそれは宗教そのものなのである。

これは、いかなる経典・言語より宗教的悟得(ごとく)を得られたことの証左であり、大自然の神秘に「神仏の現前的実在」を覚えるからである。


那智の滝を見て、「アマテラスを見た!」と叫んだのはフランス人作家アンドレー・マルローである。

大自然の威容は人種とか信仰を超えた存在なのである。否、そこから人間の持つ様々な感性を通じて諸々の宗教が発生するのではないか。

東北は出羽三山の月山神社に初めて登った時、森厳なる境内に霧が立ち込め、動くさまに恐れさえ覚えた。
神道の髄を見たるかみ社に霧たちたるは神立ちませる」と神の現前的実在感は脳裏に刻み込まれた。

この時の荘厳を通り過ぎ神霊に触れた思いを忘れない。

修験道の山岳宗教は、大峯山の外にも色々あり私も各地の山々を登山している。著名な山では、大峯山、東北は出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)、富士山、丹沢の隣の大山(おおやま)、木曾御岳、立山、伊吹山、伯耆大山、石鎚山は凡て登山したが、九州の英彦山(ひこさん)()菩提山(ぼてさん)は未登山であり一度はと念じている。 

山岳宗教は登山と同根であり、肉体と精神力を厳しく鍛錬し、質朴を希求するものである。そこには現代人に欠ける「物的豊かさと浪費を敢えて拒否する」という過去の日本人の理想でもあった「清貧の思想」に通ずるものがある。そういう意味においても登山の肉体鍛錬は現代的価値がある。 

だが、日本の秘境と言われる大杉谷を遡行した時は、圧倒された思いはあったが、大峯山のようなものは受けなかった。

なぜであろうか。当時の印象を書き連ねながらその理由を探索する。

大杉谷は日本の秘境であり、滝と(ぐら)と呼ぶ絶壁が連なり原始的景観を擁している。大杉谷は、明るい豪快な渓で、直線的に流れている。両岸の山壁は(すこぶ)る急峻で、この谷へ落ち込む支河の多くは(つりけん)(こく)になっている。これは青壮年期の谷の特色で風景の雄深さ示すものである。渓を覆う原生林の美しさは幽遂を極めた針活混淆の喬木林だ。

大杉谷のもう一つの概観的特色は降水量が多く年間四八〇〇ミリに及び屋久島と並ぶ日本一の豪雨地帯である。峡谷は絢爛豪快と華麗さのある浸食の様相を呈している。シシ淵は大杉谷の取りつきにあるが、ここら辺にはカシ類など常緑広葉樹を主林木とする低山特有の森林が繁茂。苔むした水成岩の屏風が両岸にそそり立ち、その上流には滝が幽かに見られて幽玄、幽遂の風流が心にしみる。淵の水は魅惑的な瑠璃色。だが宗教的雰囲気を感じないのだ。

岸の断崖や絶壁の上の岩場を慎重に登り続け、シシ淵から山頂の日出ケ岳一六九五米へ高低差約一三〇〇米、大杉谷の巨石、岩巨の豪快さが感動と圧倒を呼ぶ。谷底から見上げるばかりの平等ー(びょうどうぐら)の毅然とした威容に敬意を表するが大峯山とは異なるのである。節理という岩の割れ目にそって浸食形成された滝壷が連続している様は圧巻で特に、壮大な七ツの壷をかかえた滝に圧倒され大自然の妙は筆舌に尽くしがたいのであるがそこに神仏の現前的実在を感じないのである。不思議である。

大杉谷は、明るすぎるのである。明るい所には神仏は見られないのであろうと私は結論づけている。

      平成21年9月1日

                         徳永圀典