民主党政権の歴史的評価は「大失敗」


    失望と国益損傷だけ残った民主党政権

 非自民「壮大な実験」 破壊と背信…失望だけ残った 

2012.9.16産経

 民主党政権は16日、発足から丸3年を迎えた。この間、国民との契約だった衆院選マニフェスト(政権公約)はほごにされ、政治主導は官僚依存に落ち着き、クリーンな政党どころか「政治とカネ」の不祥事が続発した。失敗と失態が繰り返された3年間。国民には失望だけが残った。(阿比留瑠比、加納宏幸)

 「いろんな試行錯誤の中で、失敗することもあるだろう。ぜひ国民に、ご寛容を願いたい」

 平成21年9月16日の就任記者会見で、首相の鳩山由紀夫が発した「予言」は不幸にも的中してしまった。

 旧社会党、旧新進党、旧日本新党…と議員の政治信条も行動様式もバラバラな民主党は、もともと政策を詰めるのを避けてきた。唯一の共通項は「非自民」。

 鳩山が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「最低でも県外」に固執したのも、自民党政権の取り組みを否定したいがためだった。

 鳩山は10月29日の参院本会議で「普天間の移設問題は13年間動かなかった。これを今動かそうと努力している。ご心配無用だ」と述べ、過去の政府の努力と成果を切り捨てた。実際は、移設実現まであと少しのところまで来ていたにもかかわらずだ。

 「テロとの戦い」の一環で、国際的評価が高かった自衛艦によるインド洋での補給活動を中止した大きな理由も、前政権と違うことをしたかったためだろう。

 幹事長の小沢一郎が唱えた「日米中正三角形論」も手伝い、米国との関係は冷却化し、このことが中国、韓国、ロシアなど周辺国による対日攻勢を招いた。

民主党が金看板としていた「天下り禁止」方針も自ら捨てた。鳩山は10月、日本郵政の社長に元大蔵事務次官の斎藤次郎を起用。斎藤は小沢に近く、自民党政権時代には冷遇されていた。12月にはマニフェストの柱だったガソリン税の暫定税率の廃止について、小沢に「(現状維持が)国民の声だ」と迫られると廃止をあっさり取りやめた。

 22年6月に鳩山の後任首相に就いた菅直人は、「情報公開」という政権交代時のキーワードを軽視した。

 「最終的に外交の方向性を決めるのは主権者たる国民だ」。こう自ら訴え言いながら、菅は国民が判断する材料を隠し続けた。

 同年9月の沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件では、中国人船長を超法規的措置で釈放した責任を那覇地検に押しつけた上、衝突映像の公開を拒んだのが、その実例だ。

 そして23年3月11日、東日本大震災が発生し、東京電力福島第1原子力発電所で事故が起きると、現場に過剰介入した半面、被災者への情報開示は怠った。揚げ句、首相の座のバトンを野田佳彦に渡す際にはこう述べた。

 「歴史がどう評価するかは後世に委ねる」

 だが、後世を待つまでもなく、民主党政権という“壮大な実験”に対する歴史的評価はほぼ「失敗」と定まりつつある。