風姿花伝 序
それ、申楽延年のことわざ、その源を尋ぬるに、あるは仏在所より起り、あるは神代より伝ふといへども、時移り、代隔たりぬれば、その風を学ぶ力およびがたし。ちかごろ万人のもてあそぶところは、推古天皇の御宇に、聖徳太子、秦河勝におほせて、かつは天下安全のため、かつは諸人快楽のため、六十六番の遊宴をなして、申楽と号せしよ
りこのかた、代々の人、風月の景を仮って、この遊びのなかだちとせり。そののち、かの河勝の遠孫、この芸を相続ぎて、春日・日吉の神職たり。よつて、和州・江州のともがら、両社の神事に従うこと、今に盛んなり。
されば、古きを学び、新しきを賞するなかにも、全く風流をよこしまにすることなかれ。
ただことばいやしからずして、すがた幽玄ならんを、うけたる達人とは申すべきか。まずこの道にいたらんと思はんものは、非道を行ずべからず。ただし、歌道は風月延年の飾りなれば、もつともこれを用ふべし。
およそ、若年よりこのかた、見聞きおよぶところの稽古の条々、大概注しおくところなり。
一、好色、博奕・大酒、三の重戒、これ古人のおきてなり。
一、稽古は強かれ、情識はなかれとなり