玉殿岩屋  富山県立山

今回の山行に先駆けて我々は新田次郎の「剣岳ー点の記」を読み気分を盛り上げていた。再来年には映画も出来る。この9月から現地ではクランクインしている。大いに期待する。

明治40年、未踏の山と言われた剱岳への三角点設置を命じられた測量官の柴崎芳太郎は、結成されたばかりの山岳会と初登頂を競い、ついに東面の長次郎谷(このときの案内人、宇治長次郎による)から山頂を踏むことに成功した。
しかし、山頂では奈良時代のものと思われる錫状の頭や剣の先が発見され、古くから修験者によって登られていたことが判明。剱岳を語るとき欠かせないこの話がここまで有名なのは、この傑作山岳小説の力による。
玉殿岩屋は佐伯有頼の立山開山伝説ゆかりの地であるとともに、『劒岳<点の記>』で柴崎が修験者から剱岳登頂のヒントを得た重要な場所。立ち寄らないわけにはいかなかた我々であった。
平成19年9月11日