佐藤栄作は、沖縄返還を求めてアメリカ大統領ニクソンと会談する時、安岡先生の助言を求めた。

安岡先生は、佐藤総理に、ニクソン大統領と会ったら、中国古典の「老子」の一節を語るように示した。それは、

「戦いに勝ちては、(そう)(れい)を以って之れに()る」

(老子・第三十一章)である。

戦さに勝った側は、勝者は、これを喜ぶよりも、寧ろ、敗者に対して、葬儀に臨んだ人のように悲しみを以て身を処するべきである、と言う意味。

佐藤栄作は、この言葉をニクソン大統領に紹介した。

「太平洋戦争の戦勝国であるアメリカは、敗戦国の日本に悲しみの心を以て対処すべきである」と説いた。

この人間としての姿勢、国家の在り方を説く東洋思想に触れたニクソンは、すっかり感動して沖縄返還の交渉は順調に進んだと言われる。

安岡先生は、日本の立場、アメリカの立場、或いはニクソン大統領の人物を分析することで、「老子」の一節を抽出して「言葉を現実の力」に変えたのだ。

言葉の持つ意味を考察し、活用する人間と状況を的確に捉えることで言葉や思想を最大の力に変換したのである。これぞ、古典の効用である。