安岡先生は、昭和12年、林銑十郎内閣の文部大臣に推薦されていたという。

政治に関与することを嫌い謝絶された。さらに、敗戦の昭和二十年、東久邇宮稔彦内閣でも文部大臣に推薦されたとも言う。

戦前では、宮内大臣などをした牧野伸顕・枢密院議長らに講義をされ、

牧野氏からは「昭和の吉田松陰」と呼ばれて尊敬されていた。