日本、あれやこれや その41

平成19年9月度

 1日 実学の発見 使節団の久米邦武は、サンフランシスコのウッドワルド公園に行く、そこには植物園、動物園、博物館、図書館がありその陳列の仕方が日本と全く違うのを発見する。日本ではただ珍しいのを見世物にするだけだがアメリカでは、「捜羅討索」して虫や魚も孵化から成虫、成魚の過程まで研究し分類して陳列している。 ワシントンでは観農寮という農事試験場を見学、そこでは、博虫、分析、種園、書庫、本草、編集、用度の八つの課を作り調査研究している。穀肉、蔬菜は農産の性質、糞培品の性質、醸造液の性質などの調査、またその原理を利用した生産性、栽培・養殖まで展開している。これが理学であり科学であり実学であると痛感した。
 2日 花鳥風月 日本では、なお花鳥風月に安住していて花を見れば、和歌、俳句、鳥なら絵筆をとるという閑雅な境涯に遊泳している。この日本と欧米の格差の現実に、使節団の一行はここから始め

なくてはどうしようもないと痛感したのである。久米は「西洋人は有形の理学を勉む。東洋人は無形の理学に篤くす。両洋国民の貧富を異にしたるは、最もこの結果より生ずるを覚うなり」と。 

 3日 拙劣(せつれつ)不敏(ふびん)なり 久米はだが言う「西洋の民は拙劣(せつれつ)不敏(ふびん)なり」と。続けて言う「東洋の西洋に及ばざるは、才の劣るに非ず、知の鈍さに非ず、ただ済生(さいせい)の道に用意薄く、 高尚(こうしょう)空理(くうり)に日を送るによる」と。
日本人は才能が劣るのではなく、頭も鈍いのではない、実務を軽視し高尚な文芸にうつつを抜かしていたのがいけなかったという訳である。
 4日 日本の産物は高尚 「日本人は、その手技により制作する産物は高尚の風韻あり、警抜の経験を存し、西洋に珍重せらる、これ才優なり」で日本の工芸品は高尚の風韻があり西洋では大変な評価を受けてい たのである。
然も日本人は「応対機敏にして、営思活発にして、模擬の精神強く、当意即妙の智を具す、これ敏なり」。機敏活発で特に真似が巧く、機知にも富んで中々捨て難いという訳である。
 5日 久米の分析 久米邦武の西洋人分析はこうなるのである。「西洋の民は之に反し、営生(えいせい)の百事、皆屹々(きつきつ)として刻苦したる余り、理、化、重の三学を開きその学術にもとづき、助力機械を工夫し、力を省き、力を集め、力を分かち、力を均しくする術を用い、その拙劣(せつれつ)不敏(ふびん)の才知を媒助(ばいじょ)その利用の功を積みて、 今日の富強を到せり」と本質を喝破している。
輝かしい近代文明の創造をした欧米人は拙劣(せつれつ)不敏(ふびん)なりとは随分な言い方だが蓋し本質を突いた名言ではあるまいか。この高踏な精神こそ二千年の文明国としての矜持であり頭脳の優秀性を物語る。我々は才知が高い、彼等は拙劣(せつれつ)不敏(ふびん)だからこそ技術が発達したのだというのである。はっはっはっーー。
 6日 久米の自信は現代でも有効 久米は西洋をよく観察し日本人としての自信も感じていた。ウエストポイントの兵学校へ行くと、訓練生に鉄砲を撃たせてみせます。処が弾の当りが良くない。どうも奴らは下手だな、不器用だな、我々がやれば もっと巧くやるのにという感触を得る。英国の造船所や紡績工場も同様で、最初は驚くが、色々と見ている間に事情が飲み込めた。才能や知力からすると決して日本人は劣っていない。寧ろ優れていると強い印象を受けたのである。
 7日 明治後半のその後 明治後半になると、その日本人も、愈々欧米劣等感に苛まれるのである。だが、幕末から明治初期にはサムライ的背骨の確りした紅毛人なにするものぞの気概 があった。いずれにしろ、岩倉使節団一行は、欧米の科学技術の素晴らしさを感得し、是が非でも学んで行く必用を肝に銘じて帰国したのである。
 8日 佐々木高行の結論 「怪しむことは親子の交際なり。いたって疎と言えり。かえって外国人は交際厚く、朋友の情義は尊ぶと見えたり」と欧米人の親子の情の薄いことを嘆く。
「欧米各国にては、親子とも独立して、親は老いても若き時の働き蓄えたる財をもって老後を安楽に暮ら
して子孫もまた、成人まで教育を受けたるうえは、親族の目上より厄介を受けぬという立て方(方針)にて、決して親子薄情疎遠になればに非ずと雖も、右の教えよりして、その弊、親子の情薄く、かえって朋友などの交際厚くして一身の事を計るに至るべし」と鋭く核心にふれた観察分析をしている。
 9日 アメリカ的自由の良さも 佐々木は、日本のこれまでのように君臣、親子、夫婦の別が厳格なのも弊害があるとしてアメリカ的自由の良さも認めている。封建の身分制度でガンジガラメに なっていては国の発展は期待できない、アメリカのように自主独立、自由競争で、身分などに関係なく各人の働き次第でどうにでもなる実力主義の社会こそ素晴らしいとの思いも強かったのである。
10日 佐々木高行の警告

佐々木高行は、個人主義が行過ぎると「人々は我侭となり、人の努めはなくなるべし」と警告しており、これからの日本の家族の在り様について言う。「各人をして働き次第、衣食住も勝手となり、人物次第、高位高官にも上る道立ちたる上にい、親子の間にもよくよく孝をたて親は子をして学問等を十分にいたさせ独立のできるように力を尽く 

し何もかも服従せずとも、とかく立派なる人となりて独立し、父母の老いたるを厚く養うのみを以て孝道となると心得、父母もわが子を教育したるを本願に、恩着せがましく思わず、若くより働きて、老いたる時は自分だけの暮らし方をつけ、子弟の厄介にならずと申すところの教法を立て、その及ばぬところは法律にて補い候ようのことにいたれば、国はいよいよ興らざることを得ざるべし」。と。矢張り明治の元勲は偉い。
11日 宗教比較孝 岩倉使節団に実に奇怪な印象を与えたのが宗教であった。教義に納得できないのであった。久米邦武は「新約聖書なるもの、我輩にてこれを(けみ)すれば、一部荒唐(こうとう)の談なるのみ。天より声を発し、死囚(ししゅう)(キリストのこと)また生く(復活する)、もって瘋癲(ふうてん)(たわ)(ごと) となすも可なり」と辛辣(しんらつ)である。
儒教的教養に基づいた論理家・久米にとり、処女懐胎、復活、原罪などいう話は理解不能であったのだ。江戸中期、新井白石がイタリア人のシドツチに初めてキリスト教のことを聞いた時、江戸的教養の知識人になり聖書の物語は「フウテンのたわこど」に聞こえたのと同様であった。
12日 十字架 実感として違和感を抱かせたのは十字架であった。教会の十字架にキリストが磔になった、クギで刺されて血を流している、これを暗い教会の中で幾度も見せられて、久米はどうにも耐えがたかったのである。 「欧米の各都、至る所に(こう)(けつ)淋漓(りんり)として(赤い血がポタポタと(したた)って)、死囚十字架より下がるを図絵(ずえ)し、堂壁屋(どうへきおく)(ぐう)に掲ぐ」と久米は書いている。キリストを死囚と呼び、「人をして墓地を過ぎ、刑場に宿するの思いをなさしむ。これにて奇怪(きっかい)ならずんば、何をもって奇怪とせん」と言い放った。
13日 評価した信心 そんな教義にも関わらず、熱心に信心する人が大勢いて、宗教の役目はきちんと果たしている点については大いに評価した。聖書が世界30ヶ国に印刷されるのを見て、ホテルの部屋、 家庭にある聖書、旅行に持参の聖書、中々信仰心の厚いのに感心している。バイブルは西洋の経典にて、人民品行の基なり、これを東洋に比較すれば、その民心に侵漬せる四書、仏典の如しと分析した。
14日 無宗教は野蛮人 欧米では、人と会うと必ず宗教のことを尋ねられる。「あなたは何教の信者か」と。もし宗教を信じないと言おうものなら、「喪心の人、荒野の民とし、慎み て交際を絶つに至る」とある。つまり宗教の無いような人間は野蛮人である、野蛮人とは、とても付き合えない、という意味を持つものである事を知る。
15日 人間の資格 宗教があるのが人間の資格であり、宗教が無いのは野蛮であり動物と同じだという感覚が一般的だった事を知るのである。 教義が奇異に見えても、実際にみんなが信じて、それが道徳や品行の基になっているとすれば、それはそれで結構なことだという結論に至るのである。
16日 治安の原素を知る 「そもそも人民敬神の心は、勉励の本根にて、品行の良は、治安の原素なり」と久米は言う。 信仰心は品行だけでなく、勤勉の基であり治安の大本で、国家富強の因って生ずる所なりと宗教の持つ大きな力を認めるのであった。
17日 久米邦武の文明論 1 東洋と西洋の違いを「全く生活」と「快美の生活」と捉えている箇所がある。世界中、どこでも、誰もが豊かになりたい、富が欲しいと思う。だがその発想の原 点が違うと捉えた。
東洋では富を求める目的が「自家の生活を全くするにある」、西洋では「快美の生活を極むるにある」としている。
18日 久米邦武の文明論 2 換言すれば、東洋は「足るを知る」の精神、ある程度食べられ生活できれば宜しいとする考え方。必要以上に余り物質的、量的なものは求めないで、寧ろ精神的質的なものを希求する。美的、詩的なものを求める。 西洋では「しからず、財産を豊饒にし、努めて快楽の生活をなすを目的とする」となる。つまり快楽をとめどなく追求、西洋の大邸宅など、やたらに使わない部屋、部屋一杯に家具、美術品を飾りつける。要するに物質的な追求がとめどない。
19日 久米邦武の文明論 3 欧米では、成功者は真っ先に自分が快楽を追求して憚らない。富を誇示し、世間一般も認めて羨望する。日本ではそうではない。 殿様も家老も、上に立つ者は「先憂後楽」が哲学で、民のことを先ず考えてその上だ自分が楽しむというのが常識である。それがリーダーの道徳として身に律している。
20日 久米の東西政治論 「故に、政治の主義も東西では、相反し、西洋では保護の政治をなし、東洋は道徳の政治をなす」となり、「義か、利か」、そのどちらに重きを置くかの対比になるとする。アメリカでも英国でも、政治の目的が 利益の保護にあるという感触は現実に感じたものであろう。アメリカでの歓迎には実業界の有力者が多く、知事や市長が実業家の下風に立つ状景を見ていた。利を追う町人を一段低く見ていたサムライから見れば異様な風景であった。
21日 道徳政治の欠点 久米は、日本の道徳政治にもそれなりの欠点を見ており「日本では、君主はよく仁治の政を行なうふうあり。ただし、その法理と道徳と相混ずる上に、家族交際の趣となすにいたる」とするとした。 一般の民は、道徳政治の下では、「下等の民は貧弱にて、ただ上に依頼し、生活を結ぶ。かくて恥じることなく、自主独立の気性自ら一般に乏しきをさしたる言なり」。結局、自主独立に乏しいからお上に依頼してしまう。そして「足るを知り」て自分の身の回りだけで満足することとなり、発展性が無いことになる。
22日 足るを知る日本社会 江戸時代の日本社会が、ある種の均衡社会であり「足るを知る」をベースに微妙なバランスで成り立っていた。 欧米の近代社会は「決して満足せず、あくまでも快美な生活を追求する」という考え方に基づいて新技術を発明し、海外に交易を求め外延的に発展して行く進歩信仰の世界といえる。
23日 道徳と利益 久米は欧米と日本では一長一短があると見ている。日本の価値基準は「道徳」であり、欧米のそれは「利益」という物差しである。そこで久米は政治の目標として要約している。
「政治の務むべき、教育の(すすむ)むべきは、富強の二字こそ
眼目(がんもく)なれ、国内の人民、みな生業に勉励し、自主を遂げ、交際に礼あり、信ありて、百儒(ひゃくじゅ)の利を開き、外は国威(こくい)に屈せず、内は国安(こくあん)を保し、太平(たいへい)の堺に進まんこそ、(つとむ)べき本領(ほんりょう)なり」。
24日 欧米の犯罪多発分析 岩倉使節団は、西洋的文明社会の光の面だけでなく、影の部分も確りと観察していたのである。それは自由の弊害であり競争の副産物であり、快楽追求、利益社会の短所でもあった。ニューヨークでの久米の感想である。「共和国は自由の弊害多し、大人の自由を(まっとう)し、 一視同仁(いっしどうじん)の規模を開けるは、(うらや)むに足るが如くなれど、貧寒(ひんかん)小民(しょうみん)の自由は放僻(ほうへき)にして忌憚(きたん)する所なし、上下に検束(けんそく)を欠くにより風俗自ら不良なり」と判定している。
25日 自由の裏には倫理を 久米の見解は、わきまえた人の自由は結構だが、そうでない連中の自由は、我が侭放題、やりたい放題で、どうしようもない。その上に上下のケジメがないから風俗も自ら不良になっていると観察している。 要は、モラルの無い奴に自由など与えては、現代の中国のように社会がハチャメチャになるということである。現代のチャイナは、国あげて道徳・倫理が欠けているから、食品・薬品・ニセ物の氾濫を世界中に撒き散らしているのと同様である。
26日 ロンドン観察 久米は当時の世界一の繁華を誇るロンドンを見てこう観察している。ロンドンは犯罪の渦まく治安の悪い街であった。「少しく人通り少なき(まち)に至れば、偸児(ちゅうじ)(窃盗(せっとう))徘徊(はいかい)し前より帽を圧し 背中より(ふところ)を探りて(のが)れ去る。殷劇(いんげき)の市には拐児(かいじ)群れをなし、散歩の間に、(きん)(ちん)(ぎょく)(こう)(貴重品)()(ゆう)となる」。つまり金の鎖や宝石が盗まれてしまう。
27日 久米のロンドン観察2 「少しく寥落(りょうらく)の里には(寂しい所)、短銃を携え毒薬を懐にして、(こう)(りょ)(旅行)を悩ますの賊あり。鉄道、汽車の上には博徒(ばくと)拐児(かいじ)、各車を回りて田舎漢(いなかかん) (へん)きょうす」。(へん)とはだまくらかす。
文明の発展は人々の交流を盛んにし、素性の分からない移民や労働者が入り込んで、それを取り締まり管理する術もなく、風俗も自ら悪化する実情を示している。
28日

イーストエンド見学

久米は探究心厚く、木戸と二人でロンドンの有名な貧民街イーストエンドを探訪している。妖気漂うような場所であっちたらしい。木戸の日記からである。

「この地区の極貧人の宿泊所などへ六、七ヶ所至る。(本邦の木賃宿と称するものの如くにして、その貧困なる有様、なお一倍せしが如し) 

29日 また、貧人或いは水夫などの子女ダンスの処あり、これへも又、四、五ヶ所誘引せり、また一小路に誘引す、ここは貧人極隘の小屋を構え、その中支那人もまた一家を構え、二十一年前 当国に来るという、アヘンを吸いし様子、案内余らに見せしなり、ここに英国の一婦人アヘンを用いて廃する能わずと言う、この婦人とカルカッタのもの同床にあり」
30日

木戸の感想、「貧民窟というより、悪漢の巣で、その状態は言語を絶するという外はない。シナ人も、二、三人いたが、アヘンを吸い賭博などしていた。幸い日本人がいなくてよかった。

大久保は「余はあれを見て世の中が浅ましくなった」と漏らしている。当時、英国は繁栄の頂点にあったが、貧富の差は激しく、貴族や富豪の豪勢な生活との対照の強烈さに驚嘆していたのである。