田中角栄のかいた国辱的大恥

かくの如く、安岡先生は、首相に対しても、言葉や思想を提示されて進むべき道を指導された。田中角栄は安岡先生に接近しておらない、彼の後の日本の針路は、経済のみであった。もし、角栄にして、安岡先生に学ぶものがあれば日本のその後は変わっていたのではないか。少なくとも金権思想には進まなかったと思える。田中は安岡先生を避けたのである。

その為であろう、田中角栄が行った日中国交回復交渉に際して、田中は、中国の周恩来首相から軽くあしらわれた。それは、愚生でもハッキリと記憶があるのだ。

周恩来は「論語」の一節、「言必信、行必果」--言うことには?はなく、行うことには潔い--を色紙に書いて田中角栄に送った。田中は大喜びし、マスコミにも日中友好の証として評価した。

処が、安岡先生は、「自分がその場にいたら、色紙をつき返した」と大いに憤慨されたのである。

周恩来が田中に送呈した言葉は、孔子が「人格者とは、どんな人物ですか」と弟子から問われた時の言葉で、「言うことには?がなく、行うことは潔い、と言う人物は、路傍の小石のような小人であるが、人格者の中に含めても構わないだろう」と、田中総理を小ばかにした内容なのである。

安岡先生は、こんな言葉を貰って喜んでいるようでは、指導者として見識が無い、と怒ったのである。

 

また、毛沢東主席から、中国戦国末期の悲劇的人物である(くつ)(げん)の話を集めた「楚辞集註(そじしゅうちゅう)」を贈られ、喜んでいるのを見て、毛沢東から軽視されていたのではないかと、憤慨されたという。

4千年の歴史、色々な国際舞台でもまれて来た中国人を相手にするには、日本の指導者は、彼らよりも深い学問をして、それを活かす、いわゆる「活学」として活かせるような人物でなければならない、これが安岡先生の口癖であった。

今日の政治家を見ると、このような、安岡先生の眼識に適った人物は存在していないように思える。日本人の劣化が叫ばれて久しいがせめて国会議員になるような人間は、かかる見識と胆識を備えていて欲しいものだ。