徳永圀典の隔日「論語」平成19年9月
公冶長第五
古今人物の賢愚得失を語るの章。
1日 | 子、公冶長を謂う妻すべきなり。縲絏の中に在りと雖も、其の罪に非ざるなりと。其の子を以て之に妻す。 | 子謂公冶長。可妻也。雖在縲絏之中。非其罪也。以其子妻之。 | 縲絏とは牢獄に繋がれること。公冶長は孔子の門人。公冶は姓、長は名。孔子、ある時公冶長は我が娘を妻とするに足る人物だ。嫌疑を受けて獄にありとしてもかまわぬと。 |
3日 | 子、南容を謂う、邦に道有れば棄てられず、邦に道無ければ、刑戮より免れん。其の兄の子を以て之に妻す。 |
謂南容邦有道不廃。邦無道免於刑戮以其兄之子妻之。 |
南容は門人。 孔子は、南容は常に言行を慎む君子の政道乱れても刑戮で殺されることはあるまいとして兄の娘を妻とした。 |
5日 | 子.子賎を謂う、君子なるかな、若き人。魯の君子者無くんば斯れ焉くにか斯を取らん。 |
子謂子賎。君子哉若人。魯無君子者。斯焉取斯・ |
子賎、名は不斉。不斉は君子人というべき人物だ。魯にもし有徳の君子が無ければ・・、魯の国に有徳の者多きを言われた。 |
7日 | 子貢問うて曰く、賜や何如。子曰く、女は器なり。曰く何の器ぞや。曰く瑚lなり。 |
子貢問曰。賜也何如。子曰。女器也。曰。何器也。曰。瑚l也。 |
賜は器なりと。更に問われると、それは瑚lだと。瑚lとは珠玉で飾った貴重な器である。 |
9日 | 或ひと曰く、雍や、仁にして佞ならず。 | 或曰。雍也仁。而不佞。 | 雍、姓は再。雍は仁者だが、弁才の無いのが惜しいと。 |
11日 | 子曰く、焉ぞ佞を用いん。人に禦るに口給を以てすれば、屡々人に憎まる。其の仁を知らず、焉ぞ佞を用いん。 |
子曰焉用佞。禦人以口給。屡憎人。不知其仁焉用佞。 |
孔子は、この評論を聞いて、何ぞ口才を用ひん。人に徒に口才で弁にまかせて抗論すれば一時的によくても、これが為に人に憎まれる。口才を用いるのはよくないと。 |
13日 | 子、漆雕開をして仕えしめんとす。對えて曰く、吾斯を之れ未だ信ずること能わず。子説ぶ。 |
子使漆雕開仕對曰。吾斯之未能信。子説。 |
開はまだ学問未熟で仕えて必ずその責任を尽くし得ないとの答えを聞いて孔子は喜ばれた。 |
15日 | 子曰く、道行われず、桴に乗りて海に浮ばん。我に従わん者は、其れ由なるか。子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、由や勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無からん。 |
子曰。道不行。乗桴浮淫干海。従我者其由與。子路聞之喜。子曰 |
天下に賢明の君なくして道の行はれざるを嘆ぜられた。予が浮世を捨てて絶海の孤島に隠棲したら由は従うであろう、由はこれを聞いて喜んだ。だが孔子は由がこれを喜ぶのを憂慮された。子路は勇気があるが、思慮分別が足りない面は困ると。 |
17日 | 孟武伯問う、子路仁なりや。子曰く、知らざるなり。又問う。子曰く、由や、千乗の国、其の賦を治めしむべきなり。其の仁を知らざるなり。求や何如。子曰く、求や、千室の邑、百乗の家、之が宰たらしむべくなり。其の仁を知らざるなり。赤や何如。子曰く、赤や束帯して朝に立ち賓客と言わしむべきなり。其の仁を知らざるなり。 |
孟武伯問。子路仁乎。子曰。不知也。又問。子曰。山也。千乗之国。可使治其賦也。不知其仁也。求也何如。子曰。求也。千室之邑。百乗之家。可使為之宰也。不知其仁也。赤也何如。子曰。束帯立於朝 |
「子路は仁なるか」、孔子「知らぬ」、なお未だしを知らぬと答えた。 更に聞かれた孔子は「子路は勇あり兵事に長ず。故に千乗の大諸侯に軍政を掌握させてもよくするだろう。果たして仁か否かは知らぬ」と。 求の長所はと聞かれて「求は吏務に長じ千室の大村の長なれば必ず民を良く治めよう。 赤は容儀端正、応接に長じている礼服で朝廷の賓客を応接すれば国光を発揚しよう、仁なるやは知らぬと。 孔子の知らぬは他日の進徳を期するあり。 |
19日 | 子、子貢に謂いて曰 |
子謂子貢曰。女與回也孰愈。對曰。賜也何敢望回。回也聞一以知十。賜也聞一以知二。弗如也。吾與女弗如也。 公冶長第五の八 |
賜よ、汝の敏は予に優れている。孔子は子貢に顔回とどちらが豪かろうかと問う。子貢はとても顔回には及ばない、彼は一聞いて十を知る、私は二を知る程度と答えた。自分を知る明あるを孔子は喜び、予も子貢も顔回には及ばぬ、それを明言する子貢は豪い。 |
21日 | 宰予、昼寝ぬ。子曰く、朽木は雕るべからず、糞土の牆は?るべからず。予に於てか何ぞ誅めん。子曰く、始め吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行を信ず。今吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行を観る。予に於てか是を改む。 |
宰予昼寝。子曰。朽木不可雕也。糞土之牆。不可?也。於予與何誅。 公冶長第五の九 |
学問は志操堅固に気力旺盛であるべし、腐敗せる木は彫刻は不能、堅実でない土の上の土塀の上塗りに近い。宰予は白昼に寝室で寝る如き志の堕落した者だから、教えることはできない。宰予わ責めても仕方ない。実は深く責めて奮起を促している。 |
23日 | 子曰く、吾未だ剛なる者を見ず。或ひと對えて曰く、申?と。子曰く、?や慾あり。焉んぞ剛なるを得ん。 |
子曰。始吾於人也 |
慾ある者が剛ではない、慾無き者にして初めて勇気があるのだと説いている。剛と慾とは似て非なることを説く。 |
25日 | 子貢曰く、我人の諸を我に加うることを欲せざれば、吾も亦諸を人に加うること無からんと欲す。子曰く、賜や爾が及ぶ所に非ざるなり。 |
子貢曰。我不欲人之加諸我也。吾亦欲無加諸人子。賜也。非爾所及也。 公冶長第五の十一 |
諸は非義のこと。仁者のこと即ち忠恕は子貢の及ぶ所でないと言われて、その性癖を抑えられたのである |
27日 | 子貢曰く、夫子の文章は得て聞くべきなり。夫子の性と天道とを言うは、得て聞くべからざるなり。 |
子貢曰。夫子之文章可得而聞也。夫子之言性與天道。不可得而聞也。 |
子貢は未だ達せず、孔子の文章はいかにも宏遠で自分如き非才では到底理解能わずと嘆声の声か。 |
29日 | 子路、聞くこと有りて、未だ之を行うこと能わざれば、唯聞く有らんことを恐る。 |
子路有聞。未之能行。唯恐有聞。 |
例え行い得ざるとも、善言は聴くべしと。子路は勇気あり行いに篤き人であった。 |