自燈(じとう)(みょう)

古い経文にある、自燈(じとう)(みょう)(ほう)(とう)(みょう)ということをご存知であろうか。 

知りませぬ、お恥ずかしゅうござる。 

そうであろう、誰もお釈迦さんに会ってはおらぬ。わしも又聞きの、又聞きでの、お釈迦さんが或る日、弟子どもを集めてこう言われたのじゃ。 

「お身たちは自らを燈明とし、自らを拠りどころとして、決して他人をあて(○○)にしてはならぬぞ・・」 

と申しても、自分ではまだこの世を照らす燈明を持っていない。そんな場合には、法を拠りどころとして、他人に頼ってはならぬ。法とは、この天地の自然、つまり宇宙の真実じゃ。これを拠りどころとして他人を頼らずに修行する。そうすると、やがて自分の燈明であたりがよく見えるようになる。 

よくよく考えて他人に寄らず、足許を法燈明でよく見る勉強をしてゆくことじゃ。 

法句経の中に、こうあるぞ・・。

「己れこそ己れの主である。他にいかなる主があろうぞ。自分自身が立派に調御(ちょうぎょ)された時に、はじめて大きな力が出る・・・」

              徳永日本学研究所 代表 徳永圀典