池田勇人と安岡先生

池田総理は吉田茂の秘蔵子、池田派を立ち上げる際、側近の大平正芳から会派の命名を求められた。安岡先生に相談したのであろう、安岡先生は「(こう)池会(ちかい)」と命名された。

これは中国は後漢の()(ゆう)という人物の故事の引用である。馬融は、学徳高く、門下生の人材養成に苦心していた。その馬融を顕彰した言葉の中に「高崗(たかおか)?(うてな)(野外の廟)に臥し、以て宏池に臨む」がある。これと池田勇人の「池」の字を結びつけて「宏池会」とされたである。

宏池会の参議院議員の会には「以正会」と命名された。これも、老子の「以正治国」からの採用である。「正をもって国を治める」である。戦争には奇策を以て戦うが、天下を治めるには、正々堂々の姿勢でなくてはならぬ、まして参議院の立場ではの意であろう