「鳥取県の知の巨人」西晋一郎

 

戦後、哲学とか倫理が廃れ、物質一色となった。若い時、私は西田幾多郎著の「善の研究」に没頭した時期があった。東の西田幾多郎(東大選科後転々。京大教授)、西の西晋一郎(東大・哲学科卒、広島高等師範以来広島文理大教授)のお二人は「両西」と言われていた日本哲学・倫理の重鎮である。

私が関西より帰郷し、鳥取木鶏会を創立した30年前から今日まで、そのわが県の西晋一郎を知る人が実に少ないのを知り今日まで残念な思いをしてきた。

西晋一郎は、昭和18年正月、皇居で昭和天皇に講書の儀にて論語の御進講をされている。その西晋一郎氏は鳥取市のご出身であることを知らぬ人の多いのが実に不思議である。その御進講の際の助手が村上義幸氏、西晋一郎は倫理の西のご本尊なのである。

西晋一郎は広島文理大学(現広島大学)の教授をされ、恰も広島人の如き印象を全国的に与えていると私は認識している。鳥取人に尋ねても知らない人が殆どで私は、悔しい思いをしている。西晋一郎を改めて認識し、鳥取県の「知の巨人」として再認識したいと思うのは私だけであろうか、「名誉県人」に推奨したい。

今回は、西晋一郎氏のテーマであるが、鳥取県出身で、全国的な知の巨人が実に多い。明治大学創設者・法学者の岸本辰雄、大正デモクラシーの理論的指導者で日本憲法の泰斗・佐々木惣一(京大教授、立命館大学学長、貴族院議員)、日本の医学者で文部大臣の橋田邦彦、中央大学創始者の一人の奥田義人、拓殖大学総長の矢部貞治氏と、即座に思い出すだけでこれらの方々は日本の知の巨人の分野に位置する。          徳永圀典