東洋思想十講義 安岡正篤

           第九講 儒教について()
平成25年9.月

1日 創造の力

このように元気、骨力というものは創造の力、クリエーションの働きでありますから同じ力でも物質的な体力よりは精神的な力が高まってこなければなりません。その精神的な力を気力と言うのであります。この場合の気は精神的・心理的という意味であります。造化は長い間かかって漸く諸々の生物の中から人間というものを創りだしました。その人間と他の生物とはどこが違うかと言えば、それは精神というものを発達させたということです。人間のどこが一番人間らしい所かと言うと、それは肉体的よりも精神的であるということであります。従って精神的なものを失ったら、もうこれは人間として一番の堕落であります。

2日 顔がないような

今朝、列車の中で新聞を見ておりますと、大変面白い記事がありました。それはアメリカの有名な化粧大家である婦人が日本に来て感想を述べておるのです。先ず婦人は日本の女性の化粧が大へん発達しているのを礼讃した後、どこか悪い点が目につきませんかという質問に暫く躊躇しているようであった。が遠慮なく言って欲しいとうながされて、こういう事を言うでおります、「自分はこの間、立派な洋服を着こなしている人を見たけれども、その人は顔がないような気がした」と。実に辛辣な批評であります。

3日 顔がないのは個性がない精神性がない

顔がないと云う事は個性がない精神性がないということです。やはり何事によらず一芸一能に達すると目のつける所が違います。顔が無ければ人間ではないのであのまして「俺の顔を立てろ」とか「俺の顔をどうしてくれる」とか言うのは、そういう点から考えると面白いと思います。

4日 志気

さて、元気が骨力となり、気力となって次第に精神的に発達して参りますと、自らにして生きんとする目標・目的を持つようになります。これを「志」「志気」と申します。人間は幾つになっても、或は成功すればするほど、理想・目標・志ほ常に高く持って失わないというのでなければ本当に人物とは言えません。

5日 反省から義と理

そして志ができると、その志に照らして物を考える、という作用が発達して参ります。これを「反省」と言います。人間は反省が生まれてくると、そこに義と利を分かち、単なる利、例えば知能があると云う様なことに飽き足らなくなる。そして「われ何を為すべきか」「如何に為すべきか」「為すべからざるか」という識別・弁別、即ち「義理の弁」が明らかになって参ります。「こうしなければならぬ。これが道だ。それは単なる都合の好い利に過ぎない」というように義と利がはっきり分かれて参ります。

6日 見識

そして義利の弁が明らかになると、知識が知識でなくなって参ります。即ち単なる知識ではなくて理想精神・創造力からみる「見識」が生まれてくるわけです。見識は知識のように補うことも人から借りることもできません。本当に意味の修養をしなければ得られないのです。従って人物というものは見識がなければならないのであります。

7日 胆識こそ肝要

処が、如何に見識があっても、それを現実に実行するとなると容易ではありません。色々の利害・矛盾、またそこから発生する議論等の中にあって、どうしても実践しなければならぬという決断力・実行力が要ります。見識にこの決断力・実行力の伴ったものを「胆識」と申します。広い世間には流石に見識のある人は少なくありませんが、胆識を持った人となるとこれは誠に少ないのであります。けれども人の長となるほど必要なのはこの胆識であります。

8日 中国とは何ぞや

例えば、中国問題にしてもそうであります。中国に関する知識はいくらでも得られますが、中国とは何ぞやという本質的問題となると、これは見識がなければ分りません。処が、その中国を相手にどうするかという国策決定となると、見識に加うるに胆識というものが必要になって参ります。従って、人の上に立つということは非常に厄介で難しい。考えようによっては実に危ないことであります。

9日

それよりは好い加減なところでまごまごしている方が宜しい。老子・荘子はそういう皮肉というか裏返しの人生観・いい換えれば現実を回避したり隠遁したりするような主義・思想が特に発達しております。

10日 泥亀

先日、山形に居ります私の友人が「泥亀」という面白い詩を作って送って参りました。この人はかって教育委員長をやって、当時横暴を恣にした日教組を畏服させた人でありますが、泥亀と号しております。これは「荘子」の、宰相に迎えられようとして謝絶した寓話からとったものです。即ち宰相というような国家の重要な地位について、煩累ばかり多く、生きながら死んだような自由の利かぬ地位におるよりも、泥の中に尻尾を引いて這い歩きながら自由に生きる泥亀の方がよほど性に合っている、と云って宰相になることを断ったと言うものです。それも一つの心境であります。然しこれは中々難しい。実際に泥亀の方をとる人は案外居ないでしょう。そこに泥亀の味もあるわけで、叉そういう心境が胆識というものになってくるのであります。

11日 察力・判断力の源泉

このように元気から骨力、志操、志節、義理の弁、見識、胆識等が備わって人間の内容が発達して参りますと、自ら人間の観察力・判断力が勝れてきます。色々な現象・問題に徹してくるわけです。そして人間が人間らしく独特なものになってきます。つまり人間の「器」が次第に出来てくるわけであります。

12日 道器

器とは物体の一つ表現ですが、人間の器は単なる器ではなくて、創造力・エネルギーを持った無限に進歩発展してゆく器でなければなりません。これを「道器」と申します。論語(公治長)に弟子の子貢が「私はどういう人間でしょうか」と問うたのに対して「汝は器なり」と孔子は言われた。「何の器でしょうか」と訊ねると「お前は瑚l(ごれん)、祭祀の時になくてはならぬお供えを盛る大切な器である」と答えられておりますが、器にも色々あります。けれども固定した器や借り物の器では駄目でありまして、どこまでも進歩性、発展性を持った器、即ち道器でなければなりません。

13日 器度 器量

そうなると、器は一つの批判力・判断力の主体になります。言い換えれば観察する道具、物差し?度です。そこで器に度をつけて「器度」と申します。遠大な先のことまで分るというのは器度が大きいのです。反対に目先のことしかわからないのを器度が小さいとか狭いと申します。また物を量るのに、中に容れて量る枡というものがあります。これは「器量」です。量は包容力のことです。器度は専門的であまりに民衆には使われませんが、器量の方は「あの方は器量人だ」などと云って一般に広く使われております。

14日 度量

天下の権衡

ついでに申しますと、器度・器量を加えると「度量」になります。度は物差し,量は(ます)です。また(はかり)竿(さお)のことを(こう)分銅(ふんどう)を「(けん)」と言います。そこで権にはかる(○○○)と言う意味がありますから、はかり(、、、)ごと(、、)を権謀と言うのです。処が、悪知恵が発達すると、秤の目をごまかしたりしますから、折角大切な権が悪い意味の、ごまかしのはかりごとになります。そこで権をかり(、、)()と読むのです。また衡は天下のことをはかると言う意味から宰相の地位を表し、政治のことを「天下の権衡(けんこう)を保つ」などと申します。

15日 気品・風格・気韻、或は趣き

このように人物内容が進むということは、言い換えればこれは人間生命の非常な発達であり、醇化であります。人間が単なる器ではなく道器でなって自然の創造力を体現してくるのです。そうなると、どことなくその人に気品・風格・気韻、或は趣きと言ったものが生まれて参ります。こういう風に人間がだんだん発達していって、そこで初めて人物というものの内容に立ち入って認識することができるのです。そうして、歴史や伝記などを読むと、本当の人物というものを味わい知ることができます。従って東洋の人間学というものは、精神性が高くまことに深遠なものがあります。

学問と教育
16日 妙味と造詣の出る年代に東洋学

そこで、東洋の学問は非常に深いのですが、何としても難解である。けれども少しわかってくると、妙味があって止められないものであります。だから、どうしてもある程度の人生体験を経ないとなかなかは入れません。或る年齢に達し、或る程度の体験を積み、人の心を酌んでやる地位になる、という風になればんる程、妙味が出て参ります。それでなければ、本当の造詣と言うことは出来ません。と言うで、そういう年齢・地位にならなければ分らぬかと言えば、決してそういうものではなく、知識・見識として把握することは出来なくとも、吸収する、身につけることは出来ます。

17日 子供の頭脳

つい二、三十年前までは、子供の頭は幼稚で、難しいことを教えるのは無理だと言われておりました。処が最近、大脳医学の発達によってそれが間違いであることが証明されたのであります。人間の脳は肉体の他の諸器官と異なり、大体三才ぐらいで成人の80パーセントぐらい出来上がっていると言うのです。

18日 能力が三才ぐらいで

脳細胞の数は約150億と言われますが、これは他の動物のように新陳代謝することなく、その殆どが三才ぐらいで出来上がっているのです。また細胞ほ結ぶ複雑極まる回線のような繊維網なども大体備わるということです。つまり与えられれば、それを受け容れ感得する能力が三才ぐらいでちゃんと出来ておるわけです。知識的・思考的には未発達ですが、吸収-受け容れることは出来るのです。然も受け容れるだけでなく、むしろ早く与えておかなければならぬと言うことも分って参りました。

19日 人間教育は
早く幼児から始めることが大切

例えば、こういう実験をやっております。同程度の能力の子供を二組に分けて寝かせます。一方の子供には目を覚まさぬ程度に教えようと思うことを音盤に吹き込んで繰り返し聞かせ、もう一方の子供にき聞かせないでおく。そうして目が覚めてから両方を一緒にして、同じ内容のことを教える。すると能力は同じ程度であるが、睡眠中に聞かせておいた子供は聞かさなかった子供に較べればはるかに早く覚えると言うことであります。従って人間教育は、分っても分らなくても、なるべく早く幼児から始めることが大切なのです。

20日 わからなくても幼児の時から教育

アメリカに人間能力開発協会というものがありまして、そこのドーマンという専門家が日本に参りまして、あちこちで講演されました。私もそのレポートを貰って感心したのでありますが、この人は徹底した幼児教育論者であります。人間は幼児の時から教育しておかなければいけない。わかっても、わからなくても、そんなことは問題ではない。とにかく教えておけば、成長するに随って必ずその効果が上がる。

21日 寧ろ罪悪の日教組教育

子供は幼稚でまだその能力が発達していないから難しいことは教えないで、漫画ぐい読ませておけばよい、などと考えるのは大きな間違いであると力説しておりました。不幸にして日本では、特に日教組などの諸君は、ほとんど幼少期に難しいことを教えるのは間違いであると考えております。これは寧ろ罪悪であると云うてよいと思います。

22日 東洋の学問は

従って、東洋の学問と言うものは一面において人生の経験を積み、いろいろの地位・身分も出来、年を取ってくるほど次第によく分り、叉面白くなって参りますが、それと同時に、なるべく早く幼少の時から習わしめることも大切であります。

23日 真似をして翔ぶ稽古

前にも解説したことですが、「習」という字は、羽ははね、下の白はしろではなくて、鳥の胴体の象形文字であります。つまり雛鳥がだんだん大きくなって親鳥の真似をして翔ぶ稽古をする、というのが習の字であります。つまり体験することです。わかっても分らなくても正座して読む。その姿だけでもよいのです。素読だけでもよいのです。要は、やらせると言うことに大きな意味があるのであり、また事実、非常な効果があるということでも専門家によって証明済みであります。

24日 三島由紀夫

その意味で、少し話が脱線しますが、私は例の三島由紀夫氏のあのような非命に倒れたことを心から悔やみます。あの人は大変頭も良く、若くしてあれだけの仕事をされたわけですが、学問の上から申しますと、始めは西洋の文学や芸術からは入って、40才になって日本・中国のいわゆる東洋の思想・学問に興味を持ち、憧憬を抱くようになった人であります。

25日

そして陽明学などをやり始めて間もなくあの事件になりました。これがもし反対に、子供の頃から東洋の学問をやり、長じて西洋の学問・芸術にはいっていったならば、恐らく思想。行動も大きく変わっただろうと思います。それを思うと大変残念であります。三島氏が尊敬し崇拝した吉田松陰とか橋本左内というような人々の幸福と言うか、特徴は、幼少の頃から儒教や仏教等の東洋の学問を叩き込まれたことであります。

26日 本当の学問

そうして幕末、20才・30才となって初めて西洋の学問にぶつかった。その為ら、我々後人から言うならば、あのような非凡な見識・器量・風格・風韻というようなものを発揮することが出来たのです。それを知らぬ人は「あの若さで、よくもあれだけの人物が出来、また仕事を成し遂げた」と言うのでありますが、然し本当の学問をしたものから言うと、それは当然だと言うことができます。

27日

誰でもと言うと語弊がありますが、さほど生まれも悪くなく、ある程度の頭を持っておれば、例え彼等には及ばずとも似たりよったりの所までゆけると断言してよいとと思います、そういう意味で、最近西洋の学問に非常な興味を持つようになって参りましたのは、本当に喜ばしいことであります。然し人間というものは面白いもので、例えば私が東洋の学問の勝れていることを話したりしますと、とかく我田引水だの、当たり前だのと言うて、真剣に聞きません。処が同じことでも、それを西洋人が言うと、直ぐ感心してしまう。

28日 トインビー

日本で有名なトインビー教授、これは今度の大戦が生んだ碩学で「歴史の研究」という大著で有名です。前大戦の時にはオスワルド・シュペングラーという人がおりまして「沈みゆく黄昏の国(日本語訳では西洋の没落)という本を書いて、欧米は勿論、世界を震撼させたのでありますが、トインビーの歴史の研究を読みますと、このシュペングラーの西洋の没落と内容・実質において殆ど変わりがありません。

29日 ヨーロッパ文明

これは、文明の栄枯盛衰の歴史をつっこんで研究してゆけば、同じ結論に達するのは当然でありますが、ただトインビーの最も苦しんだのは、彼らの誇りとするヨーロッパ文明が過去20幾つかの文明と同じように栄枯盛衰してゆくと言うことであった。シュペングラーの言葉を借りて言うならば、「今やヨーロッパ文明諸国は黄昏の国である。やがて陽は沈む」。

30日 東洋的創造の哲学

この結論は、何としても堪えられない。そこでトインビー教授が何とかして活路を開きたいと煩悶懊悩した時に偶然、彼に非常な感激を与えたのが易の陰陽相待理論、つまり東洋的創造の哲学であったわけです。彼はこれによって大きな救いと暗示を得て、シュペングラーが暮鐘をついたヨーロッパ文明に一条の活路を与えたのであります。然し、それは決して無条件に救われるのではない。東洋的人間の道を体験してゆくことによって初めて活路が開けるというのであります。そこで、彼は易を学び、だんだん奥へ進んで、最後には日本の「惟神道」にまではいってゆきました。 そういう尊い東洋の学問が中国、特に日本において血となり肉となって、無意識の中に庶民の間にまで浸透しておるわけでありまして、従って日本の将来、今後の国民教育というものを考えた場合、再びこれを意識にのぼらせて、これを根本に新しい創造・発展をさせなければいけないと思うのであります。